EX04-12:じゃあ、私は
「だ、誰よ」
白熱していたところへひょいと私が現れたせいか、エレメラは微妙に気圧された様子で問いかけてきた。
「ああ、私は第一王子ユベルクル・ヴァンクリード殿下の補佐を務めてております、エルザベラ・フォル・ヴァレッシュと申します」
「お、王子?」
いきなりとんでもない名前が飛び出したことにエレメラが声を裏返らせる。
「はい。ああでも、こちらへ伺ったのは殿下の補佐としてではなく、単にそう……ルナリアさんの友人として、ですわ」
「……また友人ですって?」
「はい」
胡散臭いものを見る目が私とクレアの間を何度も行き来する。まぁ、気持ちはわからなくもないけれど、ちょっとあからさますぎるというか、不躾よね。まぁ、こういう無遠慮な視線というのは前世のような身分とか礼法とはあまり縁のない感じがして、個人的には嫌いじゃないのだけど……クレアの眉が不機嫌そうにぴくりと跳ねたから注意しておこう。
「あまり人を睨むのは感心しませんよ。いらぬ不興を買うこともありますから」
「あんたたちに指図される謂われなんかないわよ。優雅な貴族とは生きてきた場所が違うんだから」
「ですが、今貴女が相手をしているのは貴族ですから。余計な恨みを買ってはどんな理不尽な目に遭わされないとも限りませんよ?」
「お、脅すつもり? あんたもそっちの女と一緒よ、警備隊に突き出すとか牢屋に入れるとか、そんな脅しなんかで私はあの子を渡したりしないから!」
「……そんな脅しをしたの?」
私が半目で睨むとクレアがふいと視線を逸らした。すっとぼけるつもりらしい。
「まったく。地位を振りかざすような物言いは貴族相手はもちろん、こういう場では尚更厳禁だって普段から言ってるじゃない」
「この女があまりに身勝手だからですわ。それに、ルナリアをあんな目に遭わせて、あの子の身を削った訴えにも耳を貸さないような女、もっと脅してやればよかったくらいですの」
「クレア」
「…………ふんっ」
つーんと不遜に顎を突き上げてしまった。一応、よくない言い方をしたのはわかっているらしい。
「はぁ……すみません、妻が失礼をしたようですね。そのことについてはお詫びします」
私がそう言って頭を下げるとクレアは居心地悪そうに身を捩ったが、謝られた方のエレメラは先程までの怒りも消えてぽかんとした顔でこちらを見返していた。
「なにか?」
「……妻?」
「ええ、彼女は私の妻です」
ポフルさんたちにも似たような反応をされたな、と思い出す。貴族たちの間では、あの断罪劇からの告白劇という一連の流れは周知の事実なので、普段は私とクレアの関係を物珍しそうにする人はいても知らないなんてことはないのだけど……当たり前だけど城下の民衆はいちいち貴族の誰それが婚約しただの結婚しただの知ってるわけがないのよね。
ジロジロとやはり不躾な、ただしさっきのような敵意や憎悪が滲んだものではない不思議そうな視線を向けてくるエレメラに、私は「その点はあまり気にしないでください、特別なことなどありませんし」とやんわり告げて、話題を引き戻す。
「それよりも今は、ルナリアさんと貴女の今後についてです」
「今後って……そんなの、さっきから何度も言ってるでしょ、私達はこれまで通りやってくから、あんた達が口を出すことじゃないわ」
「ところがそうもいかないんです。先程も言いましたけれど貴女の自由は――私が買い取ったんだもの」
完璧令嬢――もう令嬢って歳じゃないけど――の顔をやめて、ライバル令嬢の笑みでニヤリと笑ってみせると、エレメラが警戒した猫みたいな目をする。
「……どういう意味よ」
「身請け――という仕組みはここには存在しないようだけれど、まぁあれね、早い話、私が貴女を買ったのよ」
「は? あんた妻の前で違う女と寝る趣味でもあるの?」
「エルザはそんなことしませんわ!」
私が反論する前にクレアがくわっと牙を向いた。エレメラがまた「ひっ」と縮こまる。なんかトラウマになってないかしら……。
「もちろん違うわ。クレア以上に私を満たしてくれる相手なんているワケないし」
「え、エルザも、人前でそういう話は……」
「ごめんなさい、続きは今夜ね」
「〜〜〜〜っ、もうっ」
両手で顔を覆ったクレアの頭をひと撫でしてからエレメラに向き直ると、彼女は呆れたような苛ついたような半目で私達を睨んでいる。
「いちゃいちゃしたいだけなら帰ってくんない?」
「コホン。違うわよ、言ったでしょ、貴女を買ったの」
「私の客ってんじゃないならどういう意味よ」
「それは――」
ようやく本題に立ち戻り、私は改めて事情を説明する。説明、といってもそう複雑なことはしていない。ただ単に。
「……は?」
「ここの楼主と話はつけたわ。貴女の稼ぎ、今後十年分の一括払いと引き換えに貴女の身柄を譲り受けたのよ」
「い、いや……え、どういう」
言葉が出てこないのか口をあけたまままごまごしているエレメラから、さっきまでの鬼気迫る様子は完全に消えていた。
「ああこのことは秘密にしてね。人身売買は我が国の法では認められていないし、この話はあくまで、店に入ったばかりの稼ぎ頭を掻っ攫っていくことを黙認してもらうためにお店にお金を払った、っていうだけのことよ」
花街、なんて言うものだからもう少し簡単に身請け出来るかと思ったけれど、この街には娼妓を借金で縛り付けるような明確なルールは無いらしく、そのせいでかえって交渉は長引いてしまった。お金を払うから看板娼妓を下ろせ、というのは店にとっては痛手でしか無いわけで、結局今後十年で彼女が店にもたらすであろう利益を肩代わりすることでなんとか決着を見た。
この花街の娼妓たちはお金や暴力で縛られている訳ではないらしい。ただ、多くは身寄りがなかったり後ろ暗い過去があったり、そんな親のもとで産まれてこの街の中だけで育ったりと、街の外で生きていくのは難しい者が多く、それが長い間続くうちに自然と街を出ることへの忌避感が共有されるようになっていったのだという。
お金で縛られていると言うよりは、ここで生きること自体をお金に変えている、という方が正しいのかもしれない。
だからその「お金」という見えるようで見えない鎖を、強制的に断ち切ったのだ。
我が家は爵位こそ子爵とはいえ第一王子補佐室に勤務する次期宰相候補の家で、しかも当主と妻は国内有数の有力貴族出身である。つまり、金ならあるわ、という状態なわけで。
もちろん新たに事業を起こしたりするには心もとないけれど、娼妓の十年分の稼ぎくらいなら、少し頑張れば捻出できる。昨夜クレアに相談された一件のために今朝は朝一でここを訪れていたのだけど、まさかルンちゃんがここに連れてこられることになるとはね……。早めに動いていたことが功を奏したわけだ。
「買った、と言ってもそれは貴女がこの店を辞めて、街の外へ出るというだけよ。それ以外に貴女に何かを強制したり、強要するつもりはないから安心して」
「あ、安心? 安心、なんて――っ、っは」
エレメラの呼吸が荒くなる。いや、浅くなった、というべきか。短く息を吸おうとして失敗しているような、過呼吸に似た様子に思わず「大丈夫?」と声を掛け――る前に、彼女はそのままその場で顔を覆って項垂れてしまった。
「エレメラ、さん?」
「……んて」
「はい?」
「安心なんて、出来ないわよ」
未だ乱れた呼吸の隙間を縫って、そう言葉を発する。
「全部、あんたたちが、やっちゃったんだ。私の、してあげたいこと、できなかった、こと、全部。私じゃなくて、あんたたちが」
肩を震わせ、震える息を吐きながら、激しい憎悪と嫉妬を滲ませた冥い両目が指の隙間から私達を捉える。
「こんなの、こんなのってない。私じゃない、なんて。じゃあ、やっぱり、私は」
ぽたり、と。
美しい髪を乱して顔を伏せた女の指の間から、雫が落ちる。ベッドに涙が沈み込むだけの数瞬、誰も何も言えない時間が過ぎて、そして。
「やっぱり私は、あの子を傷つけた、だけだった」
この場の全員が知っていたことを、誰よりも彼女自身が知り尽くしていた事実を、エレメラは静かに認めた。
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