EX04-7:そうだといいな
「わ、わたしの……」
ルナリアの視線が私の足元のあたりを落ち着きなく行き来する。俯いたまま視線を彷徨わせて、まるでどこかにこの質問の答えが落ちているとでも思っているみたいに。
「私はアナタの間違いを矯正します。ええ、そのつもりですわ。けれどそれはあくまでも常識の範囲内でのことです。人として当たり前のことは、私が教えます。無理にでも身につけて頂きます。けれどその先、アナタがアナタの人生に何を望むかは、私にも決められませんのよ」
今すぐ答えが返ってくるとは思わない。すぐに答えが出る問いではないことくらいわかっている。それでも、まずは考えてもらわなければ始まらないのだ。
「わたしの、人生」
「ええ。アナタは知らないかもしれませんけれど、いいですこと? 人生というのは、誰にも奪えないアナタだけのものなのです。この世の誰も、アナタの人生を奪う権利はありませんの。もちろん、アナタ自身でさえもです」
自分で自分の人生を殺すなんて、絶対に許されない。
家のために自分を殺すのも、自分のために自分を殺すのも、そんなの生きているとはいえない。
もしも自分の人生をなげうつことがあるとしたら、それは自分が愛した人のため。自分が選んだ道のためだ。自分を生かすためだ。そうでないなら、それはただの自棄に過ぎない。
……そう、だからこの子は私に似ていて、だからこそ許せない。
自分の人生を生きないのは、あの日私に自分の好きに生きていいと教えてくれたエルザの言葉を違えることだ。私自身はもちろん、私の目の届く場所で誰かが同じ道を歩もうとするのを見過ごせば、それはエルザが私にくれた言葉への裏切りだ。
「わたし、だけの」
「そうです。ですからそうですわね……一週間後、もう一度同じことをお聞きしますわ。その時までに、なにか一つでも、自分のためにしたいことを考えておいてくださいまし」
「…………」
「お返事は?」
「ぁ、は、はい!」
びくびくと怯えるように縮こまりながらも上目遣いに返事をする。それでいい。今は私に強制されているからという理由でもいい。言いなりになるだけではなく、自分の内側に少しでも意識を向けてくれればそれで十分。
「ではそちらは宿題ということに致します。さて、それでは何から始めましょうか……リム、何がいいかしら?」
「うぇ、ここで私に振るんですか!?」
私の後ろではらはら顔で見守っていたリムがむむっと唸る。
「で、ではまずは言葉遣いからではいかがでしょうか。基本的な注意点だけまずは押さえて、あとはこうしてお話しながら慣れていけばよいかと思います、けど……」
自信なさげに尻すぼみになるところがリムらしいけれど、長い付き合いなのだしそう萎縮しなくても。悪い案じゃありませんし。
「ではそこから始めましょう。言っておきますが、私のレッスンは厳しいですよ?」
「……ぁ、は、はい……」
ニヤリと笑ってみせるとルナリアの目尻にじわっと涙が滲む。……ちょっと怖がらせようとは思いましたけれど、何も泣かなくてもよいではありませんの。そんなに私の顔、怖いのでしょうか。
まぁ、エルザはいつも可愛いと言ってくれるのでそれで良しとしますわ。
* * *
「お、おはようございます、クレア様」
「おはようございます、ルナリア」
翌日。
昨日に引き続いて院を訪れた私に少々ぎこちなくではあったもののルナリアはきちんと自分から挨拶をした。もちろん、昨日みっちり教え込んだ言葉遣いと簡単な目上への礼をそなえてだ。ルナリアの後ろで見守っていた双子の姉、ポフルが驚いた顔をする。
「教えたことはきちんと覚えているようですね、感心ですわ」
「……ぁりがとうございま、す」
「言葉はハッキリと、語頭と語尾まできっちりと相手に聞き取れるように、ですわ」
ぺしっと軽めの手刀を頭にくれてやると「あうっ」と声を漏らしてから慌てて「ありがとうございます」とハッキリと言い直した。はい、素直で結構。
「リム様も、おはよぅ……ございます!」
「はい、おはようございます! えへへ、様なんてつけられると、なんだか私までドキドキしちゃいます」
リムもニコニコ笑顔で挨拶を返す。まぁ、途中で躊躇い気味に声がしぼんだのは見逃してあげましょう。その後自分で気づいて後半はハッキリ大きく言えていたし。
ちなみに、私とリムに様づけしているのは敬語の概念は基本的に相手を尊重するところから、と教えたからだ。別にかつてのように貴族という立場で偉ぶるつもりはないけれど、年齢もそれなりに離れているし、敬語を使う意味や状況とセットで覚えるには丁度いいからと昨日のうちに言い含めてあったのだ。当分の間、ルナリアにとって私達はクレア様でありリム様なのである。
「ルンちゃんが自分から挨拶するなんて……」
通りしなそう呟いたポフルに軽く肩をすくめて見せる。
「あれは昨日のうちにそうしろと言っただけですわ。まだまだこれからです」
「でも、私達が挨拶をしなよ、って言っても自分からはしてくれなかったのに……」
「いきなり自発性を求めるのは酷ですわ。きっとあの子には、自分から挨拶をしたい、なんて気持ちはないのです。だからまずは「しなさい」と強制して、その意味を教えながら習慣にするのです」
「……クレアラート様って、子育ての経験がおありなんですか?」
「あいにく、妻との間に子はおりませんの……なんて顔をするんですの」
冗談のつもりだったのだが、ポフルの顔がさっと青ざめたので思わず心配してしまった。
「ご、ごめんなさい、あの、そういうつもりでは」
「別に気にしてませんわ。子育ての経験もありませんし、どちらかと言えば子供は苦手ですわね」
「そう、なんですか……でも、ルンちゃんのことはとてもよくわかってくれてるみたいですけど」
「あの子はちょっと特別ですもの」
「……はぁ」
そうなんですか? と首をかしげるポフルを「それ以上聞くな」の笑顔で黙らせて、廊下の先でこちらを窺っているリムとルナリアを追いかけた。さて、今日は何を教えましょうか。
* * *
「こ、怖かった……」
「だったら不用意に貴族のプライベートに踏み込むなよ」
「で、デクル! 黙って見てるなんてずるい!」
「わざわざ怒られに出ていくやつがいるか」
居間の扉から顔を出した妹兼恋人を、ポフルは涙目でにらみつける。デクルは気にした様子もなく、クレアたちが入っていった廊下の奥の扉を見つめた。
「強制か。そりゃあたしらには盲点だよな」
「そうね」
二人にとって、院の子どもたちはかつての自分であり、守るべき対象だった。ここへ来るまでに辛い思いをしてきた子も多く、そんな子たちに大人である自分たちが何かを押し付けるなんてよくないと、二人は子どもたちの自主性を最大限尊重して今日までやってきた。
もちろん、それが大きく間違っていたとは思わない。多くの子供達ははじめは引っ込み思案でも、だんだんと「好きなことをしてもいい」と自分で理解し、能動的に動くようになっていく。
イタズラでもしてくれるようになれば万々歳。そんな元気があれば、もはや叱ったくらいで萎縮して自己を殺したりはしない。
でも、ルナリアはそんな二人の経験にまるで当てはまらなかった。
故に、二人にはどうしていいかわからなかった。
「……クレアラート様は、ルンちゃんを救ってくれるのかしら」
「さぁな。でも……あたしらに出来ないことをやってくれんのが、お貴族さまなんだろ」
「そうだと、いいな」
二人は不安げに、そしてほんの少し期待のこもった視線を、閉じたままの扉に送っていた。
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