第10話 二つの中国・朝鮮戦争と原爆
(4)二つの中国
アメリカは中国内戦には不干渉の考えであった。共産党政府と国民党政府の調停を試みたこともあったが、国民党政府のあまりの腐敗に対して蒋介石を見捨てていたのである。1950年1月、アメリカ国務長アチソンの有名な演説があった。米国の引く「不後退防衛線」の中にアリューシャン列島、日本本土、沖縄、フィリピンが含まれていたが、韓国、台湾はその線上に置かれていなかったのである。韓国は別に置くとして、アメリカは中華人民共和国の台湾統一はやむなしと見ていたのである。
検討されていた中華人民共和国政府の台湾への軍事的侵攻はこの朝鮮戦争によって一時的に停止になった。中華人民共和国の朝鮮戦争介入によって、アメリカの中国に対する方針は変わった。台湾存続がアメリカの基本線となり蒋介石支援に変わったのである。ただし、大陸反攻の実現は無理とみてこれには釘をさした。結果、中国の代表として中華民国を採用するという二つの中国の問題が残ったのである。
朝鮮戦争勃発を一番喜んだのは蒋介石であった。アメリカが味方してくれると読んだのである。韓国政府にも、マッカーサーにも国府軍の協力を申し込んだのであるが、これはアメリカ本国政府に拒絶された。
(5)朝鮮戦争と原爆
家族離散の原因の一つになった北から南への大量避難は国連軍の原爆投下の噂であった。スターリンがもっと恐れていたのもアメリカの原爆であった。ソ連は1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)に成功していたが、とてもまだ実戦で使える段階ではなかった。
原爆は国連の承認の場合にのみ使用されるのかとの記者の質問に、トルーマンは「兵器の使用についての責任は通常通り野戦司令官が持つだろう」と答えた。中国軍の参戦によって原爆の使用の検討は参謀本部内で本格化していたのである。トルーマンの記者会見が問題になるのを恐れて、ホワイトハウスは大統領承認がないと使えないと修正をはかったが、イギリスの政府の驚愕はぬぐえなかった。英国首相アトリーはトルーマンに強硬な申し入れを行い、パートナーたる、英国、カナダとの協議を必ず経ると約束させた。マッカーサーが求めた「原爆を使用する司令官の裁量権」の壁になったのである。国連軍という名前の使用が役立ったのである。
毛沢東はアメリカの原爆を「張り子の虎」と呼び、「戦争の勝敗は人民で決まる。1 種類や2種類の新兵器で決まるものではない」と述べていたのであるが、停戦が成り立つとすぐに原爆の開発に取りかかったところを見ると、やはり恐れていたのである。中国は1964 年10 月、最初の核実験に成功した。
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