第15話 風のしめす先、の巻
※
「俺の名前は、ジャン・マルクだ!」
空飛ぶペガサスの背に乗った戦士の問いかけに、ジャンは半ばヤケになって答えた。
どんどん高度が落ちていく中で、しかも風のるつぼに流される自機は次第にコントロールを失いつつある。
最初の風の渦の壁、るつぼの地獄はジャンを徐々に破滅へと導いていた。
「マルクか! あのピヨール・マルクの息子! ……貴様の父がどうして空を飛ぶ事を諦めたのか、貴様は知らないのか!?」
「知ったことかっ!!」
ジャンは自分のできる事をするために、懸命に機内でできる作業を頭の中でリスト化していた。
グライダーにパラシュートは無い。だから、不時着するなら胴体着陸だ。ふとみるとるつぼの中心には、巨大で不気味な深い洞窟が口を開けている。
ジャンは覚悟した。このままでは飛びきれない。
「貴様の父もそうだったが! だが、ぬるいな! その程度の気持ちで空を飛んでいたのか!?」
「じゃああんたはどうなんだよ!」
「俺がか?」
「あんたはじゃあそうやって、他人を地面に叩き落とすことだけが目的で空なんか飛んでるのかよ!」
ジャンはそう吐き捨てるように言うと、パネルのカバーを外して操縦桿と接続されたケーブルの束を露出させた。
手元には簡易修理用の工具。これで、どこまで何が出来るのかは分からないが、うまく動かないケーブルをまず先になんとかしなければ。
「フン! その程度の低俗な問いかけに、我は答える必要など無い! なぜなら貴様は、堕ちるからだ!!!」
ペガサスの戦士の勝ち気な声に、竜の火炎も一緒になってジャンのシルフィードを追い詰める。
「うわあ!?」
「ハハハ! 生意気も休み休み言え小僧! しょせん、力なき小者の声は、ただの戯れ言なのだ!!」
「クソォッ!!」
「だが」
竜が火炎をシルフィードに吹きかけ、バランスを崩したシルフィードの翼から氷の結晶がべりべりと剥がれて宙を舞う。
ペガサスの戦士ベレロポーンは槍を構え直すと、自身にも多少飛んできた火の粉を払うとキッと竜と、それから上空を飛ぶ執事のF―23を振り返った。
「恩を返すのは、今かもしれんな」
「恩?」
「貴様の親父殿に不覚にも被らさせられた不名誉な恩だ。我にどれほどの苦痛と生き恥を晒させたか、俺は貴様の父が憎い!」
ベレロポーンはそういうと突如槍を構えて竜と、それから空を飛ぶF―23の間に割って入った。
――何ッ!?――
「悔しいが、俺は男だ! 一度受けた恩は、返さなければならん、ただし!!」
F―23が次の射撃体勢を整え終わって、シルフィードと竜たちに照準を合わせる。
レーダー照射を肌で感じたベレロポーンはさっと懐に手を入れると、細かいアルミホイル片がたくさん入った小袋を取りだし口を開けて、勢いよく空中に中身をばらまいた。
執事のレーダーに濃い空間が広がり、ちょうど対象の選別を行っていたFCSが瞬く間に対象をロストする。
「照準不能!? チャフか!」
『対象をロスト! チーフ、熱源探知で対象の再補足を!』
「だめだ、熱探知では相手の体温が低すぎる!!」
『ノーロックでバルカンを!! コードは分かりますか!?』
「くっ!!!」
「助けるのは一度きりだぞ、小僧!」
「い、いったい何を!?」
「助けてやると言ったのだ小僧!」
ベレロポーンはそういうと槍を構え、バルカンをばらまきながら直近を通り過ぎていくF―23の爆音に負けないように大声を張り上げた。
「俺は貴様の親父に助けられた。それが、ずっと何十年も前のあの話で、しかも自業自得であっても! だから、忘れられん!」
「あの話って……」
「貴様の親父は、ただの空中分解で死んだわけではない。まだ若く、無謀な飛び方しか知らなかった俺を助けて、死んでしまったのだ」
「!?」
「当時の、俺の細かい話はせん。俺は誇り高き、ペガサスの戦士ベレロポーンだ。だが借りた恩は返すぞ、マルクの子!」
ベレロポーンはそういうと構えた槍を竜に投げつけ、今まさにジャンとシルフィードに迫ってひと息にかじりつこうとしていた竜を牽制した。
――ううむ、おのれベレロポーン! また気が触れたのか!――
「俺は戦士だ! 他人を蹴落とすためだけに、俺は空を飛んでいるわけではない! 飛べるなら、最後まで飛んでみせろマルクの子! ただし、一度きりだ!」
――おのれベレロポーン!――
ベレロポーンの声に押されて、ジャンの翼はふわりと空中を流れて飛んでゆく。
みるみるうちに竜たちとジャンの間には距離が生まれ、ついにジャンの翼は風のるつぼの中心地点、巨大な滝と洞窟の入り口上空に差し掛かっていた。
「よし! う、うわあ!?」
巨大な風の渦がジャンの翼を痛めつける。
なんとか操縦系統のケーブルの再調整を間に合わせてジャンは操縦を開始するが、機体はすでに渦の真ん中。どう藻掻いても、この風に乗って外に脱出する事は出来ない。
その時、さらに旋回を終えて空域に再突入してきた執事のF―23がジャンのシルフィードに照準を合わせてきた。
『堕ちろ、お嬢様の敵!』
「げっ!?」
黄色い閃光と共に無数のバルカンがジャンのシルフィードをかすめ飛び、ジャンは思い切り操縦桿を切って上下左右に機体を揺する。
すぐに執事のF―23に追いつかれ追い越されるが、再旋回と再射撃までにはまだ間がある。
ジャンは急いで父の地図を広げて対処法を探すが、残酷にも地図には、その先には何もコースが描かれていなかった。
「地図がない!?」
もともと地図なんてない。
あるのは先人たちが命がけで残してくれた、これが一番効率的だろうと当時思われていた知識や知恵や、それをまとめ上げた目と直感と努力の航路図という小さな紙しかないものだ。
あっかんべーという顔と指と舌の絵が落書きされた父の地図に、ジャンは首を振って地図を投げ出す。
機首先端に取り付けられたのは、風の導を感じ取る小さな毛糸の一本だけ。それも、上下左右に乱流に振り回されてどれもあてに出来ない。
――飛ぶのを諦めれば、楽になるのに。――
一瞬、頭の中で目に見えない天使の声が聞こえる。
「どっちに行けば!? どっちに……うわあ、もう、だ、だめだッ!!」
黒人通訳男性ではないけれど、そうやって頭の中から聞こえてくる声にろくなものはない。
これが病気だって? 嘘かどうかなんて知らないけれど、誰でも持ってるんじゃないかなこんなのは。
分かってるけど。分かってるんだけれど。
ジャンのすぐ下に、巨大で真っ黒な洞窟が広がる。
風のるつぼの終着点。ジャンのシルフィードは風に抗えず、どんどん高度を落としていった。
「父さん。父さんは……いったい、何で空なんか飛んでたんだ? いったい何で、こんな空を」
翼がしなり、機体を殴る強い上下左右からの風の殴り合いに機体中のビスとフレームが悲鳴を上げる。
泣いても誰も答えてくれない孤独な空で、再旋回を終えたF―23がふたたびシルフィードに迫りつつある。
その時ジャンは、機首先端のなにげない小さな毛糸の先が指し示す先を見た。
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