第12話 ベトナム戦争1・フランスとの戦争
【インドシナ戦争】
一つの国の民族が二つに分かれ戦うことが、いかに悲惨で悲劇的なことであるかは、朝鮮戦争で見て来た通りである。しかも、この内戦がイデオロギーの違う勢力の代理戦争(冷戦)という戦いであったがゆえに、二重に悲劇であった。
ベトナム戦争も同じような構図を持つ。アジアにおける第2次世界大戦は日本の敗北を持って終わった。その空白の期間に起きた植民地からの独立、統一を求める混乱から発したことも共通する。朝鮮を植民地にしていたのは日本であり、日本軍進駐以前ベトナムを植民地にしていたのはフランスであった。
違うところは、朝鮮では独立、統一するしっかりした組織が未だ出来ていなかった。しかしベトナムはフランスからの独立を目指した組織が存在し、すぐに独立を宣言した国家が出来たことであった。
日本軍が無条件降伏すると、8月18日から8月28日にかけてベトミン(ベトナムの独立運動組織)が指導する蜂起がベトナム全土で起こり、ベトミンは傀儡ベトナム帝国のバオ・ダイを退位させて、ベトナム民主共和国政府を成立させた(ベトナム八月革命)。
しかし、旧宗主国であるフランスがこれを認めず、ベトナム南部に傀儡のコーチシナ共和国を成立させ第1次インドシナ戦争となった。1946年から1954年のジュネーブ協定までの8年間続いた。第2次大戦で戦勝国となったが、戦争で疲弊したフランスにはこの長期の戦争を続ける力はなくアメリカに援助を要請した。1950年5月、アメリカは要請に基づきベトナム援助計画を発表、軍事顧問団約400人をベトナムに派遣した。これがアメリカのベトナム介入の始まりとなった。
ディエンビエンフーの戦いで敗北したフランスは、ベトナム民主共和国と和平交渉を開始し、関係国*の間でジュネーヴ協定が締結された。これにより北緯17度線を境に両軍を分離して、ひとまず停戦にして、1956年にべトナム全国統一選挙を行うことが定められたが、アメリカは、協定には参加せず、統一選挙を拒否し南に傀儡政権ベトナム国を存続させた。
*参加国:フランス、アメリカ、イギリス、ベトナム国(バオ・ダイ政府)、カンボジア、ラオス、ベトナム民主共和国(べトミン)、ソ連、中華人民共和国であった。
ホーチミン政府はフランスに勝利したにもかかわらず、17度線での分断には難色を示したが、ソ連、中国の説得に応じ、統一選挙に託した。しかし南のゴ・ディン・ジエム政権は選挙をすれば負けるのが分かっていたのでこの選挙を拒否した。朝鮮と同様分断国家となったのである。これは到底、ホーチミン政府の認めるところとはならなかった。
一方、1949年8月にソ連が原爆実験に成功し、10月に北隣に中国共産党の中華人民共和国が成立すると、翌1950年1月にソ連と中華人民共和国がベトナム民主共和国(ホーチミン政権)を正式承認し、武器援助を開始した。これらによって、フランスからの独立戦争が冷戦の代理戦争の様相を呈することになった。
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