EX04-11:私だからこそ

「欲を言えば、考えた上で一言相談してほしかったのですけれどね」


 私の呟きは既に意識を失っているルナリアには聞こえなかっただろう。あとでしっかり言い聞かせなくてはならない……が、今はまず。


「怪我の手当を」


「はい、奥様」


 アニーが頷いて退出しようとしたところで、ようやくこれまで呆気にとられて固まっていたこの部屋の主が息を吹き返した。


「あっ、あんたたち、なによ! 勝手に部屋に入ってきて、ちょっと、そいつを返しなさい!」


「そいつ?」


 思わずそちらを睨みつけると、部屋の主ことエレメラがベッドの上で後ずさった。睨まれたくらいで縮み上がるなら大人しくしていれば良いのに。


「貴女にあの子を、ルナリアをそんな風に呼ぶ資格がありますの?」


「っ、ルナリアは私のものよ! 勝手に連れ出すなんて許さないって言ってんの!」


「あの子は誰のものでもなくルナリア自身のものです。まずはその醜い所有欲を改めてから発言なさい」


「みにくっ……な、なんなのよアンタ! いきなり入ってきて好き勝手して!」


 癇癪を起こしたように唾を飛ばして憤慨する女を私は冷めた目で見下ろす。私は立っていて彼女は座ったままという無礼も、こうなっては無様であり憐れとしか思えない。この私に憐憫を抱かせるほど間抜けで愚かなこの女が、ルナリアを支配していたという事実が心底気に入らなかった。


「なに、と言われればそうですわね……私はあの子の、ルナリアの友人ですわ」


「友人? バカ言わないでよ、ルナリアはこの薄汚れた街で育って、この間までしょぼい孤児院にいたのよ? アンタみたいな小奇麗な格好の女と、友人どころか知り合うことだって……」


 そこまで言いかけてエレメラの顔がハッとしたように強張る。……本当に愚か。どうやら今の今まで、噛み付いた相手の姿もロクに見えていなかったみたいだ。


 今の私はかつての令嬢然とした華美なドレスや装飾は夜会などの場に限り、普段は幾分おとなしい服装に落ち着いている(それでもエルザには「派手好きね」って言われる)けれど、だからといって質素なものを身に付けているわけではない。普段使いの外出着だって当然良いものを見立てている。物の価値がわかる人間ならひと目見れば私がそれなりの家の人間だとわかるはずだ。


 頭に血が上ってまともにこちらを見ていなかったようだが、エレメラはこんなんでもこの街では名の通った娼妓だ。高価なものを貢がれる経験もあるだろうし、それなりに身なりの良い客の相手もしているだろう。遅まきながら、私の服が上等なものだと見てとったようだった。


 ただ、そんな相手が自分がいいように囲っていたルナリアを友人と呼んで庇おうとすることには、未だに理解が追いつかないようだけれど。


「エレメラ・リベラ、ですわね」


「そ、そうだけ……ですけど」


 慌てて敬語を取り繕う。けど、恐れはあるものの敵意も消えていない。手当のためにルナリアを抱えたアニーが出ていった扉と、その前に立つ私との間を落ち着き無く彷徨う視線には、まずいことになったらしいという焦燥だけでなく、彼女の楽しみを奪った私への明確な悪意が滲んでいた。


「ルナリアの友人として、あの子を取り戻しに来ましたわ。大人しく、あの子を手放してくださいますわよね?」


「はぁ? 勝手なこと言ってんじゃないわよ!」


「勝手? それは貴女のことではありませんの?」


「ひ、人の部屋に上がりこんで従者を奪っていくなんて横暴でしょ! 貴族だって罪は罪よ!」


「……本当に、どこまで愚かなのでしょうね。こんな心根から腐った女に育てられて、よくルナリアはあんなに素直に育ってくれましたわ。それとも貴女の愚かさを見て学んだのかしら」


「貴族さまだからって馬鹿にしてんじゃないわよ! あたしらだって、この街で必死に」


「必死に? 必死にあの子を虐めていましたの?」


「なっ……」


 ルナリアに何をしていたのか、先程の一部始終を目撃されたことをやっと思い出したのか、二の句が継げず歯ぎしりする。


「言っておきますけれど、この場で不利なのは間違いなく貴女ですわよ。私はこれでもこの国の重鎮にそれなりに顔が利きますの。貴女に無実の罪の一つ二つ、適当に押し付けて捕らえるのも、処断させることだってできると断言しますわ。その上で、私は貴女がルナリアに自傷行為を強いていた現場を見ています。床の血溜まりとルナリアの傷の証拠能力は十分。つまり、私がでっち上げるまでもなく貴女を投獄することは簡単、ということですの」


 おわかり? と敢えて微笑む。エルザが人を強請る時によく使う笑みを真似たそれは、どうやら十二分に効果を発揮したらしくエレメラは「ひっ」と息を呑んだ。……なにもそんな恐ろしい怪物を見るような目をしなくても。


「し、躾よ。使用人の躾。あんたたち貴族だって、仕事のできない使用人にはきつく当たるんでしょう?」


「……確かに、一部の貴族には体罰を伴う指導を行う者もいますわね。ですが、そも彼らと使用人とは雇用関係です。支払われる給金相応の役目を果たす契約が成されているのですから、その達成を促すことはありましょう」


 もっとも、だからといって使用人を動物や家具と勘違いしているような貴族は粛清されて然るべきだろうと思うし、実際陛下の治世において少なくとも王都からはそうした粗野な振る舞いの貴族は追われている。殿下やマリー、もちろんエルザも仕事の一環として使用人の雇用状況が適切であるように雇用契約の厳格化を進めている。十全とは言えないが、リムやアニエスのように使用人たちが誇りを持って勤められるように法整備は進んでいるのだ。


 そういった社会的背景からも、花街で見習いを虐待していたとなれば貴族たちはこぞってエレメラをやり玉に上げることだろう。自分たちは取り締まられて花街の娼妓は野放しなんて、彼らのプライドはそれを看過できるほど安くはない。


「デタラメよ! 私とルナリアはずっとこの街で生きてきたの。これからもそうするだけよ、何を責められることがあるっていうの!」


 そのあまりにも身勝手な言葉に、私は喉から出かかった次の悪罵が消えていくのを感じた。あの子を、ルナリアを一方的に傷つけた憎むべき相手、単なる感情の問題ではなく実際に罪人に等しい相手を前にして、振り上げた言葉の刃を振り下ろすことを躊躇ってしまった。


 ……ルナリアは言っていた。ルナリア自身とこの女は「おんなじ」だと。何を意味する言葉なのか、部屋の外で飛び込むタイミングを窺っていた時はそこまで考えは及ばなかったけれど、もし本当にルナリアとエレメラ、この二人が似ているというのなら、ルナリアに過去の自分を重ねた私もまた、目の前の女と似ているのではないだろうか。


 エレメラはこの花街で産まれ、育ち、生きてきた。城下とはいえ中央からは離れた、警備隊の目も甘い、色と暴力の耐えない街で。この街で彼女は名の通った娼妓だが、街の外ではその名は何の意味も価値も持たず、そこがどんな場所なのかも、彼女は知らない。


 花街に産まれ、花街の娼妓としての生き方しか知らない女。

 貴族の家に産まれ、貴族の娘としての生き方知らなかった私と、一体どれだけ違うのだろうか。


 確かにエレメラは誤った。彼女がどんな幼少期を過ごし、どんな狭い人生しか知らなかったとしても、ルナリアを傷つけていい理由なんてありはしない。


 でも、私だって一度ならずマリーを傷つけ、殿下に背き、エルザからも逃げようとしたのだ。私だって誤ったのだ。そんな自分に、目の前の女を断罪する資格が、本当にあるのだろうか。


「こ、これはこの街で生きる人間の問題よ。貴族サマが出てきて、余計なお節介を焼くなんていい迷惑だわ」


 私の沈黙をどう受け取ったのか、表情に活力を取り戻しつつあるエレメラが気色ばむ。口角が釣り上がり、嘲笑すら滲ませて私を追い出そうとする。

 確かに、私には彼女を責める資格はないのかもしれない。所詮は同じ穴に落ちた同士、過去のどんな行いをあげつらってみたところで、穴に転落した事実は同じことだ――同じ、だけれど。


「……いいえ、私だからこそ、ですわ」


「は?」


「貴族だからではありません。ルナリアの友人だからでもありませんわ。私が私であるからこそ、貴女の犯した罪を決して見過ごせない」


 ――同じ穴に落ち、そして穴から引き上げてもらった人間として。


 生まれついた場所からまっすぐに伸びる道を歩くことしか知らなかった。その道を外れることができなくて、誰かに犠牲を強いた。それは私も、エレメラも同じことだ。


 でも、私にはエルザがいたから。


 穴の底でいじけている私に手を伸ばして、泥にまみれても気にせず引っ張り上げてくれた。私の過ちを糾して、その上で頑張ったねと頭をなでて、手をつないで、一緒に歩いてくれる人がいたから。

 だから私は今度は救う側になろうと思った。ルナリアを救おうと思った。


 でも、一人しか救っちゃいけないなんて、そんな訳はないのだ。


 私に似た女がもう一人いた。穴の中には私とルナリアとエレメラがいた。先に助け出された私が、今度は二人を引き上げるのに、何をためらう必要がある?


「貴女は向き合いなさい、己の罪と、そして何よりルナリアと」


「っ、なによ、結局そうやって、私に罪状を押し付けて投獄する気なんでしょ! 貴族なんかに、私やあの子の生きる場所が理解できるもんか!」


「そうですわね。この街のことはきっと、私は何も知らないのでしょうね。けれど貴女のことはわかるんですのよ」


「知ったような口を利かないでよ、私もルナリアも、他に生きる場所なんてないから、こうやって生きるしか方法は――」


「いいえ、ありますのよ。貴女にとってはいっそ恐ろしいほど、この世界にはいくらでも生き方があるのですわ」


「人生を金で買える貴族に、私達の暮らしがわかってたまるか! 私だって、あの子を好きにさせてやりたかった! 自由を与えて、この街から出して、羽ばたかせてやりたかった! 優しく愛してやりたかった! でも出来ない、だって私はそんな愛し方を知らないんだもの!」


 半狂乱。髪を振り乱し口から泡を飛ばし、元の美しさをかなぐり捨てたエレメラの叫びは、きっと今まで誰も、ずっと隣で暮らしてきたルナリアも知らない、エレメラ自身ですらきっと理解できていなかった、彼女の本心なのだろう。


 店を移るついでとばかりにルナリアを孤児院に放り込んだのも、自由にさせてあげたいという彼女の願いがさせたこと。連れ戻しに来てしまったのは、きっと彼女自身が思う以上にルナリアに依存していたから。


 その感情がどんなに歪んでいて、その表現がどんなに残酷で、その方法がどんなに間違っていたとしても。


 彼女がルナリアにしてきたことは全て、ルナリアを愛していたからなのだ。


「では、知ってください」


 キィ、と蝶番を鳴らして扉が開く。エレメラは新たな闖入者に苛立ちと怒りを込めて、そして私は情けないことに安堵を覚えて、声の主を振り返った。


「貴女の自由、私が買わせていただきました」


 そう言ってにっこりと微笑んだのは、誰よりも頼もしい私の伴侶。

 エルザベラ・フォル・ヴァレッシュが、美しく笑っていた。

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