if : 侍女に恋を、主に愛を(6)
「な、なんっ、お嬢さま!?」
「お待ちしておりました」
珍しく取り乱すアニーとは対照的にいつもどおりの何を考えているのか、もしかして何も考えていないんじゃないかと思わせる表情のレイラはぺこりと一礼すると「では」と私と入れ違うようにして部屋を出ようとする。
「え、ちょっと、レイラ」
「ごゆっくりどうぞ。今夜私は侍女長のところにお邪魔しますので」
「悪いわね。私からもあとでお礼を言うつもりだけれど、侍女長によろしくね」
「お気遣いなく。私達は仕える者なのですから。……アニエス、うるさくは言わないけど、朝の換気は忘れないでよ」
「何の話ですか!」
アニーの悲鳴みたいな叫びには何の反応も示さず、私に改めて一礼すると、さっさと廊下へ出て行ってしまった。
「ど、どうしてお嬢さまがここに……」
「レイラに頼み込んだの。今夜、アニーと二人で話をさせて欲しいって。レイラにはその前に少しだけ待ってもらえるなら、と条件をつけられたのだけど、いまの話を聞かせたかったみたいね」
「罠じゃないですか……」
「そうかしら。私は、聞けてよかったけれど?」
ほんと、よかった。
今の話を聞いても聞かなくても、私の言うべきことは変わらないつもりだけど。それでも、アニーが望んで私を遠ざけようとした訳じゃないとわかれば、それだけでも幾らか気が楽だ。
「ねぇアニー。気持ちは、やっぱり変わらない?」
「……これ以上、私がお嬢さまのお傍にいては、きっとご迷惑をおかけしてしまいます」
「理由を聞かせてくれるかしら」
もしかして、と思うことはあるけれど、私はあえて素直に尋ねた。決めつけてしまいたくない、私の願いを押し付けたくない、そんな気持ち半分。そしてもう半分、アニーには自分の口で、本当のことを話して欲しい。何かを隠して避けて通るのではなく、私達はお互いにちゃんと自分の言葉で気持ちを伝えられる関係でいたい。
それが主従でも、友人でも、家族でも、あるいは……もっと別のものだったとしても。
「そ、れは」
アニーが言いよどむ。でも、その躊躇いに、私は内心で安堵の息を漏らした。
私は彼女の要領の良さを知っている。ひとたび隠そうと決めれば、騙そうと思えば、嘘をつこうと判断したのなら、彼女は完璧にやってのける。躊躇うということは、彼女の中にまだ真実を話したいという気持ちがあるということ。少なくとも私はまだ、彼女の本音を聞くに足る人間だと思われているということ。
「…………」
俯いたアニーの唇は震えている。
強制はできない、したくない。私はあくまでもアニーに「聞かせて欲しい」と、そう頼むことしか出来ない。その願いが届かないとしたら、それは私が彼女の信頼に足らなかったということ。
……それは、嫌だな。泣くかもしれない。
でも、それでもなのよアニー。それでも、私は貴女と離れたくない。それだけは、ちゃんと言わなくちゃ――。
「っ、んぅ!?」
なんて、真剣な私の決意は突然押し付けられたアニーの唇の感触に上書きされる。
「ちょ、アニ、んんっ」
「ん……ぁ、む……ちゅ」
ちょっ、待って深い! キスされてるだけでも頭が爆発しそうなのに、唇を舐められて、
「っ、んん、っぁ……はぁ、はぁ」
「っは、っは……ん」
一緒に吐息を乱すアニーの口元に一筋伝った糸を、彼女は無造作に手の甲で拭った。
「これが、理由です」
「……な、なるほど」
ぽーっと熱を持った頭を軽く振って冷ましながら、私はどこか間の抜けた返事しか出来ない。そっか、そういう、理由か。いやうん、考えなかったわけじゃない。そういうこともありえるのかなとか、そうだったらどうするかとか、考えなかった訳じゃないけれど。
そっか……そっかぁ。う、顔の熱が引かない。
「お分かりですよね、ただの侍女でしかない私がお嬢さまにこんな気持ちを抱くなんて、あってはいけないんです。私はずっと、そんな自分を隠してお嬢さまと接してきました。侍女、失格です」
私の頬にはまだ熱が残っていたけれど、俯いたままのアニーが訥々と語る言葉には諦念が滲んでいる。本当のことを話したら、全てが終わってしまうと思っているみたいに。
やめてよ、そんな顔しないでよ、とそう言いたくなる気持ちを堪える。本当の気持を隠さずに伝えてほしいと言ったのは私だ。それがどんな内容で私が何を感じようとも、彼女が全てを語り終えるまで、口を挟んではいけない。
何より私自身、今は思いを伝えたいよりも、思いを聞かせて欲しい気持ちの方がずっと強かった。
「今までは、隠そうと努めてきました。完璧なお嬢さまの完璧な侍女でいようと思って、そうあれかしと己に課してきました。上手くいっていた……少なくとも、私はそのつもりでした」
でも――。
「ダメなんです。私はもう、お嬢さまの一番でない自分が認められません。侍女は主の道具たれと言われながら、主人の寵愛を欲してしまう。お嬢さまを幸せにして差し上げたいと願いながら、クレアラート様に嫉妬している。そんな自分を、お嬢さまに相応しい侍女でいられない自分を、私自身が何より許せないのです」
「……クレアとはただの友人よ? そりゃ「ただの」というには少し行き過ぎているかもしれないけれど、それでも友人だわ」
私としては仲の良い友人、そのつもりだし、クレアもそれはわかっているから、軽口やスキンシップを許してくれている。そのことはアニーもわかっているはずなのだけど……これは、私が悪かったわね。
私の前世については、クレアに婚約破棄を勧める時に勢い余って口走ってしまった以外では誰にも話していない。クレアにも詳細は伝えていないけど、彼女は私の話した内容から、多少なりとも違った価値観の世界を経験していたことは察してくれている。だから私の、こちらの常識では幾分はしたなく見られかねないスキンシップについても、時と場を弁えればお目溢ししてくれている。
クレアが許してくれるなら、と私は気にしていなかったけれど、そんな姿を私の専属であるアニーはずっと見ていたのだ。なんの説明もなく、私とクレアのJKみたいな気軽な触れ合いを見ていたら、近すぎると思われても仕方ない。
「わかっています、わかっているんです。でも、それでも、ご友人であるクレアラート様が私よりもお嬢さまと親密で、そんなの、侍女と友人ならどちらが親しいかなんて明らかなのに、対抗心を持つだけでも傲慢なのに、それなのに……ッ」
「……ええ、そうね。ただの主従なら、主の交友関係に嫉妬なんてしないものね」
そりゃ、レイラがお母様のお友達にヤキモチなんて妬いてたら、私だって妙な感じがしてしまうだろう。この世界の常識で普通の主従というのはそういうものだ。
信頼はあっても、それだけ。
主従とはそれ以外の何かに代わる関係ではなく、他の何かが混じる余地も、持ち込む余地もない。
「たとえ侍女として間違っていても、この気持を隠すことは出来ても、偽ることだけはできないんです。それはお嬢さまに教えていただいたことを、私を救ってくださった言葉を、裏切ることになるから」
「……そっか」
アニーは私に仕えるようになってからも、自分のことはあまり語らなかった。私と出会う前の彼女が自分は人とは違うのだとひどく悩んでいたのは知っていたから、私も敢えて彼女自身のことを話題にすることはしなかった。
でも、あの日私がかけた言葉を、ただあの一言を裏切らないためにこんなにも彼女が苦しんでいたのなら、もっと早く私達はお互いの気持について話し合うべきだったのかもしれない。
「ごめんなさい、アニー」
「どうしてお嬢さまが謝るのですか。私は、貴女が寄せてくださった信頼をずっと、裏切り続けていたのですよ。侍女でありながら貴女を愛してしまった。クレアラート様に嫉妬して、傲慢にも貴女を私のものにしたいと思ってしまった。そんなの、許されていいはずがありません」
「どうかしら、そうなのかもしれないわ。着替えも湯浴みも、私はずっとアニーに任せっきりだったもの。普通なら、騙されたと思うところなのかしら」
悲壮な表情のアニーとは違って私は、彼女に身を清められている時、もしも振り向いたらいったいどんな顔をしていたのだろう、なんて悪戯めいた気持ちになるばかり。……これ以上一方的にアニーの気持ちを知るのは、ちょっとズルいかしらね。
「……ねぇ、アニー」
「……はい」
覚悟は決まったとばかりに目が据わっているアニーに、むしろ私は微笑ましさを覚えてしまう。いけない、なんだか意地悪して喜んでいるみたい。そうじゃないの、ただ、私達はもう大丈夫だって私は確信しているだけ。
「貴女は、侍女失格なのかもしれないわ」
「はい、わかっているつもりです」
「でもね」
でも、と私の否やに顔を上げたアニーに、私は私にできる限り一番の笑顔で応える。親友に教えてもらったのだ。欲しいものがあるのなら、私はちゃんと、手を伸ばさなくては。
「それなら私も、貴女の主人失格だわ」
「……え?」
きょとんとするアニーを、ぎゅっと抱きしめる。……身長差があるから、抱きしめるというより抱き付く感じになってしまうのは、少し格好がつかないけれど。
「主を愛する侍女が失格なら、侍女に恋する主人も、きっと失格だと思うの」
「…………………………は」
ぽかんと、私が知る限り一番間の抜けた顔をしたアニーを見上げて、抱きついたまま少し背伸び。触れるだけのキスに、さっきは自分で舌まで入れたアニーがぼんっと音を立てて赤くなる。
「な、な、ぁ、え?」
「どこにも行かないで。ずっと傍にいて。ねぇ、お願いよアニー」
「お嬢さ」
「エルザよ」
「え?」
「エルザ、って呼んで欲しいわ。だって私達はもう、ただの主従じゃないのよ?」
「そん、それは、その、ぇ、えー……?」
「それとも、主従の別を破るのは嫌かしら?」
困り顔であわあわと視線を彷徨わせるアニーに、私はぷくぅと頬を膨らませる。彼女は気づいているだろうか、こんな風に令嬢としてではなく私として、ふざけたり、甘えたり。そんなの私、アニーにしかしてこなかったのよ。
「い、嫌だなんて! ですが、私はただ一介の侍女で、そんな」
「ねぇアニー。私は今、ただの侍女に言ってるんじゃないわ。アニエス、貴女という人に気持ちを伝えたつもり。それなのに貴女は、私を主としか見てくれないの?」
甘え声はわざとらしいかしら。でも、嘘をついている訳じゃない。甘えた声を出すのは、私がアニーに甘えたいから。
「好きよアニー。ねぇ、貴女は?」
「……わ、たしは」
アニーの目が、最後の逡巡を込めて少しだけ私の向こう側に泳ぐ。けれど目を閉じて、次に開いたとき、彼女はいつもの落ち着いた視線で、真っ直ぐに私を射抜いた。
「私はずっと、初めてお話ししたあの日から、お嬢さまが好きです。……ずっとずっと、愛しています」
いつもあまり表情を変えないアニーが、華が咲くように笑う。
うん、私の隣には、やっぱりいつだってアニーが欲しいわ。
* * *
「おはようございます、お嬢さま」
「んん、おはよ、アニー……ふわぁ」
「言いながらベッドに戻ろうとしないでください」
「んぅー……」
アニーにベッドから引きずり出されて、私はようやくゆっくり目を開ける。
「……アニー」
「なんですか」
ちょいちょいと手招きすると、アニーは訝しげながらも身を寄せてくる。でも、私はまだ手招きを続ける。「なんなんですか」と言いながら、アニーはさらに身をかがめて私に顔を寄せる。
「んー」
「っ、ちょ、むっ」
「んん、っは。ふふ、おはようアニー」
「…………エルザ、私はいま仕事中です」
「いいじゃない、仕事中だからって私が貴女の恋人じゃなくなるわけじゃないもの」
「まったく、困ったお嬢さまですね」
そう言って呆れたように笑いながらも、アニーは私のキスに応えるように短く口づけを返してくれる。本当はもっと深くしたかったけれど、以前に一度朝からアニーをベッドに引っ張り込んでしまい私はお母様に、アニーは侍女長にこってり絞られることになったので今朝は踏みとどまった。
「ふわ……えっと、今日は」
「学院での講義は平常通りですね。放課後にはマリーナ殿下とご一緒にエルトファンベリア邸に招待を受けています」
「ああ、そうだったわね。貴女も同席するでしょう?」
「いえ私は」
「ダメよアニー。貴女はもうただの侍女じゃなくて、私の恋人で婚約者なのよ? ちゃんとエスコートしてくれなくっちゃ」
「努力します」
少し難しい顔で唸るアニーの頬を悪戯するようにくすぐると「やめてください」とその手を掴まれた……が、アニーはその手を離さない。
「アニー?」
「……ぁむ」
「ひゃっ」
私の呼びかけには答えず、アニーはそのまま私の指を口に含んだ。
「ちょ、なにして」
「……お仕置きです」
「お仕置きって」
「ぁむ、ちゅぷ……悪い恋人には、っむ、っは、お仕置きです。いつもいつも、貴女にそんな風にされて、私がどれだけ、我慢してると、思っているんですか」
「や、くすぐった……っ、アニー、やめ」
「やめません。お仕置きですから」
「ひゃああ!」
指っ、指を舐められてるだけなのに、なんでこんなに気持ちいいの!
「ぁむ、はむ」
「やぁぁ、アニーごめんってば、んひゅっ!」
「お嬢さま、美味しいです」
「美味しくないよ! 指だよ」
「お嬢さまの指ですから」
「んひぃ!」
……結局、アニーの歯止めが効かなくなって、このあと二人揃って叱られるハメになったのだけど。
* * *
あれから何か変わったかといえば、大きく何かが変わったような気はしていない。
そりゃあ私とアニーの関係に恋人という記載が加わり、ついでとばかりに正式に婚約もしたけれど。それで私達の関係が目に見えて変わったかといえばそんなことはない。
アニーが「恋人になったからといって、お嬢さまに仕えるのをやめたくはありません」と言い張ったのもあるけれど……「そもそも貴女たちの関係なんて違う名で呼ばれていただけの恋人ではありませんの」とはクレアの談。
キスこそしていなかったけれど、私達は互いが一緒にいるのが当たり前で、その距離感は生半な恋人よりも恋人だと、顛末を知った皆が口を揃えて言った。曰く「付き合うとは思っていなかったけれど付き合っていると言われたらいつでも納得できた」だとか。なんだそれは、と思うような、いざこうなってみればその通りかも知れないような。
アニーは私に仕えるのを辞めたわけではないけれど、他の侍女たちとは違ってフォルクハイル家との契約ではなく改めて私が直接雇う形を取った。文字通り、私の専属だ。
それに伴い、アニーには仕事着を私から新調した。前世のスーツにも似た、タイトで機能的なドレスのデザインを提案して、他の侍女たちとは見た目も変わっている。アニーはもともと私のスケジュール管理等もしてくれていたから、仕事内容もほとんど変わらないけれど、まぁ侍女というよりは秘書といった感じだ。
婚約については、私は最悪この家を出て身分を捨てて結婚しても構わない、くらいの勢いだったのだけど、お父様とお母様は存外にあっさり私とアニーの婚約を認めてくれた。曰く、両親ともに元々私を女侯爵にする気満々だったらしい。
本来であればそれでも有力貴族とのパイプを作るために婚姻は必要だと思うのだけど、私はクレアとの友情を理由にそこも免除された。縁戚関係ほどの強い繋がりではないものの、そもクレアは一人娘で公爵もそれなりの年齢だ。順当に行けば私と同世代の当主はクレアか、彼女の結婚相手ということになる。彼女を敵に回すのは政治的に得策ではないと判断したようだった。
まぁ、ね。いま私の恋路を邪魔すれば間違いなくエルトファンベリア家の
そんな訳で、元々私に当主の座を継がせるつもりだったお父様にしてみれば、下手に格下の貴族と結ぶような事になるよりは、人柄が保証されていて能力もある有能な補佐が私のお相手というなら歓迎こそすれ拒むつもりはないらしかった。
アニーの生家はもともとほぼ絶縁状態だったので貴族同士の婚姻のように面倒な挨拶がある訳でもなく婚約はまとまり、私とアニーは一応の主従契約はあるものの家族のようにして暮らしている。
娘の嫁なら娘同然と、お父様はアニーにも改めて使用人のものではない個室を与えて、食事も家族の同じ席で一緒にとっている。アニーは掃除洗濯等の雑務も無くなり、仕事としては私の身の回りの世話と、スケジュール管理、そしてアニーと婚約して次期当主の席が確定した私は少しずつお父様の仕事を手伝うようになり、将来的には一緒に仕事をすることになるアニーも補佐として手を貸してくれているのだった。
* * *
「そろそろ学院へ向かうお時間ですが、準備はよろしいですか」
「もちろん。私を一番よく知っている人が整えてくれたのだもの、完璧に決まっているわ」
「…………」
赤くなって顔を逸らされた。変わったといえば、アニーがずいぶんと表情豊かになったのが一番の変化かもしれない。わけを聞いたら恥ずかしそうに視線を泳がせつつ「今までは、私はただの侍女で、お嬢さまに愛される存在ではないと言い聞かせていましたから」とのこと。
……つまり私と恋人になってしまったので、これまで誤魔化していた自分の感情が誤魔化しきれずに顔に出てしまうようになったらしい。なにそれかわいい。
「さ、行きましょう」
そう言ってアニーの手を取ろうとするとするりと躱され、アニーは私と立ち位置を入れ替わるように私の背後に立った。
「なぁに?」
「御髪に乱れが。少しお待ちを」
「あら、朝食の時に引っ掛けたかしら」
アニーはポケットからすらりと櫛を抜き放つと、そっと優しい手付きで私の髪を梳きはじめる。
コチ、コチと時計の音だけが部屋に響いて、私もアニーも黙ったまま。ただ、私達は互いの髪と手を、呼吸を、お互いに少しずつ高まる熱を、確かに感じ合っていた。
「……エルザ」
「なにかしら」
「本当に、良かったのですか?」
「なに、またその話? アニーはまだ私の想いを疑うっていうの? ひどいじゃない」
「も、申し訳ありません。お嬢さまのお気持ちは、いまさら疑おうなどと思いません」
「じゃあ何を気にしているの? 私はアニーが世界で一番大切で、貴女も私を大切にしてくれる。これ以上、何を望むのかしら」
「……想い合っているから幸せとは、限らないではありませんか」
不安に揺れるアニーの声に振り向くと、私を窺う双眸とぶつかる。不安げな、けれどどことなく、期待の籠もった瞳。こんな風に不安や期待を見せてくれるようになったのは、きっと私達の関係が一歩進んだからだ。
「ふふ、いいわ。私は貴女の主人だものね、貴女の欲しがっている言葉をあげる」
侍女の我儘を叶えるのは、主であり、恋人でもある私の特権。そう思えばこんな幼稚な我儘だって愛おしい。
「貴女の愛がなければ、私はきっとどんな人生を歩んでも幸せになれないわ。貴女を愛することで苦難にぶつかることがあったとしても、それは私が幸せになるために絶対に必要なことよ。だからアニー、二度と私のそばを、離れないでね」
「……御意」
短く唇を交わして微笑んで見せれば、アニーも照れくさそうに笑い返してくれた。
「そうだわ、まだ少し時間はあるわよね」
「ええ、少しでしたら」
「それじゃ、今日は髪をまとめてもらってもいいかしら」
「はい、ではいま髪留めのご用意を――」
「ううん、これを使ってほしいの」
そう言って私は、アニーが先程席を外した時にポケットに忍ばせておいたそれを取り出した。
「……っ、かしこまりました」
「私の大好きな色だから、ちゃんとキレイに見えるようにね?」
「はい」
私がアニーに手渡したのは、シンプルなシルバーのバレッタ。彼女の名と、髪の色を思って選んだものだ。
「……できましたよ、お嬢さま」
鏡で確認すれば、私の栗色の髪を束ねる銀色がきらりと陽光を反射した。
「うん、いいわ」
「お嬢さま、これは」
「ええ、アニーの髪と
そう言って微笑めば、愛しい私の従者はふいと顔を背けてしまう。でも、その耳が真っ赤で、口もとが緩みそうなのを必死にこらえているのは誤魔化しきれない。
今はまだ、私達は主従の関係だから。お揃いのアクセサリーを身につけるのは少し、難しいけれど。
その代わりほんの少しでも同じ色を。いつか堂々とお揃いを身につけられる日までは、これで我慢してもらおう。
「お嬢さまは、ずるいですよ」
「あら、なんのことかしら」
「……なんでもありません。さぁ、もうお時間です、行きますよ」
「はーい」
差し出されたアニーの腕に抱きつくように私も腕を絡めて「ちょ、くっつきすぎです、歩きにくいですから――」などと空気の読めない忠告をする恋人をいいからいいからとなだめすかして。
「アニー」
「なんですか、お嬢さま」
「大好きよ。私の隣は、いつだって貴女のもの。そのことをきっと、どうかずっと、忘れないで」
「……忘れないように、してくださいね」
「ふふ、ほんと我儘な従者ね」
「それはもう。なにしろ私を甘やかすのも、恋人の義務ですからね」
「任せて。その代わり」
「ええ、たくさん甘やかして差し上げますから、いつでもどうぞ」
そうして私達は信頼する主従のように、離れがたい姉妹のように、気の置けない親友のように、そして愛し合う恋人のように笑い合う。
私達の関係につける名前は一つではないけれど。
主を愛した侍女と、侍女に恋した主は、これからも離れることなく共に在ろう、と。
そんな誓いを込めて、絡めた腕をぎゅっと抱きしめ合った。
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