第6話 田辺シネマ

お酒足りてますか」と、お銚子をお盆に乗せて現れたのが、由美子であった。


「故人は賑やかなのが好きな人でしたから、遠慮なさらず」と、みなに酒を注いで回った。


「あの時の映画の話をしています。由美子さんも座られてはどうですか」と豊が言うと、伊助が豊の袖を引き、豊はしまったという顔をした。


「あの時は大変でしたね。健一にはいい思い出になったみたいですよ。又、手が空きましたら後ほど…」と、由美子は答えて、他の席を回った。婦人服店をやっていて洋装姿しか見せなかったが、黒い喪服がよく似合っていた。


「由美子さん、いつまでも綺麗やね。その綺麗な由美子さん役をやらして貰って光栄やったわ。でも、難しかった。私かて、映画は初めてやったけど、劇ではなんぼも役をやったわ。でもあんなに難しかったのは初めてやった」と言った瑛子の言葉に、一同思い当たることがあって、しばし無言が続いた。


「でも、あの映画があんなに受けるとは思わなんだわ。雨ちゃんのアイデア賞もんのお陰やなぁー」と、みなの気を取り持つように言ったのは、元祖「ひょうきん族」の伊助である。伊助は皆が黙り込んだり、深刻になったときはじっとしておれない。下手なジョークを飛ばしたりしては、皆に軽蔑の目で見られる。


ちょこまかと文句を言うくせに、仲間の誰か同士が諍いになると、これまた身も世もないぐらい心配し、仲直りを懇願する。気持ちはわかるので、伊助に免じてことが収まることが多かった。


雨宮は映画作りに至った経過を、皆の話を聞きながら思い出していた。


ハシケンの映画への情熱と、映画館を続けていく困難さを聞かされているうちに、何とか応援する方法はないだろうかと考えるようになった。雨宮が小説を書くようになったことと、田辺シネマはあながち無関係でない。ハシケンのおかげで随分タダで映画を見せて貰った。いつしかそれが物語を書く栄養素になっていったのは疑いない。


田辺シネマはハシケンの父、高橋健吾が昭和28年に作った。戦地経験のある健吾は38度線で分断された朝鮮は必ず戦争になると読んでいた。戦争となると真っ先に兵士が必要な物は何だろうと考えた。寒い満州経験から軍用毛布を思いついた。闇で儲けたカネを泉州での毛布生産に費やした。目論みは見事に当たった。世の中は徐々に落ち着いてきていた。娯楽に飢えた人たちを慰めるもの、戦前、映画好きだった健吾は映画に目をつけたのだった。


駒川商店街の入口にある銭湯が売りに出ていると知った。銭湯の主は株に手を出していて、スターリンの死による暴落で大損したのである。商店街に娯楽施設が出来ることは、ええことやとした五郎の父親が仲介の労を取った。五郎の父は商店街の役員をやっていて尊敬されていた。そんなこともあって、両家はそれ以降、親戚同然の付き合いとなった。


『社長の健吾さん』と支配人の山崎さんは呼んでいる。みなは「社長」だけでいいのにと思うが、ハシケンに向かっても「お前の親爺」とは言わず、山崎さんと同じように『社長の健吾さん』とからかい半分に呼んだ。売店は母親の加代さん。そして映写技師が二人、1階はベテランの木本さん、蝶ネクタイにベレー帽、いつも身だしなみがいい。


2階は見習い中の吉田君がカメラを担当。切符のもぎりや、清掃は雑用係の若い花子さん。健康そのもの、はち切れんばかりの身体と笑顔が素敵だ。これが当時の田辺シネマのスッタフであった。それと山崎さんを忘れてはいけない。山崎さんは定年退職で、花子さんは結婚して途中でやめたが、木本さんと吉田君は閉館まで続いた。

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