第8話 飛ぶということ、の巻

 今すぐ飛ぶというのは機械的に無理なので、とにかく機体を駐車場から正規の駐機場へ、そこから横長の滑走路へと移動させる準備が必要だった。

 ごろごろと遠く空では邪悪な黒雲が広がりつつあり、大会の客たちは盛り上がっていったがその代わりパイロットの方のテンションは下がっていく。

 少しでも気を抜いたら落ちる。飛行機は、普通は嵐の中を飛ぶ物ではない。

 会場にいる観客や記者たちの協力を得て、ジャンはなんとか自慢の機体シルフィードの組み立てを終わらせる。

 場所取りと離陸順はすべて早い者順で、最初に一番有利な場所を手に入れたのはペンギンだった。

 まるでヨユウシャクシャクと言った様子で滑走路の隅にたたずみ、ぐびぐびと器用に自称燃料(アルコール度数四十の透明な液状のなにか)を飲んで酔っぱらって座り込んでいる。

「余裕だなアンタ! あんまり飲み過ぎてると、そのうちノーソッチューでぶっ倒れちまうぜ!?」

 別の飛行機を誘導していたエンジニアの一人がそう声を掛けると、ペンギンは器用にヒレだけ持ち上げて答えた。

 ペンギンの次には竜。こちらは足下にいる観客や他のパイロット達の飛行機を潰さないよう気を付けていたので、やや出遅れたようだ。

 次に空を飛ぶ準備にやや手間取った魔女とうちわを二枚持った人、ペガサスと戦士の人、さんざん色々な人にいじられ遅れを取ったレオナルド、それからインド人、互いににらみ合い牽制しあっているイカロスとライト兄弟、大きな巨木の機体で場所をとる原始人のヘリ、ベスパのジェット機にグライダーのスー、ジャン、宇宙人たちが用意したらしい謎のUFOと別枠のナウシカさん他数名、モンゴルフィエ兄弟、 最後は戦術的に一番最後の列を選んだリンドバーグがそれぞれ並ぶ。

 太陽が完全に嵐の黒雲に隠れ、会場を強い横殴りの風が吹き荒れた。

 大会続行を決意した村長がテントの中で気を揉んで手をもぞもぞさせている様子が見える。

 ここでジャンは、父が昔用意してくれていた古い地図を取りだした。

 地図はこの渓谷用に用意された、古い航路図だった。渓谷に配置されているあらゆる飛行ルートや、その障壁となる障害物、生き物、条件によっては強い上昇気流や下降気流が発生する場所、その強さや向き、絶対に入ってはいけない気流が乱れている所やその目印、障害物の外見的な特徴などが地図には事細かく記されている。

 シルフィードの翼隅が風に煽られふわふわと揺れて、隣に立っているスーがグライダーの最終チェックをしながらまたジャンにちょっかいをかけてきた。

「どうだーい、どっか気になるチームはあったのー?」

「別に! でもスーさん、どうしてそんなに俺に突っかかってくるんです?」

「そりゃあそうさ、だってキミはその……」

 言いかけていたスーの言葉が、スー自身の機体最後の調整バルブを引っこ抜く作業で力んで一時止まる。

「……だって、キミはあのマルクさんの息子さんなんだろ? それにその機体、オリジナルだって言ってるみたいだけどマルクさんの翼と機体でしょそれ」

「で、ですけど! これは俺の翼ですからね!」

「自分で全部作らないからって責めるつもりはないよ。スーさんが一番気にしてるのは、その翼がどれくらい飛べるのかってことさ」

 スーはそういうと、最後の調整を終えて飛行機の操縦系の確認に乗り出した。

 機体を地面に留めるための車止めを蹴って確認して、それから機体に乗り込んで最終チェックを済ましていく。

 さすが大会の常連、準備が滞りない。ジャンも負けじと自分の機体の最終チェックに入った。

「やりかた分かるー?」

「わっ、分かりますよそれくらい!」

「って、気になっちゃうくらいキミは空飛んだ事ないシロートなんだよ。そこが気がかりなの」

 そう言ってスーは、自分の機体の計器と操縦系のチェックをどんどんこなしていっていた。

「だから、そんな初心者がさ、マルクさんの翼に乗ってそれこそクラッシュされたらたまったもんじゃないんだよ。こっちを巻き込まないで欲しいなって」

「ほんっとに、嫌な人ですねあなたは!!」

「悪かったね口が悪くて」

「あなたと父さんは何の関係もないでしょう!?」

「ん?」

「いっ、いやあなたが父さんに憧れてたのは知ってますけど、それでも、そこまで俺にちょっかいかけてくるほどの仲ではないんでしょう!?」

「ああ、そうなの?」

「そうでしょう! だって貴方は父に、空の飛び方を教わったくらいしか何の……」

 そこまで言いかけて、ジャンは自分が失言を言った事に気づいてはっと口を押さえた。

 隣ではひょうひょうとした顔をしているスーが、ジャンの心ない言葉を聞いて笑顔で黙っている。

「いや、すいません。ちょっと、言い過ぎました」

「あの人はすごい人だったよ。空を飛んでる姿は、それこそ本物の鳥なんじゃないかって思ってた」

「あなたは俺の、父を知ってるんですね」

「? そりゃあ記憶に残るくらいにはね。ジャン君はないのかい?」

「まだちょっと、あんまり覚えるくらいには話した事もないんで」

「あ、そう。そりゃあ悪い事を言ったかもねー」

 まったく悪びれもしていなさそうな声でスーが言ったので、ジャンはムッとしてスーの方を向いた。

 けれど、それ以上は何も言わなかった。もうすぐ競技が始まる。

「競技のルールくらいは知ってる?」

「あ、そ、それは、父が遺してた中にそれっぽいのが残ってたのでそれで」

「おいおいそれ何年前のルールブックだい? ん、はいこれ」

 そう言ってスーがわざわざ機体から降りて、またジャンの所に寄ってくると一冊の白い紙束を渡してきてくれた。

「デッドウェイト。先輩からニューカマーにプレゼントだ」

「?」

「ふふふー、少しでも機体は軽い方が良いだろ?」

「あっ汚い! そうやって少しでも自分を有利にしようとするなんて!」

「いらなくなったら捨ててくれていいよー。知らないまま、突っ走ってここまでやってきた方が悪いっ」

「……あなた結局いい人なんですか、悪い人なんですか」

「ベンさんが知ってると思うよ」

 ジャンの言葉をスーは聞いてか、聞かないふりをしているのか完全に無視してまた自分の機体へ戻っていく。

「知りたいだろう、自分の父がいったいどんな人だったか。ベンさんが、あの当時の事故を一番間近で見ているはずだよ。大会で最高齢の人だし」

「誰ですかベンさんって」

 ジャンの質問に、スーはマスクとゴーグルを顔にそうちゃくしてニイと笑った。

「あの人」

 スーの指さした方には、ペガサスに跨った誇り高き古代ギリシャの戦士がいる。

 隣では、ジャンとスーの会話に耳を澄ますベスパの姿があった。

 競技ルールは下記の通り。

 ヒトツ、大会の目的は、大会が指定する空域内に指定されたチェックポイントを通過しつつ、指定時間内にゴールにたどり着き審査員の付与するポイントを競うこととする。

 フタツ、大会審査員は、大会参加者の飛行技術その他に、それぞれポイントを付与していく。ポイントマッチ制とする。

 サン、大会指定の高度を超えてはならない。

 シ、著しく空域を外れる空域を航行してはならない。

 ゴ、チェックポイントを通過しなかった者は失格。

 ロク、著しく危険な行為を行った者は、その行為内容によって減点対象とする(場合によっては得点付与の対象ともなり得る)

 ナナ、あら探ししない。

 ハチ、楽しむ。変なこと突っ込まない。野暮な事言った人は失格。

 キュウ、詳しく勉強したい人は専門書で。

 ジャンは早速、スーのくれたルールブックを地面に投げ捨てた。


「おいジャン!」

 ジャリっと地面を踏みつけて、太ったベスパが何か訳ありそうにジャンに詰め寄ってくる。

 またベスパかとジャンは思って意図的にベスパを無視しようとしたが、その時ジャンの頭に先ほどのベスパの言葉が蘇ってふと顔を上げてしまった。

「なんだ、やっぱ気になってんのな」

「さ、さっきのあれって、あのその、本当なのかよ」

「どのさっきのことだ?」

「う、その、か、かすかす、カスティヨッサ、さんが、その、す、す……」

 ここでジャンが困ったように俯く様子を見て、なぜかベスパはニイと笑う。

 その様子は俯いているジャンには見えなかったが、ベスパはこほんと小さく咳払いするとぽんっとジャンの肩を叩いた。

「安心しろ、俺様はそんなお前らの仲良いところを邪魔なんてしないぜっ」

「ほっ、ほんとかベスパ!? な、なんか信じられないんだけれどっ」

「そんなことよりよ、いいこと教えてやんぜ。なっ、これ」

 言うとベスパはポケットから謎の紙切れを取り出すと、ジャンの目の前にしわくちゃのままずいっと差し出してきた。

「……なにこれ」

「俺様のオヤジが持ってた、この谷の地図」

「そんなの俺だって持ってるし」

「カーッ、古い古い! オマエのオヤジの地図なんて十何年前の地図だろ? 俺様のは最新版だぜ?」

 ベスパは言うともったいぶる様子を見せて地図の紙切れを引っ込め、一人でふむふむと地図を読み出すとまたじろろと意地悪くジャンを見る。

「……新しい秘密坑道とショートカットコースが見つかったんだってさ」

「えっ、ショートカット!」

「でもいらないならやらないけどナ!」

「い、いるいるいる!!」

 ジャンはハッとして慌ててベスパから地図を受け取ると、赤鉛筆とチェックマークで囲まれた新しい坑道と飛行ルートを見た。

「たっ、たしかにこんなルート父さんの地図に載ってない」

「だろ? じゃ、あとは二人で仲良くやりな。俺は普通のコースを飛ぶよ、他の連中も大して違う所は飛ばないだろナ」

「お、おう! ありがとベスパ! けどなんでそんなに優しくしてくれるんだ?」

「そりゃあ、きまってるじゃんよ! 俺とおまえは、ずーっと友達だったろ?」

 意地悪く、不遜に、ベスパは大きな腹と体を揺らしながら手を上げてくる。

 つられてジャンも手を上げて、ここでジャンとベスパは人生初めてのハイタッチをした。

「じゃがんばれよー」

 ベスパは最後にまたそう言って、そのままのろのろと自分のジェット機の方へと歩いていった。

「……せいぜい地面に落っこちないようにナ」

 ベスパはこっそりとそう言って、むふふと口元を抑えて隠れて笑いする。

「カスティヨッサは、ジャンが好きだなんて言ってないし。それに俺だって、ジャンにカスティヨッサが惚れてるなんて言ってない。せいぜい勘違いして一人で踊ってな。うふふふふ」

 突然様変わりしたようにジャンに優しくしてくれたベスパに、ジャンは完全に騙されていた。

 空港エプロンに、飛行開始前の予備アラートが鳴り響く。

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