第4話 アメリカの中国政策
モンロー主義外交
モンロー主義は、アメリカ合衆国の孤立主義政策の代名詞とされ理想的に捉えられている。19世紀前半、ラテンアメリカ各地で独立運動が起こった。これに対して第5代アメリカ大統領ジェームズ・モンローが、1923年議会の教書でアメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を宣言した。この教書で示された外交姿勢がその後のアメリカ外交の基本方針となった。
アメリカはヨーロッパ大陸における紛争に介入しない代わりに、南北アメリカは将来ヨーロッパ諸国に植民地化されず、主権国家としてヨーロッパの干渉を受けるべきでない。植民地の新設、あるいはアメリカ大陸の独立国家に対するいかなる干渉もアメリカ合衆国への敵対行為と見なすという意図を述べたものであった。
いわば、この宣言は欧州に対するアメリカ合衆国による「アメリカ大陸縄張り宣言」であった。この時点でアメリカ大陸におけるアメリカの野心と自信がうかがえる。「フロンティア消滅宣言」後、ハワイ併合、1898年の米西戦争でカリブ海諸国を実質的に支配下に置き、フィリピン、ガム島を得て太平洋へと進出する。これはモンロー主義に名前を借りた帝国主義的膨張主義に他ならない。アメリカはモンロー主義を放棄した。これは「アメリカ合衆国の縄張りはアメリカ大陸に限らない」ということを意味した。
門戸開放政策
アメリカの中国政策はこの延長線上で捉えるべきである。アメリカは大規模な市場を持つ中国大陸への進出を狙っていた。しかし、既にヨーロッパ列強によって中国分割が激しく進められており、さらには日本がそれに加わろうとしていた時勢であった。そこでアメリカが提案したのが中国の主権の尊重と、中国内における利権の機会均等要求であった。これによって、ロシアや日本の満洲における利権の拡大を牽制した。
1915年 対華21ヶ条要求、1931年の満州事変、満州国建国、日中戦争と日本帝国主義の露骨な暴走で日米は激しく対立することになる。日中戦争に於いては、アメリカは一貫して中華民国、蒋介石政府を支援する。ついに日米の対立は太平洋戦争となった。
ルーズヴェルトの中国政策
ルーズヴェルトは日本敗戦後の大国中国を率いるのが蔣介石の国府であることは当然の前提となっていた。しかし戦争末期国府の後進性や腐敗が現地駐在の外交官などから頻繁にワシントンに伝わるようになると,ルーズヴェルトは次第に蔣介石への失望感を深めていく。当然,中国大国化に対する熱意も失っていった。スターリンとの間で結んだヤルタ協定は,そのことを如実に示している。ルーズヴェルトは同協定において,ソ連の対日参戦の確約と引き換えに,日本の持つ重要な満州利権を戦後ソ連が獲得することに,国府の事前の同意なく支持を与えたのだった。
またこれは中国の分裂状態が将来米ソ間の摩擦要因となるのを防ぐため,ヤルタ会談においてソ連から国府支持の約束を取り付けるためのものでもあった。だが,ヤルタ協定の締結により中国の大国化という目標が正式に取り下げられたわけではない。先に述べたように,ルーズヴェルトの構想は戦後,中国の国連安保理常任理事国の地位として結実した。
トルーマンの中国政策
1945年12 月,トルーマンは国共調停の任に当らせるため,第二次世界大戦の英雄,マーシャル将軍を中国に派遣した。また,マーシャルがワシントンを飛び立ったその日に声明を発表し,国府を中心とする統一中国を支持する姿勢を明確にしたのだった。マーシャルの調停工作は当初,停戦協定を成立させるなど一定の成果を挙げた。しかし,ソ連軍撤退後の中国東北部(満州)において国共間の戦闘が拡大する中、46 年夏には行き詰まり,結局失敗に終わる。47 年1 月,マーシャルは目的を達成できないまま,国務長官に就任するためアメリカに帰国した。
トルーマン政権は,中国援助計画を策定したころにはすでに国府を見限り,中国からの撤退(『中国白書』の言う1 つ目の選択肢)を考えていた。なぜなら,腐敗にまみれ中国民衆の支持を失いつつあった国府が共産党軍の攻勢に耐えられるとは考えられなかったからである。唯一,そうした国府でも救う方法があるとしたら,それは大規模な軍事介入(2つ目の選択肢)だった。しかし,中国で泥沼に陥った日本を見て来たアメリカは、ヨーロッパと比べ二義的な意味しか持たない中国で、莫大なコストを負担しようとはしなかったのである。
蒋介石政府を支援し分割された中国を考えたのであるが、国共内戦に決着がつき、蒋介石は台湾に逃げ込み、1949年10月1日に毛沢東の中華人民共和国が建国された。台湾に侵攻して中国統一をなそうとしていた矢先に朝鮮戦争が勃発したのであった。その後の中国軍の朝鮮戦争介入という結果を見て、トルーマンの中国政策は批判の対象となった。この後のアメリカは台湾政府を正式な中国とし、中華人民共和国を承認しない。しかし蒋介石の大陸侵攻は認めないとする、矛盾した二つの中国政策を当分とることになった。封じ込め政策に中華人民共和国を加えたのである。
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