第4話 毛沢東の失敗

1949年10月新中国の建国を宣言。翌年朝鮮戦争。戦争が終わって国家の建設に移った。先輩ソ連を習い最初の5か年計画(工業化と農業の集団化)は比較的上手くいった。2期目の計画にかかったとき、毛沢東はこの計画の目標を大幅にアップしたのである。スターリンの後を継いだフルシチョフがスターリンの個人独裁を批判、


平和共存路線を取る。毛沢東はこれを修正主義として嫌う。


57年(この年、ソ連は人工衛星スプートニクに成功)フルシチョフは、建国記念式典の席上「これから15年の間にアメリカの主要生産物の生産量を追い抜くであろう」と宣言した。これに対して毛沢東は「中国は15年以内にイギリスを追い越す」と応じたのである。こうして『大躍進政策』は始まった。まずは農業生産の拡大を図った大水利事業から始まった。中国には資本は乏しい。そこで毛沢東が取ったのが豊富な労働力にものを謂わせる人海戦術であった。


ここで人民公社について触れておく。乾燥し寒い穀物生産が厳しいある県の第1書記が灌漑プロジェクトに、徴集した十万人を軍隊方式で、大隊、中隊、小隊に分け、村に逃げ帰る道を遮断し部隊を野営させ、ねぐらはその場しのぎのバラック、食事は共同食堂でとらせた。このきわめて効率的な方式が毛沢東の目にとまったのである。労働力の軍隊化である。資本不足を労働力で乗り越える革命的な方式であると、全国に奨励された。


毛沢東は高らかに「全民皆兵」を宣言し、給料、週休、就労時間規則をブルジョアの弱腰だと一蹴した。共同食堂、全寮制保育園、集団宿舎、そして歩兵となる農民。継続革命の中で社会のあらゆる部分が軍隊式に組織された。宗教、法律、コミュニティー、家族――暴力を抑制するものはなんであれ一掃された。


このようなもとで、生産意欲が湧くはずもなく、上からの増産指令には虚偽の報告で応じた。政府の買い上げ数量はこれに応じたので、たちまち欠乏と飢饉を招いたのである。


工業分野でも、かつてないほどの高い生産目標が課された。工場の究極のゴールは生産量であった。生産コストは無視され、輸入された機械類はろくなメンテナンスなしに酷使された。品質も二の次にされた。生産された粗悪品は流通され、それは生産効率の低下につながった。その代表的なのが、鉄鋼の大増産運動として採用された土法炉(原始的な溶鉱炉)である。これを用いた製鉄が全国の都市、農村で展開されたが、ほとんどが使い物にならなかったという。

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