第6話 朝鮮戦争2・宣戦布告なき開戦

(2)宣戦布告なき開戦


1 【北の侵攻】


金日成も李承晩も、それぞれの体制の下での武力による統一やむなしと考えていた。どちらが先に38度線を越えて侵攻するかであった。金日成はスターリンにその許可と支援を求めた。李承晩政権の武力侵攻はアメリカが抑えていたが、李承晩は北が侵攻して来るのを待って攻撃を考えていた。先に38度線を越えたのは北であった。


両方の占領軍がいる間は南北朝鮮が行動を起こすことはあり得なかったが、1948年11月にソ連は撤兵を完了させた。李承晩は強く米軍の撤兵には反対していたが、米軍はソ連に応じて撤兵を始めた。

1949年1月、金日成は訪ソした。軍事同盟としての『朝ソ友好条約』を希望してのことであった。ソ連軍の撤兵後の安全保障のためであるが、北朝鮮が行動を起こした場合のソ連の援助を確保する狙いがあった。ソ連政府はこれを拒否した。ソ連もアメリカも朝鮮半島での軍事的衝突は望んでいなかったのである。


状況を変えたのは、毛沢東率いる共産党が蒋介石の国府政府を台湾に追いやり、勝利を確定し、1949年10月1日中華人民共和国の建国宣言をしたことであった。それまでソ連は蒋介石の国民党政府を公式政府と認めていたが、毛沢東の中国と全面的に提携することになった。

北朝鮮はこの状況に強気になった。中国は朝鮮半島で武力衝突が起こった場合、アメリカの支援を受けた南韓が東北部で国境を接することは望まなかったので、有事の際には北朝鮮を直接武力支援することはやぶさかでなかった。

アメリカとの直接対決を避けたかったスターリンはこれを渡りに船とした。こうして、1950年6月25日、北朝鮮は南に侵攻を開始し、朝鮮戦争が勃発したのである。北朝鮮の侵攻については、毛沢東は満州朝鮮人で構成した赤軍の2個師団を北朝鮮に派遣することを認めた。


6月27日に開催された国連安保理は、北朝鮮を侵略者と認定、“その行動を非難し、軍事行動の停止と軍の撤退を求める”決議をした。ソ連は中国の代表権問題をめぐって安保理の出席をボイコットしていた。当然この会議もボイコットした。北朝鮮軍の奇襲攻撃を受けた韓国政府は、6月27日首都ソウルを放棄し、水原に遷都。これも28日に陥落する。

6月27日に国連安保理は北朝鮮弾劾・武力制裁決議に基づき韓国を防衛するため、必要な援助を韓国に与えるよう加盟国に勧告し、7月7日にはアメリカ軍25万人を中心として、イギリスやオーストラリア、ニュージーランドなどのイギリス連邦諸国、さらにタイ王国やコロンビア、ベルギーなども加わった国連軍を結成した。

マッカーサーは6月29日に東京の羽田空港より専用機のダグラスC-54「バターン号」で水原に入り、自動車で前線を視察したが、敗走する韓国軍兵士と負傷者でひしめいていた。派遣されたアメリカ軍先遣隊は7月4日に北朝鮮軍と交戦を開始したが7月5日には敗北した(烏山の戦い)。


準備不足で人員、装備に劣る国連軍は各地で敗北を続け、アメリカ軍が大田の戦いで大敗を喫すると、米韓軍は最後の砦、洛東江戦線にまで追い詰められた。

この頃北朝鮮軍は、不足し始めた兵力を現地から徴集した兵で補い、人民義勇軍を組織化し、再三に渡り大攻勢を繰り広げる。釜山陥落も危惧される情勢となり、韓国政府は日本の山口県に6万人規模の人員を収用できる亡命政府まで検討した。金日成は「解放記念日」の8月15日までに韓国軍を打ち負かし、米軍を朝鮮半島から放逐し統一するつもりであったが、国連軍は「韓国にダンケルクはない」と釜山橋頭堡の戦いで撤退を拒否して徹底抗戦をして、釜山の周辺においてようやく北朝鮮軍の進撃を止めた。


2 【仁川上陸作戦と反攻】


マッカーサーは新たに第10軍を編成し、9月15日、アメリカ第1海兵師団および第7歩兵師団、さらに韓国軍の一部からなる約7万人をソウル近郊の仁川に上陸させる仁川上陸作戦に成功した。国連軍は仁川を確保し、続いてソウルを北朝鮮軍から奪回することに成功した。挟み撃ちにされた北朝鮮軍は、朝鮮半島南部への大攻勢で疲弊していた上に、補給路を絶たれ、9月23日には全部隊に北緯38度線以北への後退を命令された。この奇襲作戦によって、北朝鮮軍は部隊行動に著しい混乱が起こり、それまで守勢であった国連軍が攻勢に転じることになった。これはマッカーサーによるイチかバチかの作戦であった。

9月29日には李承晩ら大韓民国の首脳もソウルに帰還した。ソウル北西の高陽では韓国警察によって親北朝鮮とみなされた市民が虐殺される高陽衿井窟民間人虐殺が起きた。この時敗走した北朝鮮兵は中央山地で再編成され、南部軍と称した。南部軍のゲリラ活動に国連軍は悩まされ、数度の大規模な鎮圧作戦を余儀なくされた。


1950年10月1日、韓国軍は開戦以前から「北進統一」を掲げ、「祖国統一の好機」と踏んだ李承晩大統領の命を受け、第8軍の承認を受けて単独で38度線を突破した。10月2日、韓国軍の進撃に対し北朝鮮の金日成・朴憲永(No2)は中華人民共和国に参戦を要請。中華人民共和国の国務院総理(首相)の周恩来は「国連軍が38度線を越境すれば参戦する」と約束していた。中華人民共和国の参戦による戦線拡大を恐れていたトルーマン大統領も、マッカーサーに対して中国人民解放軍参戦の可能性を問い質した。しかし、マッカーサーはこれを即座に否定した。

国連安保理では、国連軍による38度線突破の提案はソ連の拒否権により葬られたが、10月7日、アメリカの提案により国連総会で議決した。これにより10月9日にアメリカ軍を中心とした国連軍も38度線を越えて進撃し、10月20日に国連軍は北朝鮮の臨時首都の平壌を制圧した。

さらにアメリカ軍を中心とした国連軍も、トルーマン大統領やアメリカ統合参謀本部の命令を無視し北上を続け、中国軍の派遣の準備が進んでいたことに気付かずに敗走する北朝鮮軍を追い、なおも進撃を続け、日本海側にある軍港である元山市にまで迫った。さらに10月26日に中朝国境の鴨緑江に達し、「統一間近」とまで騒がれた。

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