第6話 スーさんの過去、ジャンの過去、みんなの過去、みんなの軌跡、の巻

「ジャンくんが一番気になってるのはどのチームだい?」

 スーは突然、ジャンの方を振り向くといたずらっぽく目を細めて微笑んだ。

「いやー突然あのマルクさんのお子さんと出会えるなんて思ってもいなかったから」

「スーさんは、父とどんな関係だったんです?」

 ジャンは思った事を、スーに聞いてみる事にした。

「んー、ジャン君のお父さんのピヨール・マルクさんはね。スーさんに一番最初に空の飛び方を教えてくれた人だったんだ」

 そう言ってスーは両手を組むと、まるで鳥のようにしてひらひらと動かす。

「知ってるかい? この空は、とにかく速く飛んだ方がなにかと有利なんだ。それこそサバイバルのレースじゃないけれど、普通は空を飛ばなくたって人は速さを求めるよね。でもオレは飛べなかったんだ」

 じゃりじゃりと駐機場兼駐車場の片隅を歩いていると、そのうち遠くでファンファーレが鳴って村長の祝辞が終わったらしい様子が見えた。

 ついに午後のレースが始まる。休憩時間は終わり。

「オレは飛べなかったんだよ。みんなが炭坑で石炭掘ってるような中でさ、オレは気が付いたら仲間と一緒に下向いて、石炭入れたトロッコ押してた。それで、気が付いたら空なんか見てもいなかった」

「スーさんは、じゃあ最初は本当に空なんか飛んでなかったんですね」

「そりゃあそうさ! それはキミっちのお父さんだって、そのはずだったぜ?」

「ち、父は生まれながらの操縦士でした!」

「ハハハーそうかもね!」

 スーは腹を抱えてゲラゲラ笑うと、それこそジャンの目も気にせずそこらじゅうを転げ回った。

「な、何がおかしいって言うんですか!!」

「あはははははは! いやーごめんごめん、自分で言っておいてなんだけど、あはははは、いや、気が付いたら石炭運んでたとか、生まれてからずっと飛行機操縦してたとか、きいちゃったらなんかおかしくなっちゃって!」

「失っ礼な人ですね!」

「ごめんよ、あはは、そりゃ悪かった!」

 ジャンはぶすうと頬を膨らませて、この非常識でなんとなく、軟派そうな男を見ながらふと、遠目にベスパを見つける。

 ベスパは自分の機体を駐車場から、近場の駐機場へと機体を押しているところだった。機体を押す列にはベスパの父もいて、なんと彼らは自分たちで専用の整備士までやとっているらしい!

「よう貧乏人のジャン! おめえの飛行機、出すの手伝ってやらねーからな!」

「ちぇっ。おまえ絶対、空の紳士とかじゃないよな」

「なんか言ったか」

 デブで傲慢でイジワルで、弱い者にはめっぽう強い、ベスパ・ピジャンツはじろりとジャンを睨んだ。

「おまえやっぱ棄権しなかったんだなー、んだよせっかく人が気を使ってやったのに」

「なんだよさっきから棄権棄権って」

 ジャンは背が低いながら負けん気を持って、睨むベスパを逆にじとりと睨み返す。

 一瞬だけ、眼力の強いジャンに身じろぎしたベスパだったが負けじと一歩前に進み出てジャンの小柄な体を押し倒す。

「おまえみたいなひょろい奴に、なーんで俺様が負けなきゃいけねーんだよ」

「勝つの負けるのってさっきから……なんか今日のベスパおかしいぞ」

「んん」

 二人がこそこそ話していると、そこへスーと、もう一人の男がやってくる。

 ひょろりとした背格好に、ちょっと丈が合っていない燕尾服、高級な紳士の姿でも装っているつもりなのかてかてかにテカらせて固めた髪の毛にひょろっと横に伸びた巻き髭を揺らし、ベスパの父、ヒョットール・ピジャンツが、大会の名選手チトリータ・スーに握手を求めてきた。

「こーれはこれは、こんな辺鄙な村で空の英雄とお会いできるとは思いませんでしたな!」

「失礼、あなたは?」

「おおこれは重ねて失礼! ワシはこの不足な男の親で、ラダー渓谷の飛行大会に協賛金を出しておるこの村の議員、ヒョットールと申します!」

 ヒョットールは少し深めにお辞儀をして、ちらりとスーの方を振り返った。

 つまり立場が上の者が挨拶でお辞儀をしているのだから、それ以上腰を曲げて挨拶しろという無言の強要だ。

 スーはふんっと鼻で小さく笑うと、仰々しくヒョットールのお辞儀の前にもっと深くお辞儀をして返した。

 ヒョットールは満足そうにうなずいて笑う。

「やや、そんなに深々とお辞儀をせんでも! この大会は、あなたのために開いておるようなものですぞ、主賓にそこまで腰を折らせるなど!」

「おやおやそうでしたか! それはそれは、お気遣いをどうもありがとうございますぅー!」

 そう言ってスーはさらにさらに、もっと深くお辞儀をして返してヒョットールの笑みの深さを数倍大きくしてみせた。

「……あいつ本物の太鼓持ちみたいなヤロウだな」

 そんなヒョットールとスーのやりとりを見ていたベスパが、嫌味のごとくチッと舌を打って後ろを向く。

「なんだ、ベスパってお父さん嫌いなの?」

「大嫌いだぜあんなオヤジ」

「へっへー意外っ」

 ジャンがそういうと、ベスパはじろりと睨んでゴツンと拳でジャンの頭をどつく。

「痛っ!? あにするん……!」

「黙れ! おい、ちょっとこっち来いよこのドチビ!」

「もがもがッ!?」

 ベスパの太い肉付きのいい腕が突然ジャンの首を口ごと囲って締め上げると、ベスパは高台の方、カスティヨッサの座る席から見えないところへとジャンを連れていった。

 すぐ近くではスーとヒョットールが、遠巻きに二人の話を聞いている記者たちに囲まれて色々世間話をしている。

「ジャン。どうしても棄権してくれないんだな?」

「どっ、どうするつもりだよっ!?」

「……こうだっ」

 ぐぐぐーっとベスパの腕がジャンの首を締め上げる。

 ジャンはどんどんきつくなってくるベスパの腕の中で一瞬走馬燈を見かけたが、すぐに気を取り直してべしべしとベスパの横腹を蹴った。

「どうし、ぐえっ……なんで」

「……たはあっ、ダメだ疲れた!」

「だはあっ!?」

 意外と力がなかったらしいベスパが腕を解放し、その勢いでジャンはすぐにベスパの腕から飛び出して四つん這いになる。

「はあはあ……な、何をいったい?」

「ジャンあのな……いや、わるかった。悪気はなかったんだ」

「じゃあなんでこんなこ……もがっ!?」

「しーっ、静かにしろっ!」

 ジャンがそういうとベスパはさも困ったような顔をして、二度、三度と首を傾けるとジャンを手招きして手をかざす。

 まるで周りに聞かれたくないような事を言いたそうな格好をして。ジャンは今までそういう大事な事を言うふりをして騙されてきた経験があったので、ジャンはかなり警戒しながらベスパの方へと耳を寄せていった。

「誰にも言うなよ。カスティヨッサがさ、今日、じつはレースが終わったらそのまま実家に帰るんだって言ってたんだ」

「……は? 実家に帰るって、レースが終わったら誰でも家に帰るのは当たり前じゃん」

「バーカ。あの娘の家はここじゃないんだぞ?」

 ん? とここでジャンは今言われた事の意味が分からず、いったん間が開く。

「どういうこと?」

「おまえほんっとに、鳥みたいに軽い頭だな。いいかよく聞けよ? カスティヨッサはな、今日のレースが終わったらな、その足で、今まで住んでたこの村の別荘から離れて、ずっと遠くの元いた家に帰るんだとよ」

 そこまで言われてジャンはハッとする。

 ジャンと、カスティヨッサの出会いはずっと昔。やっぱりジャンがベスパにいじめられていた時だった。

 ジャンは今よりもっとハナタレ小僧できかん気全開だったので、なぜか村はずれにある大きな無人の屋敷の庭に忍び込めと、ベスパに焚き着かれて本当にそれをやってのけてしまったのだが。

 ただその頃はまだ別荘は手つかずの廃墟みたいなものだったから、ベスパもジャンも、その時は幼いからこそ屋敷が本物の幽霊屋敷であると信じて疑わず、それを照明するために屋敷に忍び込んだのだが。

 そんな辺鄙の村にある手つかずの安い物件を、ある富豪が欲しいと思って実はつい数ヶ月前にこの物件を大人の手続きを経て買い取っていた。

 富豪は病弱な一人娘を持っていた。喘息持ちだから、少しでも空気の良いところに送って病気療養させようと、そのとき富豪は考えていたらしい。

 その富豪は計画を立てた後、すぐ実行に移す。

 カスティヨッサは病弱ゆえに、同い年の子らと外で遊んだ事がなかった。この辺鄙なフラップ村には都会で言うところの排気ガスや、有毒な煙など縁のない話だった。

 カスティヨッサはこの村では外に出られていたのだが、たまたまその別荘の下見をしていた日に庭に堂々忍び込んできたのが、その一番最初に彼女が外で出会ったのが、ジャンだったのだ。

 それからもう二人と一人は十年以上の付き合いである。だからカスティヨッサとジャン、それからジャンとずっと腐れ縁だったベスパはいつも三人で一緒に遊んでいた。

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