第9話 チキチキマシン猛レース的な、の巻

「しかしお嬢様」

「なに、執事のフランク?」

 望遠レンズを覗き込みながら、カスティヨッサは喉が渇いたので黙って片手を差し出した。

 執事は何も言わず、用意していたアップルティー入りの紅茶カップを手にとって取っ手の部分だけをお嬢様の指にはめて差し上げる。

 カスティヨッサは、何も言わずにそのまま自分の椅子にまたもどるとするりと紅茶を飲んだ。

「んー今はアップルよりアールグレイティーの方がいいわ」

「左様でございましたか」

「でも寒いからジンジャーティーの方がいいかも」

「なかなか前衛的でございます」

 執事のフランクは、今日の自分の名前はフランクだったかと思ってそっと脇を見る。

 そこには執事が事前に用意していた大量のカップと、ポットが無数に並んでいた。

 ということで、新しくジンジャーティーなるもののポットを手にとってカップに注ごうとするとまたカスティヨッサが何かぶつぶつ言いだす。

「ハニーティーにしてちょうだい」

「多少時間が掛かりますが」

 執事はそういうと、大量のポットの列の一番外側に準備してあった白いポットに手を伸ばす。

「何か体が温かくなる物が欲しいわ」

「コートをお持ちしましょう」

「この嵐を止めさせてちょうだい」

「今しばしお待ちくださいお嬢様」

「それで用件は何?」

 執事はごほんと咳払いをすると、単刀直入に今自分が懸念していることを素直に、このカスティヨッサお嬢様の前に進言した。

「先ほど、お嬢様が村長に提案いたしましたあのキスの件についてですが」

「あれね。どう、けっこう面白そうでしょ!」

「おほん」

 執事は少し肺にたまった嫌な空気を咳払いと共に飛ばしてみせる。

 カスティヨッサも、また執事が嫌な事を言いそうだと雰囲気で察したらしく執事を椅子の上から振り返った。

「なに?」

「お嬢様。そのようなことは、シャハラン家のご令嬢がわざわざ村の若い者に対してするようなことではございません」

「あらそう? でも実際にはやらないわよ、演技よ、演技!」

「演技でも、でございます」

 執事フランクはそう力強く言うと、ぴんと背筋を伸ばして腕についた埃を払った。

「村の男に、シャハラン家のご令嬢がそこまですることはございません」

「じゃあ貴方が出てみれば?」

「私が、ですか?」

 お嬢様の意外な言葉に、さすがにフランクも不意を突かれて一瞬固まる。

「そうそう、私も最初はジャン君に頼んで演技でしてもらおうかなって、考えてたんだけど、考えてみればジャン君が絶対一等賞をとれるなんてことは分からないものね」

「左様でございます。ですが私めがこの大会に出て、いったいどうすればよろしいのですか?」

「ジャン君が一等を取れれば、あとでキスは演技なんだって言えば分かってくれるわ。大切なのは演技よ、演技! あとみんなが喜んでくれるような、んー、ケイヒンよ!」

「お嬢様はケイヒンなどではございません」

「あなたが大会に出て、一等を取っちゃえばいいのよ」

「私めが、この大会に?」

 執事は首をかしげて、どういうことなのかを真剣に考え始める。

「私めがこの大会に出て、一等を取れば?」

「そうすれば私のキスだってあなたの考えだって守れるでしょう? ほら、私ってアタマいいからっ」

 執事はこのお嬢様の無茶ぶりに一瞬だけ、首を右から左へと何度か折り返して考え込んだ。

 要は、一等を取る者がお嬢様の貞操の純を冒さないようすればよいのだ。

「かしこまりました。では、そのように」

 執事フランクは後ろを振り返り予備の使用人たちに、ある物を用意しろと手で合図した。

 ついでに右腕を掲げ、人差し指と親指をパチンと鳴らす。

 トレーラーが会場内に現れて、一人用の機体を突然駐機場に飛び込ませる。

 と同時にわあーっとどこかで歓声があがり、見ると駐機場に終結していた一人機体が風に流されてフワリと飛んだ。

 あれは、モンゴルフィエ兄弟の熱気球だ。

 嵐に煽られてどんどん高度を高くしていく金細工の豪華な熱気球に、たまたま気球内に乗り込んでいた羊とアヒルとニワトリがそれぞれ乗って顔を突き出させている。

「お嬢様の清純さを汚そうとする輩、この私めが全力で排除いたします」

「任せたわフランク」

――ゼッケン九番、高度規定により失格!――

 大会アナウンスが会場中に無情に響いた。

 執事は特注のフライトスーツ姿に着替えると、トレーラーから降ろされモンゴルフィエ兄弟たちがいた場所に新たに用意された謎の最新鋭戦闘機、F―23に向かって堂々と歩みを進ませた。

 嵐と激しい横風の吹き荒れる空港に、ついにスタート五分前のサイレンが鳴る。

 機体の最終チェックを終えたジャンは、父の使っていた少し大きめのヘルメットとゴーグルを被ってホックを留めた。

 他のメンバーたちもそれぞれ離陸準備をし出し、ベスパの小型ジェット機もエンジンに火を入れて離陸の準備をしている。

 なおも離陸の準備が完了していないらしいレオナルドダビンチ以外は、それぞれ引き締まって緊張した様相をして見せていた。

 特にジャンが気にしているのは、あっけなく空に飛び立っていったモンゴルフィエ兄弟と入れ替わるようにして飛び入り参加してきた謎のVTOL機と、そのパイロットだ。

「あの顔は、カスティヨッサのあのこわい執事のおじさん?」

 ジャンの頭の中でベスパに言われた言葉と、カスティヨッサに対する自分自身の中途半端な思いが錯綜する。

 自分はカスティヨッサのキスが欲しいのか。それとも何も考えていなかった? 自分が今一番欲しいものは何なんだろう?

 隣ではベスパがぶはぶはと、不格好な小型ジェットエンジンの排気のズルを動かして翼の最終チェックをこなしている。

 ついに滑走路先端に立つフラグマンが、スタートの音と共に白い旗を大きく振りだす。

 最初に、滑走路を走りだしたのはペンギンだった。

「クワー!」

 酒の入っていた瓶を投げ捨てると荒れる横風もなんのその、ぺたぺたと空港を走って翼を広げて断崖絶壁まで走りだす。

 観衆がペンギンの素早い走りに注目し、今まさに空を蹴って大地を離れようとした瞬間!

 ペンギンは強い風に飛ばされて、横になぎ倒されて転んだ。

 機体が滑走路を外れる。だがなおも足を踏みとどまらせて遮二無二前進する。その真横、後ろから断続的に嵐が吹いてペンギンは思うように離陸できない。

 目の前に滑走路の最後が見えてきた。ペンギンは、不安定な姿勢のままえいやっと滑走路先の崖の上から急降下! 翼を開いて、ついにペンギンは空を飛ぶ体勢をとった。

 続いて魔女とうちわを二枚持った人も走って崖から飛び降りていき、彼らの無謀な飛行で飛行大会最初のスタートの火蓋は切っておろされる。

 まともに空を飛べそうなグループの一つ、原始人の大型丸太ヘリはエンジン出力を上げながら離陸を開始する時期を見計らっていた。ライト兄弟とイカロスは、まだ空港脇の風見用タコを見て様子をうかがっている。

 ベスパの顔がジェット機内で嵐の黒雲を見あげ、誰もがまともに離陸できないでいるとき。

 集団の後ろでは着実に、地上作業員とコンタクトを取って強制スタートアップを終わらせようとしている執事のおじさんのF―23が。

 けたたましい轟音にしびれを切らしたらしいイカロスが颯爽と風に乗って滑走路を走り出すと、蝋で固めた翼を広げ究極まで軽くした骨組み、未来を信じて、イカロスは堂々と大地を蹴って空に飛び立った。

 その瞬間である。嵐の黒雲が徐々に薄くなって、ついに太陽が顔を覗かせはじめる。

 イカロスは強い横風に乗っている! 強い風と嵐は、彼にとってはまさに天佑だ。

 だが顔を覗かせた太陽がイカロスの翼を溶かす! イカロスは慌てる。あともう少しだ。この風さえ、上昇気流さえ掴めれば自分は……っ!

 空を駆け抜けていたイカロスだったが、無残にも太陽はイカロスの翼を熱によって溶かしてしまいイカロスは二つの蝋の翼と共に、暗いアドリア海に向けて落ちていった。

 嵐が止んだ。この瞬間を狙ってライト兄弟たちが飛び上がる。

 次々に他の選手達も離陸体勢を整えて滑走路を駆けだして、ついに第二次先陣争いが始まった。

 絨毯に乗ったインド人が! それを蹴散らして竜が飛び立つ! 

 ギリシャの人もペガサスをむち打つ! レオナルドダビンチのヘリコプターはまだ飛ぶ事が出来ない!

 ナウシカさんはメーヴェの翼を広げると、そのままタコの紐に身を預けてセラミックのエンジン出力を上げて垂直離陸した。

 ワン・ツー! どっかのクロトワ参謀が呆れて見送る中、ナウシカさんはたった三回だけ会場上空を旋回すると振り返りもせずどこかへと飛んで行ってしまう。

 宇宙人と未来人と異世界人と超能力者ペアも、ナウシカを指さして負けじと自分たちの世界に帰るべく話し合っていた。

 異世界人がなにか困ったように両腕を広げ、それを見た未来人が肩を抱えて震えだす。超能力者も何か悟ったような顔をしてポーカーフェイスのような笑顔を宇宙人に差し向けると、宇宙人も、黙って無表情のまま幼稚園児が書いたみたいな宇宙船を指さした。

 瞬間、その場にあったはずの宇宙船は忽然と消え去りさきほどまでいたはずの四人組も一緒になって消えた。

 ワープか!

――ゼッケン⑯番、⑭番失格!――

 大会の無慈悲なアナウンスが会場中に響く。離陸争いは、混迷を極めながらも順調に展開していった。

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