if:間違いじゃなくて、(4)

 踊り場での会話と出来事について、覚えている限り正確に話した、と思う。お姉さまは美しい顔を不機嫌そうに歪めながらも、口を挟むことはなく、短く相槌を打つ以外は黙って聞いていた。


 話を聞き終えた彼女は瞠目し、軽く目元を押さえた。


「とりあえず、ミリー。貴女は今日からしばらく、学院内では私から離れないように」


「え……あ、はい」


 先程の騒ぎよりも以前に言われていたならその場で飛び跳ねて喜んでいたかもしれないお嬢様のその言葉にも、今の私は喜びを感じることはできなかった。それが自分の気持ちの沈みから来る違いなのか、お姉さまの声音の硬さによるものか、あるいは――。


『……もしも私の言葉をそのように感じたのなら、それこそがミリエールさまがご自分で向き合うべき壁ですわ』


 エルザベラさまの言葉の通り、私はまだお姉さまの隣に相応しくないと感じているからか。


 お姉さまはその後も、顎に手を当てて何ごとかぶつぶつ呟いていたけれど、それは誰に向けられたものでもなく彼女自身が思考を整理するためのものらしく、ほとんど声もなく口を動かしているだけで聞き取ることはできなかった。


 もしも私の立ち位置にエルザベラさまがいたなら、お姉さまは詳しくその考えを語ってくれたのだろうか。エルザベラさまは、仔細が聞き取れずとも彼女の考えを理解できたのだろうか。


 そう思った時、私の内側にこみ上げてきたのは、もはや慣れてしまった嫉妬とは違う、慣れているはずなのに、感じる虚しさと苦しさは増すばかりの無力感だった。


 私では、お姉さまの力にはなれない。相談してもらうことも、それどころか考えを話してもらうことさえもできない。


 私がお姉さまの信用に足りていないのか、相談相手として、友人として、相応しくないのか。……相応しくないと、私自信が思っているのを見抜かれているのか。


 もう、私には何もわからなくて。


 こうなってしまった以上はもっと建設的なことを口にしたいのに何も頭に浮かばず、私はただもごもごとお姉さまの言葉に小さく頷くことしかできなかった。


 エルザベラさまだったら、きっともっと上手くやるのに。そんな根拠のない漠然とした確信に、今は嫉妬よりも羨望が勝った。


***


 私から離れないように、とお姉さまが言った意味を、これ以上騒ぎを起こされては困るから目に見える場所にいろ、というお叱りだと私は捉えていた。けれどお姉さまの考えはそうではなかったのだということを、早くも翌日の学院で私は感じていた。


 ただでさえ目立つお姉さまと一緒に行動する機会がそれなりにあったり、最近はエルザベラさまに食って掛かったりしているので視線を浴びること自体にはそれなりに慣れている。


 ただ、今私に向けられているものは、そうした普段向けられているものと質も数も違っていた。


「…………」


「――――」


 あからさまにこちらを注視したり、指差してくる者は少ない。けれど明らかに見られていると感じる。ちらりと一瞬こちらに視線を向けては、近くにいる者同士でなにごとか囁き合っている。


 含まれるのは悪意や棘ばかりではない。ないけれど、好意的なものも少ない。最も多く感じられたのは好奇であり、そして非難の色。


 ――エルザベラさま、今日はご欠席ですって。

 ――階段から突き落とされたって本当ですの?

 ――クレアラートさまはどうお考えなのかしら。


 突き落としたわけではない、と弁明の言葉を叫びたくなったけれど、どうにか飲み込んだ。誰が言ったのかもわからない、誰に言い訳したいのかもわからないのだから、言えるはずもない。


 これまでだって同年代のごく普通の令嬢たちよりは、いろんな種類の視線を浴びてきたつもりだった。何かと目立つことの多いお姉さまやエルザベラさま、あるいはマリーナ王女と関わる機会もあったから。でも、そうした視線は私達ではなく、私と一緒にいる誰かに向けられたものだったのだと痛感する。


 称賛も侮蔑も、好意も好奇も、それらはいつだって誰かを「取り巻く」私に向けられてはいなくて、たまたま彼ら彼女らの視界に映る場所に私がいただけに過ぎない。


 でも、いま向けられる視線はそうじゃない。私自身と、昨日の私の行動に向けられた視線は質量を伴うみたいに重く、鋭い。私に突き刺さって、私の内側にまで染み込んでくる。私を非難する視線を浴びせられていると、いつの間にか私自身まで私を強く非難したくなってしまうような、そんな感情の毒素をじわじわと感じている。


「ミリー」


「は、はい」


 そんな視線を、お姉さまは周囲を軽くひと睨みして散らすと、私の手をそっと握ってくれた。


「貴女が何者かを決めるのは周囲ではありません。無論私でもありません。それを決められるのは貴女だけ。貴女の振る舞いを人は評価しますけれど、それは評価でしかありません。そこにある意思も、意味も、周囲は加味していません」


「……意思と、意味」


「貴女は確かにエルザを傷つけました。それを周囲は非難するでしょう。ですが、貴女が何を思い、何のためにそうしたのか。そのことを今、どのように感じているのか。それを決められるのは他の誰でもない貴女だけですわ」


 だから周囲の目に、怯えてはいけない。振り回されてはいけない。染み込む毒を、自分の中から生じたものだと勘違いしてはいけない。


 お姉さまは変わらず不機嫌そうに眉根を寄せながら、しかしかつてのように激しく感情を昂ぶらせるのではなく私を諭し、導くようにそう言ってくださった。


 それは決して、優しいだけの言葉ではない。昨日の出来事を、どう受け止めるのか。それを人任せにするなと、そう言われているのだ。


 教えられ、導かれて、それでも未だお姉さまの目線には遠く及ばない。見えているものが、私はまだまだ小さすぎる。


 それでも必死に考えるしか無い。お姉さまの隣に立ちたいのなら、私自身が考えるしか無い。昨日、エルザベラさまが言っていた通りに。


『私はクレアの友人になろうと決意した時、他の誰のことも考えませんでしたよ』


『私はただ、クレアを友人として尊重し、友人として諌め、そして何より彼女の隣に立つに相応しい人間であるように努めただけなのです。そうしてあとはーー』


 その先、あの賢い女性はなんと続けるつもりだったのだろう。あの時は耳をふさぎ、大声でかき消してしまいたくなった言葉の続きを、いまは身勝手にも聞いてみたいと思う私がいた。

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