第16話 かくて映画は完成

かくて、かくて映画は完成したのである。これがテレビの本当のドキュメンタリー番組で『苦悩する映画館主』という題で取り上げてくれたのである。こうして前評判は上々であった。田辺シネマでのオープニングセレモニーにはハシケンは出来るだけ楽しんで貰いたいと『泥の河』との二本立てを主張した。みな賛成!


『シネマ物語』の題に田辺を入れるように主張したのは伊助であった。「広告宣伝やのに名前が入らないのはおかしい」というのである。物語とはなんともないように思われるが、雨宮が調べると、映画に物語が使われたのは新藤兼人の『愛妻物語』と小津安次郎の『東京物語』の2本しかなかったのである。『物語』が新鮮に感じた。そしてドキュメンタリータッチなのに物語としたところが面白いと思ったのである。


雨宮は新人賞を取った時、宮本輝と雑誌上で対談したことがあった。映画製作の趣旨とセレモニーを説明した招待状を送った。当日、出て一言挨拶を貰えることになった。ハシケンへの雨宮の贈り物であった。


銀行の支店長、長山の学校の学生たち、エキストラで協力してくれた商店街の人々、瑛子の劇団の面々で立錐の余地もなかった。そしてどこかの新聞社の記者とカメラマンも来ていた。ドレスアップした由美子も店の顧客たちとともに会場に来て、華やかさを添えていた。壇上には田辺シネマ館主高橋健一、制作責任者雨宮良和、来賓には作家宮本輝が並んだ。司会は藤川鈴子がつとめた。


由美子がスーツ姿の夫を見るのはアパレル時代以来である。その頃を思い出してなんだか夫が若く見え、少し胸がワクワクした。挨拶するときにドジらないでと手を合わせた。出来上がって夫の晴れ舞台を見ると、映画製作に反対したことを少し後悔した。


「父、高橋健吾がこの田辺シネマをオープンさせたのは、昭和28年です。以来、地域の皆様に愛されて35年続けてこれました。最近の映画事情は決してよくありません。『頑張れ!』と昔の仲間が素敵な贈り物をしてくれました。いい映画を提供するために今後も頑張っていく所存です」と、他のメンバーを壇上に上げた。


そしてあの、団令子のおっぱいの話を初めた。会場は沸きに沸いた。


「ここの二人の女性は自分ので足りますので、誘いませんでした」と笑わせ、


「まー、あの頃はそれほど見るのに苦労したわけです。あの年の昭和33年が映画観客動員数は11億人でピークでした。今は2億人を切っています。東住吉で残っている映画館は当館だけになりました。今の映画は乳房を出すのはおけんたいです。乳房が隠されている時代は入場者が多く、見せれば見せるほど客数が減って行きます。この比例函数をどう理解したらいいんでしょうか。どっかの学者先生に解明してもらいたいと思っているほどです。『アホな話をして』と会場に来ている妻に笑われていますので、この話はここまでにします」。聴衆は会場の由美子の方を見遣った。


「併映します『泥の河』は大阪が舞台で、僕の一番好きな映画です。そして父の好きな映画でもありました。父はここに出ている田村高廣が大好きな人でした。僕は監督をしている小栗康平は天才だと思っています。その彼が第一作に『泥の河』を持ってきました。その原作者の宮本輝さんに本日は来ていただき、感動に震えています」と挨拶を締めくくった。


藤川鈴子に紹介された宮本輝は、パニック障害を起こし、小説家になるしかなった経緯を面白く語り、最初の作品『泥の河』が太宰治賞を貰い、芥川賞を貰った次回作『蛍川』が、実際はついた先生の評価が低くオクラにした作品だったことを紹介し、「人生は皮肉な幸運を含んでおり、必死のパッチで何とかなるもんです。この映画が幸運をもたらすことを願っています」と挨拶を終えた。


最後に雨宮は手短に制作の意図を語り、関係者への感謝を述べて挨拶とした。


映画が始まり、由美子の件に触れたところで、由美子は席を立った。雨宮は仕方がないと目を映画からそらさなかった。

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