第8話 朝鮮戦争4・悲惨な被害

5 【悲惨な被害】


侵攻、反攻、反撃と戦線は行ったり来たりして、国土のほとんどが戦場になりその荒廃は言語に尽くしがたく、人民は長く貧困に喘ぐことになった。また、人民の犠牲も甚大であった。

韓国軍は約20万人、アメリカ軍は約14万人、国連軍全体では36万人の死傷者を出した。北朝鮮軍および中華人民共和国の義勇軍も多くの損害を出した。中華人民共和国と北朝鮮は約39万のアメリカ軍兵士、66万の韓国軍兵士、2万9000の国連軍兵士を戦場から「抹消」したと推定している。しかしこれらの推計は発表者によって数値にかなりの差がある。


西側の推定によれば中国人民志願軍は推計では約40万人、北朝鮮軍は推計では50万人の死者をそれぞれ出しているとされる。一方中華人民共和国側の公式発表によれば、北朝鮮軍は29万人の犠牲を出し、9万人がとらえられた。中国人民志願軍は戦死者11万4000人、戦闘以外での死者は3万4000人、負傷者34万人、行方不明者7600人、捕虜2万1400人となっている。これらの捕虜のうち約1万4000人が中華民国(台湾政府)へ亡命し、残りの7110人は本国へ送還された。ちなみに、この戦争で毛沢東の息子の一人毛岸英が戦死している。


これらは戦闘による犠牲者であるが、悲惨を極めたのは民間人である。アコーデオン戦争と言われるぐらい、戦線が絶えず南に北に移動を続けたことにより、地上戦が数度に渡り行われた都市も多く、最終的な民間人の犠牲者の数は100万人とも200万人とも言われ、軍人と民間人をあわせた犠牲者は餓死した人も含めておよそ500万人と推定されている。当時の朝鮮半島の人口は3000万人あまりであったから、実に6人に1人が犠牲になったことになる。混乱の中で南北に別れ別れになった離散家族の数は1000万人にのぼるとされている。北朝鮮から南への避難民の中には、国連軍の侵攻時に原爆が使われるのではないかと恐れたものも多かった。


悲惨を極めたのは、体制の違う同国人同士の戦争で、戦線が行き来したことによって起きた粛清・虐殺事件であった。その代表的なのが保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)である。

この事件は、朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件である。被害者は少ないほうでは20万人、最大で120万人とする主張もある。


日本の敗戦時、朝鮮の抗日勢力においては民族主義者の潮流が衰退し、共産主義者が各地で主流を占めていた。李承晩率いる大韓民国政府は、ストライキや武装闘争を挑む南朝鮮労働党(南労党)を中心とする共産勢力に対して徹底した弾圧政策を行った。1948年12月、国家保安法を制定。1949年6月、要監視対象者の教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」を組織し、翌年にかけて末端組織を全国に拡大した。

「大韓民国絶対支持」「北傀儡政権絶対反対」「共産主義排撃粉砕」を綱領に掲げるこの組織には、転向した党員が登録されたほか、抵抗を続ける党員の家族や単なる同調者に対しても登録すれば共産主義者として処罰しないとして加盟が勧められた。保導連盟に登録すると食料配給がスムーズに行われたため、食料目当てに登録した人々も多かったといわれ、警察や体制に協力する民間団体が左翼取り締まりの成績を上げるために無関係な人物を登録することもあったともいう。


北朝鮮軍が南進しソウルに迫った6月27日、李承晩大統領は保導連盟員や南朝鮮労働党関係者を処刑するよう命令を発し、同日中にソウルを脱出した。韓国軍、警察は釜山にまで後退する一方、保導連盟に登録していた人民を危険分子と見なして大田刑務所などで大虐殺を行った。


ソウルに侵攻した北朝鮮にとっても、保導連盟員は党を捨てて敵の体制に協力した者にほかならず、追及・粛清の対象となった。再び、アメリカ・韓国軍がソウルを奪還すると北朝鮮の協力者とされたものたちは虐殺された。南北朝鮮双方からの虐殺を逃れようとした人々は日本へ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。この事件は韓国現代史最大のタブーとも言われ、軍事政権下はもちろん、その後も口に出すのも憚られると言われてきた。全国血虐殺者遺族会が、遺族たちの申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。


次のような事件も判明している。


居昌良民虐殺事件:

1951年2月9日、韓国陸軍第11師団によって起こされた。この事件は一人残らず共匪パルチザン(北朝鮮のゲリラ部隊)を殲滅するためとして719人(15歳未満385人)からなる無実の市民を虐殺した事件である。居昌出身の国会議員が虐殺事件について国会に報告すると国会では調査団が結成され韓国軍の妨害を受けながらも現地調査を行い韓国軍の犯行を明らかにした。法廷は虐殺を指揮した呉益慶大佐と韓東錫少佐を終身刑としたが、李承晩大統領はただちに恩赦を出して釈放するとともに韓東錫少佐を警察幹部に抜擢した。


江華良民虐殺事件:1951年1月6日から1月9日にかけて韓国軍・民兵は北朝鮮に協力したなどとして江華島住民を虐殺した。死者数島民200人~1,300人とされている。


老斤里(ノグンリ)の虐殺:米軍による民間人一斉射殺事件。

米軍から避難勧告が出され、ヨンドン郡イムゲ里とジュゴク里の住民約500名は老斤里の京釜線鉄橋付近に集結させられた。これを空軍機が機銃掃射した。人々は先を争って鉄橋下の水路用トンネルへと逃げ込んだが、米軍はトンネルの両側の出口に機関銃を設置していた。夜半の闇をついて逃げ出した一部の青・壮年を除いて,老人と子ども,婦人たちのほとんどは殺された。避難民のなかに北朝鮮兵が混じっているという疑いが、射殺命令の原因とされている。約300名の韓国人民間人が虐殺された。


これらの事件は韓国の恥部として、歴代政権によって隠されてきたが、韓国の民主化とともに生き残った被害者や被害者遺族らの声によって明らかにされてきた。同様のことは北朝鮮の側に於いても南侵攻時にも、親日人士や韓国保守主義者の粛清・虐殺は多数行われたのであり、国連軍に侵攻され再度押し帰した時も、韓国側の味方についたものは粛清の対象となった。また、アメリカ捕虜虐殺事件として303高地事件がある。その総数は南と違っていまだ明らかにされていない。

また、南に侵攻した北朝鮮軍は、南の朝鮮人民から半ば強制的に兵士を調達した。これらの兵士が38度線以北に撤退したことによっても多数の家族離散が起きた。


次の2件は開戦前の事件である。


済州島四・三事件:

南朝鮮は北朝鮮抜きの単独選挙を行うことを決断し、島内では選挙を前に激しい左右両派の対立がはじまった。その中で、単独選挙に反対する左派島民が武装蜂起し警察、島民に犠牲者が出た。その日付けが1948年4月3日である。韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。


麗水・順天事件(れいすい・じゅんてんじけん):

1948年10月19日、済州島で起きた済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った全羅南道麗水郡駐屯の国防警備隊第14連隊で、隊内の南労党員が反乱を扇動、これに隊員が呼応し部隊ぐるみの反乱となった。反乱は麗水郡から隣の順天郡にも及んだが、李承晩大統領は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日に反乱部隊は鎮圧された。残兵はその後北部の山中へ逃げ込み、長くゲリラ抵抗が続いた。本事件による死者は一週間で2976名、行方不明887名、負傷1407名にのぼり、事件の首謀者と幹部152名が軍法会議で死刑となった。事件処理で韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、反乱部隊に加えて、非武装の民間人8000名が殺害された。


虐殺事件ではないがこの事件も悲惨を極めた。


国民防衛軍事件:

中国義勇軍の朝鮮戦争介入で悪化する戦況を打開するために、中国義勇軍の人海戦術に対抗するため、約50万人を51個の教育連隊に分散・収容して、国民防衛軍を編成した。しかし、にわか仕立ての軍隊であるため、将兵の動員・輸送・訓練・武装などのための予算不足、及びに指揮統制の未熟など問題点が現われ始めた。司令官金潤根(キム・ユングン)は李承晩のお気に入りではあったが、どだい50万人の部隊を統制できる人物ではなかった。そのような中での1951年初頭、北朝鮮・中国両軍の攻勢を受けた韓国軍は、前線の後退作戦を敢行し、国民防衛軍は50万人余りの将兵を後方の大邱や釜山へと集団移送することになった。しかし、防衛軍司令部の幹部達は、国民防衛軍のために編成された軍事物資や兵糧の米などを、不正に処分・着服した。その結果、極寒の中を徒歩で後退する将兵に対する物資供給(食糧・野営装備・軍服)の不足が生じ、9万名余りの餓死者・凍死者と無数の病人を出す「死の行進」となった。このことは韓国国会でも取り上げられ、李承晩政権の足元をぐらつかせた。国会は防衛軍の解散を決議し、5月12日にこれを解体した。軍法会議が開かれ、国民防衛軍司令官金潤根(キム・ユングン)、副司令官尹益憲(ユン・イクホン)など5人に死刑が言い渡され

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