第11話 泥の河

みなで、自分の昭和の一押しの映画を語ることがあった。


ハシケンの一押しの映画は小栗康平監督*、宮本輝*原作の『泥の河』であった。


宮本輝の第1作品で、これで太宰治賞を取って文壇デビューを果たした。小栗康平も映画監督第1作品にこれを選び、日本アカデミー賞最優秀賞、監督賞に輝いた。雨宮が『泥の河』を読んだとき、俺が映画監督やったら絶対これを映画に撮ると思ったものである。ちなみに、この年の主演男優賞はこの映画に出た田村高廣で、船で客を取る母親役をやった加賀まりこは助演女優賞を取っている。これだけでも、原作、映画ともにいい作品であったことが伺える。


めったに女優を褒めないハシケンが、「加賀まりこがむちゃくちゃ綺麗なんや。この一作だけで女優やめてもええぐらいや」と、えらいほれ込みようであった。


ハシケンの熱の入った名解説が始まった。


「大阪の安治川河口を舞台に、河淵の食堂に住む少年と、対岸に繋がれた廓舟(くるわぶね)の姉弟との出会いと別れを描いた作品や。時は昭和31年、場面は食堂に毎日立ち寄っていた荷車引きのオッチャン(芦屋雁之助)が橋を渡る。そのとき向こうから来たトラックに驚いて馬が暴れる。オッチャンは荷車の下敷きになって死んでしまうところから始まる。大阪でもまだ荷馬車があって、トラックに変わっていく時代をこのシーンで表してるんや。よく朝、食堂の息子、信雄は置き去りにされた荷車から鉄屑を盗もうとしていた少年喜一に出会う。喜一は、対岸にやってきた船に住んでおり、銀子という優しい姉がいる。父、晋平(田村高廣)は信雄にあの舟に行ってはいけないと言うんやが、しかし、父母は姉弟を不憫に思って夕食に呼んで、暖かくもてなす。楽しみにしていた天神祭りが来て、小遣いを貰って、喜一と一緒に祭りに出た信雄は、人込みでそれを落としてしまう。しょげた信雄を楽しませようと喜一は強引に船の家に誘う。喜一はランプの油に蟹をつけ、火をつけ蟹が逃げる様子で信雄を楽しませようとする。蟹は舟べりを逃げた。蟹を追った信雄は隣の部屋の窓から喜一の母の姿を見てしまうんや。男と女の姿を。見られた母親は、次の日船を出す。自分の子供に暖かく接してくれた家族にせめても出来ることなんや。喜一と姉を乗せた舟は岸を離れる。「きっちゃーん!」と呼びながら追い続ける信雄は、悲しみの感情をはじめて自分の人生に結びつけるんや。子役に対する演出が素晴しく、切のうてな。これを、小栗は白黒で撮っている。子供らを見守る周辺の大人たちの生活の中に微かに戦争の匂いを忍ばせて、反戦をさり気なく語り、田村高廣がこの辺を上手く演じてる。親父もこの映画を見て『これやから、映画館はやめられへん』と泣いとった」


雨宮は少年、信夫とハシケンが何故か重なって思えたのである。長い交友関係であったが、いちばん、それを大事に考えていたのはハシケンではなかったかと、雨宮は振り返って思うのだった。


「そんなええ映画かいな。見たかったなぁー」と、皆は声を上げ、何かの折に観ようということになった。


伊助が挙げようとすると、鈴子が「待った、当てるわ。黒沢監督の『7人の侍』か『用心棒』やろう」と言うと、伊助からは思わぬ名前が挙がった。


「えらいショックを受けた映画があるねん。今村昌平監督の『日本昆虫記』や。終わった後も1時間ぐらい頭がド~ンとしてた」


「それ、成人指定やなかった。いつ見た?」と瑛子が聞くと、


「阿倍野のアポロで、高校2年のとき、左幸子が立ちションしながら、目の前のたんぽぽの綿毛をフーと吹き飛ばす最後のシーン、なんだか女の生命力と言うか、強さを象徴していて、無茶苦茶ショックやった」と語った。


「その晩、寝れたか」と五郎が訊くと、「寝れなんだ。あくる日も頭がボーとしとった。授業中も女の先生が左幸子にダブって困ってもうた」と、伊助は皆を笑わした。

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