第15話 ベトナム戦争4・名誉ある撤退のニクソン

【名誉ある撤退のニクソン政権】


1968年、ジョンソンによって拡大・泥沼化されたベトナム戦争を終結させ『名誉ある撤退』を実現することをニクソンは大統領選に向けた公約とした。そしてこの名誉ある撤退に実に7年を要したのであった。撤退より名誉を優先した結果であった。


ニクソン大統領は、就任直後からキッシンジャーを国家安全保障担当大統領補佐官に任命し、北ベトナム政府との交渉(パリ和平会談)を開始させた。その一方で、交渉を有利に進めるために、戦況の好転を狙って補給ルート(ホーチミンルート)として機能していたカンボジアへ、翌1971年2月にはラオス侵攻を行い、結果的にベトナム戦争はさらに拡大した。結局この侵攻作戦も失敗した。


一方で1972年2月21日にニクソンは北京を訪問し世界をアッと驚かせた。毛沢東、周恩来首相との会談で対中接近を図った。いつまでも中国を認めない政策の限界はあった。また、ベトナムからの撤退の公約を実現するためにも中国との関係改善は必要であった。これらの下準備の秘密交渉はキッシンジャーが担った。

このようなアジア情勢の変化もあって、1972年秋頃合意に向けた動きが加速し、和平交渉開始から4年8か月経った1973年1月23日に、フランスのパリに滞在する北ベトナムのレ・ドク・ト特別顧問とキッシンジャー大統領補佐官の間で、和平協定案がなされた。この協定により、アメリカ軍正規軍の全面撤退が約束され、北緯17度線は南北間の国境ではなく統一総選挙までの停戦ラインであることが確認された。1973年1月29日にニクソン大統領は米国民に「ベトナム戦争の終結」を宣言した。


あとは、ベトナム国内の問題となり、1975年サイゴンが陥落して、南ベトナムは崩壊し、アメリカ合衆国の敗北が決定した。こうしてフランスとのインドシナ戦争から実に30年に及ぶ戦争は終結し、統一ベトナムが成立したのである。


アメリカの『名誉ある撤退』、それはジュネーブ協定の時に軍事顧問団(600人程度)を引き上げることであった。関係国が集まっての合意を踏みにじったつけであった。

アメリカの敗北、ジャングルの地形がどう、ホーチミンルートがどうという前に、これはどう見ても独立戦争にアメリカが介入したとしか思われない。勿論、アメリカが出てくれば、小国は他に援助を求めるであろう。傀儡国家を作ってというのはいかに脆いものか、日本の満洲国で十分に知っていたであろうに。


*ジュネーブ和平会談:1954年4月26日開始された。参加国はフランス、アメリカ、イギリス、ベトナム国(バオ・ダイ政府)、カンボジア、ラオス、ベトナム民主共和国(ヴェトミン)、ソ連、中華人民共和国であった。


合意内容

• インドシナ諸国(ベトナム、カンボジア、ラオス)の独立

• 停戦と停戦監視団の派遣

• ベトナムは南北に分離し、1956年7月に自由選挙を行い統一を図る

• ベトミン軍の南ベトナムからの撤退とフランス軍の北ベトナム、カンボジア、ラオスからの撤退

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