第20話 ナチスの躍進

(1)選挙結果の推移

1930年9月の選挙、1932年7月の選挙、1932年11月の選挙、1933年3月の選挙の推移は次の通りである。

得票率

1930年9月の選挙 1932年7月の選挙 1932年11月の選挙 1933年3月の選挙

社会民主党 24.5%→ 21.6%→ 20.4%→ 18.3%

共産党 13.1%→ 14.6%→ 16.9%→ 12.3%

ナチス 18.3%→ 37.4%→ 33.1%→ 43.9%


1930年の9月の選挙においてナチスは、一挙に500万以上を増して600万票獲得した。1932年7月末の選挙において、ナチス1300万、社会民主党700万、共産党630万という内訳となった。経済恐慌以降、中間層の零落、失業の増大を受けて、左の共産党、右のナチスと両極が伸長し、民主党や国民党の中間政党の凋落が激しかった。


ワイマール連合(社会民主党,中央党,民主党)の与党3党は1919年には率で76% 議席で331/423あったものが、1920年 43,6% 205/459となった。これは、社会民主党が軍部と組んでの反革命鎮圧がワイマール政府に不信を感じたものであったことは明白である。経済恐慌の前に1928年 46,8% 240/491あったものが、1932年7月 34,1% 212/608に、特に民主党は壊滅状態になる。


保守右派政党の国民党、国家国民党は1919年、率で14,7% 議席で63だったものが、20年の翌年は29% 136になって、ワイマール政府不信の逆の現れである。1930年以降は国民党の票はナチスに吸収されていく。


(2)ナチスの経済政策、

ヒトラーは1923年のインフレーションを沈静化させて名高かったヒャルマル・シャハトをドイツ帝国銀行(ライヒスバンク)総裁に迎えた。後に経済大臣になったシャハトの政策は、ヒトラーの前任者であるパーペン、シュライヒャー内閣時代の計画を継承し、公共事業、価格統制でインフレの再発を防ぎ、失業者を半減させた。このメフォ手形*の発行でインフレを伴わない資金調達が可能となったが、政府に見えない負債を膨大に抱えさせる結果となった。

当時のドイツは債務国であり、公的・民間をあわせた対外債務は1933年2月28日の段階で187億2千万ライヒスマルクに達していた。対象国はアメリカが40%を占め、次いでオランダとスイスの順であった。


雇用政策も含め、ナチ時代の経済政策はすべて軍備増強を念頭に置かれたものであった。

ヒトラーは戦争遂行のためには何より民生安定を重要視した。国家の介入による雇用の改善は選挙戦でも最大の公約であった。積極的な公共投資、これも戦争含みのものが多かった。有名なものにアウトバーン(高速道路)の建設がある。雇用政策であるとともに、戦争時の大量輸送を可能にする考えが含まれていた。また、自動車・トラック産業、合成ゴムや人造石油の化学工業への積極投資もおなじような考えであった。

 面白いものに『結婚貸付』があった。所帯道具を揃えるために、結婚当初の2年間に無利子で700マルクを貸し付ける制度あった。結婚後の出産数に応じて返済額が減額される仕組みであった。日本の今、若い人には喜ばれる制度ではないかと思った。消費財工業や住宅建設業の回復に貢献した。中小企業で、できるだけ機械を使わず、人手を増やす企業には補助金をつけるなど、あらゆる手を使った。このようにして、いわれている完全雇用状態を作ったのである。


 1933~35年の経済回復によって経済は安定した。次に「国防力強化」と戦争準備が経済の最優先課題となり、自動車、航空機、電気、化学工業の軍需産業がらみの積極投資の4ヵ年計画が立てられたが、ユニークだったのは、立案・実行が官製ではなく民間大企業の専門家に任せたことである。

 雇用政策や軍事支出を可能にしたメフォ手形を簡単に説明しておく。普通は増税や、国債による調達であるが、軍需関連の4大企業がライヒスバンク総裁のシャハトと協力して作った冶金研究所(メフォ)を媒介にして、インフレを回避し軍備や国家債務の規模を隠す巧妙な方法であった。軍事支出の支払いを受ける企業はペーパーカンパニーであるメフォに振り出す。この手形にはメフォとライヒスバンクの保証が与えれており、銀行で商業手形として割り引かれる。これで軍事支出の20%を賄った。シャハトはこの手形の危険性も十分認識しており、手形の期限を設け償却すると主張したが、ヒトラーはこれを拒否した。


これらの積極策のつけは、結局戦争で勝って解決するしかなかったのである。


各国の国家財政に占める軍事費割合(%)

ドイツ イギリス フランス イタリア 日本

1929-1930年 6.5 14.6 22.0 25.2 36.1

1933-1934年 12.6 13.9 22.7 21.4 38.7

1936-1937年 67.0 24.1 29.9 53.6 48.7


1929年-30年はヒトラー政権ではない時期であり、1933年~34年が少ないのは隠されたメフォ手形である。

建築家でヒトラー政権のもとで軍需大臣を務めた、アルベルト・シュペーアは「第二次世界大戦に参戦しなかったとしても第三帝国は財政赤字で破綻すると思った」とニールンベルク裁判で語っている。

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