if : 侍女に恋を、主に愛を(5)

「……はぁ」


「今日もため息? 毎晩聞かされるこちらの身にもなってほしいわね」


 部屋に戻ると思わずこぼれてしまうため息を聞きとがめられて、うぐぅと呻く。レイラは基本的に私のやることに口は出さないけれど、苦情はハッキリ言ってくる。同室の相棒としては遠慮がなくて良いのだけど、落ち込んでいる時はその容赦の無さはなかなか突き刺さるものがあった。


「ごめんなさい、今日は忙しかったもので」


「今日だけではないと思うけど。貴女、毎日他の侍女の仕事まで面倒見ているもの。優秀なのは結構だけど、他人の仕事を奪ってまで働くのは感心しないわ」


「……なんのことでしょう」


「それで誤魔化せる訳ないでしょ。私は貴女の上司でもあるし、同室の友人だし、それなりに長い付き合いよ」


「うう」


「侍女長も心配していたわ。貴女が仕事に熱心なときは何かから逃げたがっている時だって」


「心外です、私はいつも熱心ですよ」


「お嬢さまに関することだけは、でしょ。たまに違う仕事をするといい加減だったくせによく言うわ」


「…………」


 その指摘に言い返す言葉は無くて、私は黙り込むしか無い。


「今日は輪をかけて忙しそうだったわね。クレアラート様がお嬢さまを訪ねてきたのがそんなに気がかりだった?」


「……別に」


「主を護る侍女ならもう少し嘘が上手くなりなさい」


 レイラの言葉にぐぅの音も出せず、私はそのままベッドに潜り込んだ。


「……拗ねた子供?」


 失礼なレイラの呟きにも聞こえないふりをする。


「聞かないの? お嬢さまがクレアラート様と何をお話しされていらしたか」


「それを聞くことが許されるのは専属の侍女と、お嬢さまが同席を許したものだけです。その場にいなかった私には、それを聞く権利はありませんから」


「妙なところで職業倫理に忠実ね。それじゃ貴女自身のことをお嬢さまに話せば? 逃げ回っているということは、お嬢さまが貴女を気にかけているのはわかっているんでしょ?」


 もちろん、わかっている。お嬢さまのことで私にわからないことなんて――というのも、今はもう言えないけれど。それでもずっと見守ってきたお嬢さまのことなのだ。顔を合わせる度に何か言いかけては思いとどまったり、私が仕事をしている時に何か言いたげに遠慮がちな視線を向けてくるし。


 私がお嬢さまに黙って専属を降りた理由を、きっとお嬢さまは知りたがっているのだろうけれど。それだけは話す訳にはいかない。お嬢さまに余計な負担をかけさせるだけだ。


「これは、とある方が仰っていた話の受け売りなのだけど」


 ぽつりと、レイラが独り言のような、意識しなければ聞き流してしまいそうな調子で呟く。


「ただの主人と侍女なら、信頼を裏切ればその関係はもう取り戻せないそうよ」


「……そりゃ、そうですよ」


「でも、貴女はいまもお嬢さまの一挙一動を気にかけている。お嬢さまも、自分のもとを去っていった貴女をずっとお気になさっている。それってもう――ただの主従じゃないんじゃない?」


「……え」


 思わずベッドから顔を出すと、私がそうするのをわかっていたみたいな顔でレイラがまっすぐにこちらを見ていた。


「主従の別は大切よ。でもアニエス、貴女、お嬢さまとの関係を令嬢と侍女、それで終わらせて満足?」


「他に、何が」


「それは私が決めることじゃないし、きっと貴女が決めることでもない。……お嬢さまと二人で、ちゃんと決めなさい」


「……レイラ」


「まったく、こんな世話焼かせないでよ。ほんとは貴女には自分で解決してほしかったのに。私、昨夜とうとう侍女長に相談されたんだから」


「ぇ、侍女長って、あの、もしかして」


「全部聞いた。貴女、フォルクハイル領の本邸に移るって、侍女長に申し出たそうじゃない。待ってたら取り返しがつかなくなりそうなんだもの、お節介を焼きたくもなるわ」


「……私がこの屋敷に残ると、お嬢さまが休まらないかと思いまして」


「ハァ、貴女もお嬢さまも、普段は優秀なのにどうして自分のこととなると途端にこうも鈍くなってしまうのよ」


「鈍いって、そんな」


「鈍いわよ。だって貴女、それが本当にお嬢さまのためだと思うの?」


「それは」


 ……そのはずだと、思ってはいる。私のように、侍女としては不相応な望みを持つ人間をそばに置くよりも、もっとお嬢さまのために尽くせる人間を選ぶべきだ。私よりも経験豊かな人材はいくらでもいるし、フォルクハイル家にはそういう人材を雇うだけの名声も力もある。


 頭ではそう考えて、何度も何度も考えて、その方がいいと、そう結論づけた。


 仕える主を愛するなんて、ただ仕えるのではなくこの手で幸せにしたいだなんて、そんなのは侍女が望むには過ぎた願い。これまでは押し殺して、隠してきた願いが、クレアラート様が現れたことで溢れてしまっている。


 そんな私が侍女としてお嬢さまの傍にいるなんて、きっと許されないし、もっと相応しい誰かが――。


「貴女以外に、誰がお嬢さまの侍女に相応しいって言うの?」


「……誰が、とかではなくて、もっと経験を積んだ、誰よりも主を幸せにできる誰かが」


「それは例えば私? それとも侍女長? この屋敷の誰かに、貴女はお嬢さまの全てを任せられるの? 他の誰かに丸投げして、それで満足?」


「丸投げって、私はお嬢さまのためを思って」


「だったら一言でも聞いてみたの? お嬢さまに、直接」


「聞いたって、お嬢さまはお優しいから私を遠ざけたりなんて」


「なら、どうしてそれがお嬢さまの本心かもしれないって思わないの?」


「っ」


 それは、私がお嬢さまに相応しくないから。私は、本当の意味でお嬢さまの役には立てないから。侍女として、主の幸せを喜ばなくてはいけないのに、彼女の友人に嫉妬するような私では――。


「違うでしょ? 貴女はお嬢さまを傷つけるのが怖くて、そしてお嬢さまに傷つけられるのが怖い。だから逃げ出そうとしたの。


「そんな、ことは……」


 ない、と即答できなくて。熱くなる私とは対照的なレイラの冷めた視線が突き刺さる。


「レイラも言ったじゃないですか。私の抱く感情は、侍女が主に抱くものじゃないって」


「言ったわね。でも、私それがいけないことだなんて言ってないでしょ」


「え」


 レイラは冷めた、というよりも呆れた様子でゆるく首を振る。


「ねぇアニエス。貴女とお嬢さまの間にあるのは、主従の誓いだけかしら?」


「……他に、何があるんですか」


「さぁ? 貴女のご主人さまに聞いてみたら?」


 ここまで私を追い詰めたくせに、私が聞き返せばとんと胸先を弾くように突き放される。


「私はちゃんと言ったわよ、その感情は侍女が主に抱くものじゃないって。その意味、わかるでしょう?」


「…………」


 予想は、つく。レイラがどういう意図で言ったのかはわからないけれど、想像することはできる。

 都合のいい想像。侍女が主に抱いていい感情ものじゃないという否定的な意味ではなく、私とお嬢さまとの間には主従以上の感情を持ち込める「何か」があることを認めるという肯定的な意味。


 そう、予想はつく。お嬢さまが私に、友情とか、姉妹のような家族のような情だとか、あるいはもっと先の、私が胸に抱くものと同じ気持ちを抱いてくれるかもしれない、そんな想像は何度もした。だからレイラの言わんとすることも簡単に予想できて――でも、予想できてしまう自分を私はひどく嫌悪する。


「それこそ、侍女にとっては唾棄すべき感情です。ひどい思い上がりですよ」


「お嬢さまが一言でもそう言ったの?」


「言いませんよ、私が隠していたから。ずっとこんな気持ちを隠して、私はお嬢さまの傍にいたんです。そんなことが、許されるはずがないじゃないですか」


「……硬い頭ね。ねぇアニエス、貴女いま、どれだけ傲慢なことを言っているかわかっているの?」


「傲慢? 傲慢ですって? 私がずっと押し殺してきた気持ちを、お嬢さまを裏切っていた痛みをそんな風に言われる筋合いは――」


「傲慢よ。だって貴女、主人であるお嬢さまの気持ちを、自分の想像で勝手に決めつけたのよ。あんなにも貴女を信頼してくれて、傍付きを離れた貴女をいつでも目で追いかけている可愛いお嬢さまの気持ちを、聞くこともせずに決めつけたの。それこそ、侍女として傲慢ではないの?」


「決め、つけって」


 だって。


 だって私は悪いことをしているのだ。想ってはいけない人を想い、その想いを鉄面皮に隠して彼女の傍に居続けた。専属侍女の立場をいいことに、彼女の身体に、髪に、誰よりも、彼女自身よりも多く数え切れないほど触れてきた。彼女に大切な友人が出来て、割り込む資格なんてあるはずもないのに割り込む余地が無いと嫉妬した。


 そんな悪いことをした、し続けてきた私を、お嬢さまが受け入れてくれるはずなんて。


「本当にそう思う? お嬢さまはそんなに狭量?」


「……そんな、ことは」


 エルザベラ・フォルクハイルは器の大きな女性だ。完璧令嬢と呼ばれ、社交でも学力でもマナーでも、人心掌握に至るまで完璧。でもそんな彼女がまだ完璧でなかった頃から、私は彼女についてきた。一生をこの人に捧げてもいいと思ってその背に従ってきた。


 それは彼女が、許しを与えられる人だから。

 過ちを否定しないで、一緒に進んでくれる人だから。



『あなたの「好き」を、どうしてだれかが悪くいえるの? あなたが悪かったのは、だれかのいうことに負けて、じぶんの「好き」にうそをつこうとしたことだわ』



 まだ私が十代の少女で、幼いお嬢さまに出会ったばかりの頃。


 私を、幼いお嬢さまはまっすぐに見つめて微笑んだ。


 愛した人を愛していること、それすら認められずにやさぐれていた私をお嬢さまは笑って認めてくれた。その瞬間、私の好きな人が彼女になったなんて考えもしなかっただろう。


 まだ十歳に満たない幼さで、もう既に、彼女は彼女だった。常識を知らない訳ではなく、常識を蔑ろにもせず、けれど常識よりも相手わたしを尊重してくれた。私の愛を肯定して、それを拒むことこそ過ちだと教えてくれた。


 気持ち悪いと言われて、侍女を辞めさせられても仕方ない。そう思っていた私を専属に召し上げて、他の侍女にするように、いや、他の誰よりも親しく接してくれた。


 私は彼女に恋をして、程なくそれは愛になった。


 けれど私に生まれた感情はそれだけじゃなくて、彼女は私を受け入れてくれた初めての友人であり、私を姉のように慕ってくる妹分でもあり、そしてやっぱり私を支配する主でもあった。


 そんな彼女のいろんな姿を、私と彼女の重なり合ったいくつもの関係を愛おしく思うほど、恋心だけは隠さなくてはと戒め、締め付けるほどに想いは強くなる。

 彼女の一番は私だった。それなら、その気持ちがたとえ恋愛に根ざしていなくても我慢できた。これ以上は望むまいと思えた。


 でもいま、お嬢さまの一番はきっと私ではなく、そのことに私が耐えられない。


 だから逃げたかった。

 言い訳が欲しかった。一緒にいる時間が減ってしまったから。本邸に移って顔を合わせる機会が減ってしまったから。そうやって、あのかわいい人の一番でなくなってしまった自分に理由を与えたかった。


 そう、私の振る舞いはきっと、傲慢で、身勝手で。

 だけど、でも。


「……だったら、どうしろって言うんですか。こんなドロドロしたものを、にぶつけろって言うんですか!」


 胸の内で何度も呼んだ名前。人前では決して口にすまいと思っていた名前。声に出すだけで、私の喉がカラカラになるほど熱い、大好きな名前。


「――そうねアニー。私は、そうして欲しかったのよ」


「っ!」


 慌てて戸口を振り返ると「こんばんは。夜分にごめんなさいね」と困ったように眉尻を下げて笑む、大好きなお嬢さまが立っていた。

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