if:間違いじゃなくて、(2)

 エルザベラという人間はゲームでも、私が生きるこの世界でも、完璧令嬢ではあったけれど、無敵の超人というわけではなかった。まぁ、私が前世の記憶と意識を取り戻してしまってからはその完璧さに陰りが出ている気もするけれど、そこは今回の問題ではないとして。


 怪我、は多くはないけれど病気で寝込むようなことは幼い頃には何度か覚えがあって、ここ数年でも一度か二度、重症の風邪のようなもので寝込んだことが無いわけではない。


 そうやっていつもの穏やかな睡眠とは別の理由で意識を手放した時、大抵目覚めた私を覗き込んでいるのは侍女であるアニーだった。もちろん両親や他の使用人たちも心配してくれていたが、とはいえ彼らにも役目や仕事がある。私つきの侍女であり、いつも私の身を第一に案じてくれているアニーが公私どちらの点でも私の看病をするのに適任だったのだろう。


 熱に浮かされながら目を開けた時、アニーの優しげで、そして少し疲労の滲んだ掠れ声で「ご気分はいかがですか、エルザ」と、いつもと違い名前を呼んでもらえるのが、私は結構好きだったりして。おかげで病気の辛さは思い出の中ではそれほど色濃く残ってはいない。


 と、だからそんな侍女自慢は今回の趣旨ではなくて。


 意識を失って、その意識が私のところへ戻ってきて、目を開けて。そうして最初に目に入った人物があまりに想像の範囲外だったので、怪我だとか体調だとか状況把握だとかを差し置いて、思わずその人物をまじまじと見つめてしまったのも致し方ないだろう、という話だ。


「…………んぅ」


 すーすーと規則的だった寝息が、私が身を起こしたのに反応してか少しの身じろぎを差し挟むために中断される。けれど再び私の膝辺りにもたせかけた頭の置きどころに満足したのか、寝息が落ち着いたマイペースなものに戻った。


「……えっと」


 なんで。どうして。


 混乱する頭で意識を刈り取られる前の状況を思い出す。


 階段でミリーを諭そうとして、ついつい自分の感情に任せて喋りすぎた。私の言葉足らずと、ミリーの反射的な言動が合わさってやや言い争いめいた展開に発展し、口論の勢いそのままに手を上げようとしたミリーから距離を取ろうとして階段を踏み外した私はそのまま意識を失った。


 頭を打ったんだろう、と後頭部に触れようとした右腕が痛み、そこでようやく私は自分の腕が添木と一緒に包帯に巻かれて固定されていることに気づいた。


 骨折、まではいかないかもしれないけれど、どうやらしたたかに打ち付けたのは頭だけではないらしい。


 そうしてひとまず自分の状況を把握して、改めてベッドに身を起こした私の膝下で寝息を立てる姿を見やる。


 なんで、ミリーがここで寝てるのかしら。


 視線を巡らせるまでもなく、窓から差し込む昼の日差しや身体に馴染んだベッドの感触から、ここがフォルクハイル邸の私の部屋なのは明らかだ。室内に他の人影はなく、なぜかミリーがぽつんと一人、寝息を立てている。


 なんで。

 さっきも浮かんだ言葉が脳内を埋め尽くす。


 いやまぁ、もちろん彼女は私がこうして家のベッドに横になっていることと無関係ではない。ないけど、直接の加害者という訳でもないし、そうだとしてもここにいるのはおかしい。さりとて私とミリーの関係は、怪我をしたから付きっきりで看病するような仲でもない、と思う。


 私が逆の立場だったとして、もちろん容態は気になるし出来ることがあれば手伝うだろうけれど、相手の膝で寝落ちするほど四六時中世話を焼くような距離感ではないと思う。それは相手を想う気持ちの大小というよりは、今の私達の関係性に於いて適切な距離感、という意味でだけど。


「……ミリー」


 寝ている彼女の顔があどけなかったからか。それとも、その頬にうっすら、涙の跡が見えたように思えたからか。私は彼女に聞こえないのをいいことに、いつもの「ミリエールさま」ではなく、一度も読んだことのない愛称で呼んでみる。


 その声に反応した、という訳でもないだろうけれど、ミリーの眉がぴくりと動いて、ゆっくりとその目が開かれた。


「おはようございます、ミリエールさま」


「…………?」


 ミリーは目を開けたものの意識の方が追いついていないのか、いつも私を見るときの険のある目つきではなく、どこかとろんとした焦点のぼやけた目つきで私の顔を見て、きょろきょろと部屋を見回し、自分の身体を見下ろし、そしてもう一度私を見た。


「……エルザベラさま‼」


「は、はい」


 ぐわっと身を乗り出してきたミリーに、ベッドに背を預けている以上後退できない私はわずかにのけぞるくらいでしか距離を取れない。


 ミリーは私の無事な左手を両手でひしっと握ると、その手を自分の額に押し当て、そしてはらりと涙をこぼした。


「ミリエールさま、あの、涙が……」


「っ、――も、申し訳、ございませんでした」


 こぼれた涙を拭うこともせず、ミリーは私の手を握ったまま、震える声でそう口にした。

 ……あとで知ったことだが、私が意識を失ってから、三日が過ぎていた。

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