if : 侍女に恋を、主に愛を(1)
「お嬢様、本日のお召し物はこちらを」
「ああごめんなさいアニー。悪いのだけど、赤系のものは外してもらえないかしら。今日は午後からクレアと出かける予定でしょう? お揃い、とまではいかないけれど、色を揃えるくらいいいじゃない?」
「……かしこまりました。少々お待ち下さい」
「急がなくていいからね」
一礼して、主人であるエルザベラお嬢様の部屋を辞す。表情には出さないよう努めたが、果たして本当にバレていないだろうか。いや、あの敏いお嬢様に気づかれないというのは、それはそれで面白くない。私の心中は、非常に穏やかならざる状態であった。
このアニエス、侍女としてだとか仕える者としてだとか、そんな高尚なプライドは持ち合わせていない。ただ、エルザベラ・フォルクハイルという少女についてだけは、自負があった。
お嬢様の一番近くにいるのは、私。
お嬢様のことを一番理解できるのは、私。
思い上がるな、傲慢になるなと自分に言い聞かせてきたが、同時にお嬢様に関することなら常に一番であれと自分に課し、それを守り続けてきたという自負もある。
事実、ほんの少し前まで、敬愛する主のことは同じ屋敷の使用人仲間や主のご学友、果ては彼女の両親に至るまで私に確認してくるくらいで、私とお嬢様の親密さは、自他ともに認められているものと密かに誇っていたのだ。
けれど最近は。
「……クレアラート・エルトファンベリア」
その名を口にするだけで、舌に苦いものが走った気がした。
いけない、主の友人に対して嫉妬とか、従者として恥ずべきことだ。そうわかっていても、心のほうはまるで納得できない。
我が国では王家に次ぐ筆頭貴族であるエルトファンベリア家の一人娘、クレアラート。第一王子ユベルクル殿下の婚約者だったが、当事者二人共が望まぬ結婚であるとしてつい先日これを破棄。紆余曲折あったものの、我が主の尽力もあって婚約解消は和やかなまま終わり、現在は重責から解放されて気ままな貴族暮らしを満喫している。
と、まぁそれだけなら私にとっては他人事であり、お嬢様が心を砕いていた相手に平穏が訪れ、お嬢様の努力が報われたのならそれでいい。お嬢様のいつものお人好しが無事実を結んで一安心、とそれで済んだはずなのに。
「お揃い……っ!」
ダン、と思わず廊下の壁を殴ってしまった。ちょうど近くを通りがかった若いメイドがビクッと肩を震わせて、足早に逃げていった。
「……私だって、したことないのに」
無論、いち従者でしかない自分が忠を捧ぐ主と同じものを身につけるなど畏れ多いことだし、お嬢様が気にしなかったとしても周囲には良い印象は持たれない。主従の別がしっかりしていないと思われれば、それこそクレアラート様のように身分を気にする相手にはマイナス査定を食らうことになる。
それに周囲にどう思われるかは別にしても、直接主人に指示されたのでもない限り、揃いのものを身につけるなど不敬にあたる。お嬢様の侍女として完璧であろうとするならば、そんな真似をする訳にはいかない。完璧な主に、侍女の私が隙を作ってしまうなんてごめんだった。
「…………でも、お揃い」
羨むくらいなら、許されるだろうか。
* * *
「こちらで如何でしょうか」
「ん、いいわ。アニーの見立てなら完璧に決まってるもの」
「ありがとうございます」
私は単純だ。こうして大好きなお嬢様に認められるだけで、頭を下げながら顔が熱くなっている。お嬢様の好みは熟知しているし、お嬢様に似合うものだって知り尽くしている。お仕えしてから今日この日、いまこの瞬間まで、私はお嬢様のことを知り、お嬢様に尽くすために生きてきたのだ。お嬢様のことで、私にわからないことなんて。
「クレアとお揃いと思うと、なんだか照れくさいわ」
「よくお似合いです」
わからないことなんて。
「そうかしら。青はあまり着ないでしょう?」
「イメージというのも社交界では大切ですが、親しい方のために服を選ぶのも良いものですよ」
わからないこと、なんて――。
「……そうね。念願叶って、親友とのお揃いだものね」
そう言ってはにかむお嬢様に、私は黙って頷いた。
* * *
「わかりませんよ!」
「なにが」
ぼふっとベッドに倒れ込んだ私に、同室の侍女、レイラ・オルトは簡潔な三文字で応じた。
「お嬢様にとって、侍女とは一体なんなのですか!」
「侍女は侍女でしょ。それ以外のなんでもない」
「正論ですね!」
レイラにではなく枕に向かって叫ぶ。
フォルクハイル邸は有力貴族の家というだけあり広くて部屋も多い。使用人たちには仕事中に使う用の休憩室も用意されているが、毎日昼前か昼後に取る長めの休憩は自室で過ごす者も多い。私と、同室で奥様のお付きをしているレイラもそのクチだった。
「でも、私はお嬢様がこーんな小さい頃からお仕えしてるんですよ!」
「そんなに小さいならまだ奥様のお腹の中だし、その頃貴女はいなかったわ」
「気持ちの問題です!」
レイラは厨房からくすねてきたビスケットをぽりぽりやりながら、我関せずとばかりに本に目を落としている。
「物心ついた時から当たり前に隣にいた侍女と、出来たばかりの大好きな友人。それも念願叶ってようやく。どちらに関心が傾くかは明らかでしょう?」
「片手間にずいぶん抉りますね……」
「自明の理、というだけよ」
ぱたん、と本を閉じて、少しずり落ちた丸メガネを押し上げたレイラは私を真っ直ぐ見つめる。
「貴女は、侍女としては主に入れ込みすぎよ」
「……レイラは奥様が大切じゃないのですか?」
「大切だし、私は奥様に最大の敬愛と生涯の忠誠を誓っているわ」
「だったら――」
「でも、それだけよ」
あっさりと、レイラは何でもないことのように言い放つ。
「それだけ、って」
「それだけなのよ。私は奥様に忠実に仕えるし、侍女として主人であるあの方に最大限の敬愛を抱いている。でもそれだけ」
「ですからそれだけって、それなら私だって」
「違うわ」
相変わらず淡白に、けれど強く断定する言葉でレイラは私の在り方を切って捨てた。
「私が奥様に抱くのは忠義と敬愛。でもアニエス、貴女がお嬢様に抱くのは」
「なんだって言うんですか」
「愛よ」
「私だってお嬢様に敬愛を」
「敬愛している方とお揃いが身につけられなくて壁を殴るほど悔しいものなの?」
「なんで知って」
「私は新人の教育係の一人よ」
侍女長と交代しながらね、と付け足される。……そういえば、最近入ったばかりの子に見られたんだっけ。
「おしゃべりな侍女は歓迎されないでしょう?」
「邸内の情報共有は重要だわ」
「……レイラは奥様とお揃いとか」
「考えたこともないわ。畏れ多い」
それが普通よと言われても、その真偽を確かめる術はない。
「忠義だけなら、敬愛だけならそういうものよ。私達侍女は、主の隣ではなく後ろを歩くものだわ」
「…………」
確かめる術はなくとも、私の動揺をまるで気に留めず静かに話す彼女の言葉には説得力があった。……なんて言い方では、まるで今になって気づいたみたいだけれど、そうではなく。私には自覚があって、でも誰にも気づかれまいとずっと隠していたつもりだった。
その秘密を、レイラ自身が知ってか知らずかは別にして、彼女の言葉が浮き彫りにしてしまっただけ。知っていたことを、思い知っただけ。
「ダメ、でしょうか」
「侍女が主に抱く感情じゃないわ」
「ですが、私はお嬢様に――」
「失礼します。アニエス、お嬢様がお呼びで……どうかした?」
立ち上がってレイラに噛み付いていた私と、椅子に腰掛けたままじっと眼鏡の奥の瞳で私を見つめているレイラを見て、私を呼びに来た同僚が困惑する。
「……なんでもありません」
それだけ言うと、私はレイラに軽く会釈して、さっさと部屋を出た。
ええ、午後はクレアラート様とお嬢様の護衛だものね。
「アニエスと何かあったんですか?」
「侍女が主に抱く感情じゃない、って言ったの」
「はい?」
「いつまでも主従にこだわるから苦しいのよ、って言おうと思ったのだけど」
「えっと……?」
首をかしげる後輩に、レイラは「なんでもないわ」という顔をして、読書に戻った。
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