if : 侍女に恋を、主に愛を(4)
「遅い」
開口一番、不機嫌そうに唇を尖らせたクレアは冷たく言い放った。
「ご、ごめんってば。急に来るとは思ってなくてさ、髪とか乱れてたし……」
「私を待たせた言い訳はそれだけですの? お話になりませんわよ」
「うう、ごめん……」
油断して服も髪も乱れてしまっていたので、結局着替えて髪のセットもやり直した。当然それなりに時間がかかってしまい、その間クレアを応接室に待たせてしまっていた。ツンとしたクレアの斜め後ろでリムちゃんがぺこぺこ頭を下げているが、早朝や夜分の訪問ではないのだから人に会う準備ができていなかったのは私の落ち度だ。
「……少しは反論なさいな。私がエルザをいじめているみたいではありませんの」
「だって、私が油断してたのは本当だし」
「……ちょっとリム、話と違うではありませんの」
私がしょぼくれていると、クレアがなぜか私ではなく後ろのリムちゃんに文句を言い始めた。
「あ、あのですねお嬢様! 私が言ったのはそういう感じじゃなくて、えと、あの、なんていうかもっとこう、優しい感じのですね」
わたわたと慌てて弁明するリムちゃんに何の話だろうと首を傾げていると、その間にもクレアが不機嫌を募らせる。
「いいえ、私は貴女の言った通りにしましたわ。エルザと仲良くなるには、思っていることを素直に言うことと貴女が言うから、私はその通りにしましたのに! 結果を御覧なさい、エルザが落ち込んでいるではありませんの!」
……んん?
「そ、そうじゃなくて、えと、だからもっといつも私に言ってるみたいにエルザベラ様のことをかわいいとか大好きとか、そういうのを隠さないでお話した方がいいと思って」
「よ、余計なことを言うんじゃありませんわ!」
「ごめんなさい!」
……あれ、なんかいま、間接的に私も恥ずかしい思いしてない?
「コホン、とにかく!」
ほんのり赤くなったクレアは咳払いして仕切り直す、つもりだったらしいが「おやぁ?」と思っている私と目が合うと頬の赤みを耳まで伸ばして慌てて視線を逸らした。
「落ち込むくらいなら、先程の言葉は気にしなくて結構ですわ」
「ううん、ちゃんと言ってくれて嬉しかったわ。クレアには遠慮は似合わないものね」
「それはそれで、なんだか失礼なことを言われている気がしますけれど」
「親友だもの、お世辞なんて嫌でしょ?」
「……なるほど、こういう感じですのね」
ふむふむと頷くクレアが少し満足げで可愛い。私にとってクレアは前世からの推しなわけで、可愛いのは当たり前なのだけど、でも、ゲームでは見せなかったこんな表情も可愛いと思えると私はちゃんとクレアの友人としてこの世界に生きているんだなって実感する。
「それで?」
「ん、それでって? っていうか、クレアの用件は? 急に訪ねてきたんだから、何か私に用事があったんじゃないの?」
「私? あ、あーそうですわね、ええ、私の用件……い、いえ私のことは後でいいのです」
「お嬢さま、学院がお休みでエルザベラ様に会えなかったのが寂しいみたいで」
「リム!」
「ご、ごめんなさい!」
ほどよく熱が引いていたクレアの顔がまた真っ赤になる。リムちゃんは怒られたときこそ「ひゃあ」と縮こまっているが、クレアが私に向き直るとその肩越しにこちらに向けてぺろっと舌を出して見せた。か、確信犯だ……。
「そんなことより、ですわ。その浮かない顔の理由をお話し頂けませんこと?」
「え、私そんな顔してたかな」
「自覚が無いのは重症ですわよ。……私だって、貴女に教わるまで、自分が苦しんでいることに気づきませんでしたから」
自分自身と「家」との境界を失って苦しんでいたクレアは、私がそのことを指摘するまで自分がそれを苦痛と感じていることにすら気づいていなかった。彼女の言うことは確かに正しいのかもしれない。私は、自分が思っているよりずっと参っているのかもしれなかった。
「……私、あの頃のクレアほどひどくないよ?」
「いちいち突っかかりますわね! 程度の差ではありません、同じ症状だと言っているだけですわ。まったく、ここしばらくの貴女ときたら、このクレアラート・エルトファンベリアと一緒に行動していながらいつも上の空で。侍女の貴女からも主人の腑抜けっぷりに忠言の一つくらい――あら?」
そこでようやく、クレアは私の後ろに控えているのがアニーではなくレイラだったことに気づいたようだ。
「貴女、名は?」
「前任者に代わって臨時でお嬢さまのお世話をさせて頂いております、レイラと申します。以後お見知りおき願えましたら幸いです」
「はじめて見る顔ですわね。貴女、学院にもいらしていて?」
「いえ、私はあくまでも臨時でお嬢さまの身の回りをお世話させて頂いているだけですので、お嬢さまがお屋敷におられない時は邸内の仕事をしております。専属の侍女が選任され次第、引き継ぐ予定です」
「……なるほど、それであの失礼な侍女を最近見かけなかったんですのね」
「部下が粗相をしたようでしたら、申し訳ございません。その者に変わってお詫び致します」
深く頭を下げたレイラにクレアは「ああ、気にしなくていいですわ。あれにはもう、私も慣れてしまいましたもの」とひらひらいい加減に手を振ってみせた。
「それが、貴女が上の空な原因ですの?」
「……別に」
「貴女、それでよくも私に日頃から「クレアはわかりやすいもの」なんて言えたものですわね」
「そんなに、落ち込んだ顔してるかな……?」
「ええ、エルザはわかりやすいですもの」
ふふんと得意げに胸を張って言うクレアに、私も少しだけ肩の力を抜いて微笑む。……少し、肩に力が入っていたことにやっと気づいて、確かに重症だなと自覚した。
こういう時、いつもならアニーが気づいて「大丈夫ですよ、楽になさってください」って言ってくれたのに。
「あの侍女……アニエスでしたっけ? 彼女を見かけなくなったのと貴女がふらふらし始めたのは同じ頃でしたわね。彼女のせいかしら?」
包み隠そうとしないクレアの直球の質問をはぐらかす気にはなれなくて、気づいたら私はアニーが突然私の専属を降りたことについて一部始終を話してしまった。
「……アニーが悪いわけじゃないわ。きっと彼女なりの考えや理由があってそうしているのだもの」
「だとしても、仕える主に断りもなく配置換えを願い出るなんて、褒められたことではありませんわね。我が家の侍女なら減給ですわ」
「でも、私にもきっと問題があったのよ。それなのに私の我儘で彼女を縛り付けるなんてできないでしょ? アニーにはアニーの人生があるし、それに私は……アニーには、幸せになって欲しいから」
「貴女を捨てた侍女なのに、ですか?」
「捨てたなんて、言い過ぎよクレア。働く場所を選ぶ権利くらい、誰にだってあるはずだわ」
「いいえ、何も言い過ぎではありません。私が言っているのは彼女が貴女の専属を外れたことではなく、そのことを貴女に一言も告げなかったことについてですわ」
「それは、でも言いにくいことだろうし」
「だからこそ、言わねばならなかったのですわ。彼女はそれを怠った。貴女の存在を軽んじ、関係を切り捨てたのです。貴女はこんなにも彼女の幸せを願っているのに、あちらはそうではなかった。長く繋がっていた二人であればこそ、これは裏切りと呼んでも言い過ぎではありません。所詮侍女に過ぎないというのに、主との関係を軽んじて身勝手に切り捨てるなど、侍女としてあるまじきこと。職を奪って追い出したとて批判される謂れはありませんのよ?」
「クレア」
「そんな侍女をいつまでも屋敷に残しておくなど、最後にはフォルクハイルの名前にだって疵が」
「黙って! ……お願いだから、貴女を嫌いにさせないで」
思わず怒鳴っていた。嫌だ、大好きなはずのクレアの口からアニーを非難する言葉が出るたびに、私はクレアと一緒にこの部屋にいるのが嫌になってしまう。可愛くて大好きだったクレアの顔を、思わず睨みつけてしまいそうになる。
「……アニーは、悪くないの。もしも彼女に何か言えるとしたら、それは当事者である私だけのはずよ。クレア、貴女にアニーを貶す権利なんて、ないから」
いまクレアの顔を見たら、怒りをぶつけてしまいそうで。私は声が荒れないように意識してゆっくりと呼吸をしながらそれだけをなんとか口にする――と。
「…………はぁ。そうまで言えるのに、貴女はまだ問題の根本に気づかないんですの?」
先程までのあざ笑うような調子が消え失せて、すっかり気の抜けた声音に思わず顔を上げてしまった。クレアはニヤリと笑ってこちらを見返してくる。
「私、間違ったことを言ったとは思っていませんのよ。主従とは、信頼とは、本来そういうもののはずですわ。でもエルザ、貴女はそんな私の言葉に反発したのです。その意味をよく考えなさいな」
「意味なんて」
「主人と侍女なら、そこに信頼と忠義があるのなら、黙っていなくなれば裏切られたと思い、二度とその相手を信用しないでしょう。でも、貴女はアニエスのことを今でも案じ、たとえ自分の隣になくとも気遣っている。そんな関係を、貴女はまだ主従と呼ぶのですか?」
「っ、それは」
思わず、目を見開いてクレアを見つめた。まさか、彼女の口から、人一倍、貴族の地位や身分や見栄にこだわってきた彼女の口から、そんな言葉が出るなんて。
「欲しいものを欲しいと言うこと、でしたわね」
「…………」
「貴女が、私に教えたんですのよ。ねぇ、エルザ」
――貴女の欲しいものは、なにかしら?
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