第3話 エントリー オブ エントリー、の巻

「なんなのアイツ!」

「いやー、ムカツク野郎だな! なんだあのカラス野郎!」

 ジャンが憤っているとその隣でベスパも、腕を組んでうなずく。

 珍しくお互いの意志が通じ合っているのを二人はほんの束の間堪能したが、そのうちベスパの方が丸めたパンフの先でポコンとジャンの頭を打った。

「痛っ!? あにすんだコノヤロー!」

「あいつ、俺と同じ年なんだってさ。信じられるか?」

「おまえと一緒とかどうかなんてそんなの知らないねーし! バーカ!」

 イーッと口を広げて舌を出す背の低いジャンに、ベスパは呆れた顔をしてそのままパンフレットを投げて寄こしてくる。

 ページが大きく折られた箇所にさっきの男の写真と飛行機の写真が載っていて、そこにはでかでかと、昨シーズンの隣の地方戦優勝者と、それからここより一つ上の地区方面戦で常に順々優勝を手にしている安定した名パイロットとしての「チトリータ・スー」の名前が書かれていた。

「なにこれ?」

「それが、さっきのあのカラス野郎の詳細なんだとさ」

 ベスパは自分の車に戻っていきながら、今度はふと振り返ってジャンを指さしてくる。

「俺は売られたケンカは買うけどな! いいか、おまえマジで俺の邪魔すんなよ!?」

「俺だって売られたケンカは買うし! 邪魔なのはどっちだっ!」

 ジャンが言うと、その様子にすこし困ったような顔をして、今度はいやにぷりぷり怒りながらベスパは自分の車に乗って、渓谷の頂上まで走って行ってしまう。

 しばらくジャンはパンフレットを読みながら、ふと思うことがあって「んー?」 と首をかしげて考える。

それからはっとして、谷の上と、それから自分の白い翼の飛行機、ピカピカのシルフィード号を振り返った。

「あ、あのスーって奴がいると俺もベスパも、このままだと絶対に一位は取れないのか!? なにそれ!?」

 ジャンの頭上を、午前の部を飛んでいるらしいモータープレーンが低空で飛びすぎていった。

 ジャンは貧乏少年である。

 村の男のほとんどがそうであったように、よく飛ぶ事で有名な飛行機野郎だった父のピヨール・マルクと、そのピヨールに惹かれて結ばれた母カッセラ・マルクの間に生まれた、たった一人の子供だった。

生まれた頃からジャン・マルクはこのフラップ村に住んでいて、しかも村全体がこの飛行機大会地区予選会だけで廻っているような小さな村である事もあり。

ジャンにとっては、飛行機はもはやあって当たり前の存在でもあった。ただしジャンが空を飛ぶまでに、ここまで長い間を作ってしまったのには理由がある。

ジャンの父ピヨールは、ジャンに物心が付く前の頃に航空機事故に遭ってこの世を去っていた。

その事故の原因が、ピヨールが自分で設計して自分で組み立てて自分で飛んでいた機体の構造欠陥だったと当時は噂された。

実際は構造欠陥はどこにもなかったのだが、この不名誉な事故にあって死んだピヨールの後は、ピヨールが設計した航空機の運用はおろかピヨールが手を着けた機体にすらも飛行禁止処分が下ってしまう始末。

今に至っては飛行禁止処分は解除されたが、未だピヨールが死んだ墜落事故の原因ははっきりしていない。

この事件は小さなフラップ村に、確実に一つの闇を作った。

ジャンはそのピヨールの一人息子だ。誰もジャンに飛行機を貸したり触らせたりしようとしない。

 もともとジャンの家は貧しかった。母親カッセラの献身的な働きぶりでなんとか一家は生きていたが、それでもジャンたちの家の家計は苦しい。

だから、ジャンは今まで空を飛ぶ事が出来なかった。


 転機が訪れたのは、ジャンが母親の家計を助けるべく村の定期便用空港で働いているときだった。

 献身的に働くジャンの姿を見て気に入った輸送機の機長が、トラックと大会に出るための資金の一部を援助してくれると約束してくれたのだ。

 ジャンは喜び、急いで家に帰ってこのことを母のカッセラに報告する。

 カッセラは驚き喜んだが、同時に懸念も抱いてジャンを引き留め、だがどうしてもと言うのならと父ピヨールが遺した機材と機体一式をしまってある格納庫の鍵を開けてくれた。

 それが、今年中盤の頃か。ジャンはそれから、村の空港で定期便の荷下ろし荷揚げの仕事をしながらこつこつと自分の飛行機を組み立てていった。

 それが、この新品でぴかぴかの、軽くて丈夫で、速い、ジャンの自慢の最新鋭グライダー「シルフィード」の全容だった。


 ジャンがラダー渓谷頂上までたどり着くと、もすうでに大会の午前の部の出場者は全機離陸を終えておりこれから午後の部の大会開催宣言がなされるところだった。

 小柄でへんくつで、ちょっと気分の浮き沈みが激しいことで有名な村長が演説台に昇ろうとしている。

 天候は、ハレ! 気流は安定して谷へとなだれ込んでいき、気温は暑くもなくちょうどいい。

太陽の日差しもやや強いが、それに暑くはないがちょっと肌寒いかもしれないがそれくらいで申し分ない。

ジャンが指定されている駐車場に車を留めると、駐車場には世界各地から集まったらしい車と車、飛行機と飛行機の山、列、人、それから色とりどりのレースクイーンやカメラ小僧、怪しい黒マントを着た背高のっぽ帽の貴族たちやメカニカルジャケットを着込んだ老人などが、そこらじゅうに大量にうろうろしていた。

中でも一番目を惹くのは、歴戦の名パイロットたちが機体を寄せている専用エリア。

写真を担いだカメラマンや新聞記者達がめいめいにパイロットにインタビューをとっている。

ジャンは彼らからすこし離れると、大会のエントリーシートを済ますべくすぐ近くのテントに向かって歩いていった。

「ここに機体の名前と、種別と参加するコースと、他の必要事項にチェックして、あとあなたの名前をここに。あとこの保険にもサインしてください」

 大会の受付嬢は素っ気なくそういってジャンに書類を示すと、ジャンが書いた名前と機種名を見てからふと顔を上げてきた。

「マルク? ジャン・マルクって、あの墜落事故の?」

「そうですよ。その息子ですけどなにか」

 すこし仏頂面しながら、ジャンは自分の名前を書類に殴り書いていく。

強い横風が書類の端をばらばらめくると、受付嬢が書類の端をそっと抑えてくれた。

「気にしてるならごめんなさいね。でもあれは、不幸な事故だったから」

「べつに気にしませんよ、もう。あ、飛行禁止処分はもう終わってますからね」

「ええそれは知ってるわ。でも奇遇ね、あの事故を知ってる人が何人も集まってる大会で、その本人の息子さんがまた復活するなんてね」

「誰です? 事故を知ってるって」

「さあー事故そのものが誰も話したがらない事だから。詳しくは分からないけど、たぶんベンさんあたりなら知ってるんじゃないかな」

 そう言って、受付嬢の人は大会開催の喜びをとうとうと語っている村長の台の近く、群衆の中に混じっている数人のパイロット達をペンでさした。

「彼らなら、色々知ってるかもね」

「そうですか、どうも」

「ハイ、これでエントリーは終了よ。頑張ってね!」

 エントリーシートのコピーをもらってジャンはその場を後にすると、大会午後の部スタートのファンファーレがかなり大音量で会場中に響いた。

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