第18話 ワイマール時代の経済

(4)ワイマール時代の経済


第一次大戦前のドイツは生産力に於いてイギリスに肩を並べるほどに成長して来ていた。敗戦と1919年革命、20年のカップ一揆とゼネスト、23年のフランスのルール地方占拠の混乱期は大きく生産を落とし、そこに多額の賠償金が重なり、ドイツ経済は麻痺した。特にドイツの工業の心臓部のルール地方の占拠は堪え、マルクの価値は1兆分の1に低下し、「天文学的」インフレーションと形容される事態にまで至り、ワイマール共和国は解体の危機に瀕した。


1923年11月、ライヒスマルクから国内の土地を担保としたレンテンマルクに切り替える(一種のデノミネーション)ことによってインフレーションを抑えることに成功した。これは「レンテンマルクの奇跡」と呼ばれている。

アメリカの仲介のよる「ドーズ案」で賠償金の負担の軽減が図られ、25年には生産も大戦前並みに回復し29年の恐慌まで相対的な安定期を迎えることになった。


賠償金問題が解決することによって、アメリカの資本が流入することになった。これはこういう仕組みである。大戦によって戦勝国になったイギリスもフランスも多額の戦費は対外債務に頼った。債権国になったアメリカは債務の支払いを要求したが、両国はこれを渋った。ドイツの賠償額を支払い可能額にすることによって、賠償金がイギリス、フランスに支払われる。それによってアメリカに債務が支払われる。アメリカはそれをドイツに資本輸出することによって還元するというものであった。


相対的安定期のワイマールはアメリカ化したと言われる。コカ・コーラが飲まれ、ジャズが流行り、ラジオが普及し、大衆消費社会がベルリンなどの大都市で現出した。生産面ではフォードのテーラーシステム(大量生産システム)を取り入れ、生産の合理化を図った。シーメンス・IGファルベンなどのトラストによる巨大企業が現出した。

ただ、アメリカの資本は短期資本であって29年の大恐慌によって資本が引きあげられ、ドイツの経済はまた、大困難に直面することになる。

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