第2話 南海平野線が走っていた街

梅田から地下鉄谷町線に乗り、天王寺を過ぎた。かっては、この上を南海平野線が走っていた。近鉄百貨店前の阿倍野駅から―新地(遊郭)で知れた飛田間は併用軌道で路面を走り、そこから平野までは専用軌道になる。一両車両でのんびりと走っており、晴れた日には、枕木の柵に布団や雨具が干してあるような生活感いっぱいの路線であった。昭和55年に、八尾までの地下鉄開通に路線をゆずり廃線になった。


電車は地下鉄田辺駅のホームに入った。丁度この上が、かっての平野線の田辺駅で、通っている小学校の裏門傍にあった。その駅の近くの路地を少し入ったところで、母親が飲み屋をやっていた。客の6、7人も入れば一杯になる小さな店であった。


2階に3畳と6畳の二間あり、母と息子の住いであった。田辺の次が駒川中野で、雨宮はそこで降りた。5分も行けば駒川商店街、今でも、大阪で3本の指に入る繁盛商店街である。その商店街の入口に大きなパチンコ屋がある。ハシケンの映画館『田辺シネマ』があったところである。


田辺シネマは封切館ではなかった。2番館と言われ、封切りより1、2週間、時にはもっと遅れて上映される。その代わり、配給会社に縛られず、「大映」「松竹」「東映」「東宝」の映画がかけられる。全盛期の昭和30年代には東住吉区だけで映画館が9館もあり、田辺だけでも上記の4社とシネマの5館があった。最後まで残ったのが田辺シネマで2年前に閉館した。


2階もあり、最初は2階では洋画をやっていたが、映画の斜陽化とともに成人映画になり、それも落ち目になり、ハシケンが映画館を手伝うようになって、週末は1回上映の名画座になった。6名に同級生で映画に煩い藤川鈴子、原田瑛子の女性二人が加わって『名画選考委員会』が発足したのである。2か月に一度選考会合が開かれ、そのあとは定例飲み会になった。


商店街の中に入ると、昔ほどの賑わいではないが、人通りは多い。幾つかの商店会が寄って商店街を構成している。だからメインの一本の長い通りの商店街ではなく、横にも何本かの通りがあって幅広の商店街である。


メイン通りの中程にひときわ大きな肉屋がある。そこが、五郎の店である。雨宮が学生の頃はこんなに大きな店ではなかった。食肉卸の羽曳野、藤井寺組の直営店が幅をきかし、五郎の店は、肉よりコロッケや串カツ等の揚げ物で持っていた。伊助は「お前とこは、店の隅の3坪で稼いでいる」と冷やかしたものである。


学校帰りに、小腹の足しにコロッケを買い食いしたが、割烹着を着た五郎のお母さんは、惜しげもなく1個にも1個のおまけをしてくれた。そんな店だった。跡を継いだ五郎が大きくしたのである。そしてこの商店街の会長職を長年務めている。


ここから20メートル南に行った針中野市場の中に、伊助の漬物屋があるはずである。伊助の両親は伊勢から電車で通って来て、露店から商店街で店を持つに至った。その味には定評があり、雨宮の母親は酒の突き出しにここの漬物をよく出した。


『渡辺精肉店』の横道を東に100メートル程行った公園そばに会館はあった。ここで通夜が執り行われる。ハシケンこと高橋健一の通夜である。享年58歳。若い死であった。体格のいい五郎が雨宮を見つけて手を上げた。雨宮は喪主高橋由美子という字を見てホットした。由美子に「ご愁傷様です」と頭を下げた。由美子は「遠路ありがとうございます」とだけ返事を返した。


何年逢っていないのだろう。あれは雨宮が東京に行く時、ハシケンの家で歓送会をやってくれた時が最後だった。あれからもう、かれこれ10年は経っているだろうと、雨宮は思いながら焼香を済ませた。五郎、伊助、和田豊、長山らの皆がいる席に腰を下ろした。藤川鈴子、原田瑛子も来ていた。彼女らを入れると、映画『田辺シネマ物語』を作ったメンバーということになる。


「君、この間出した『龍馬慕情』を見たわよ。本が出ないからもう小説家やめたのかと思ってた」と言ったのは、クラスのマドンナだった鈴子だった。鈴子は弁護士をやっている。


「いつから歴史小説を書くようになったの。あんまり面白くなかったわよ」と、遠慮のない意見を言ったのは、関西で劇団俳優をやっている瑛子であった。


雨宮は中学校3年途中で母の実家のある山口に転校して行った。母の男が事業に失敗したのである。みなが再び雨宮を知ったのは、彼がある雑誌の新人賞を取ってテレビに映った時である。早速、長山が音頭を取って「祝う会」をやった。


雨宮は広島の大学に入ったが中退をし、職を転々として釜ヶ崎に流れて来ていた。とてもみなの前に顔を出せる状態ではなかった。そんな中でも書くことだけは諦めなかった。そして雑誌の懸賞小説に応募したのが『釜ヶ崎人情』であった。釜ヶ崎というドヤ街での仲間たちとの日々を描いたものである。主人公は売れない26歳の漫才師である。当時の彼であった。


こうして再び彼らとの交流が始まったのである。雨宮を除いて同級会は毎年開かれ、その幹事は五郎とハシケンが交代で勤めていた。鈴子、瑛子もクラス会の皆勤メンバーであった。五郎、伊助、ハシケンは同じ商店街同士ということで、毎日クラス会であった。

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