EX04-6:悪役令嬢の流儀

 気に入らない。


 その少女を初めて見たときに抱いた感情は、言葉にすれば初めて私の愛する彼女と出会った時とよく似ていた。あるいは、生涯の友人となった次期王妃と顔を合わせたときも、同じような感情を抱いていた気がする。


 本人に原因があるわけじゃない。ただその境遇が、振る舞いが、ひどく鼻につく。端的に言って不愉快だ。……いい加減に認めるべきなのかもしれない。私が悪印象を受ける相手というのは、往々にして善い人なのだと。


 でも、まぁ。

 私だって馬鹿ではない。エルザとのあの一件から、私だって学んで、成長したつもりだ。


 だから少なくとも、感情に任せて怒りを噴出するような真似はしてはいけないと思いとどまった。冷静に怒る。なにに怒り、なにを嫌悪し、なにを憎むかをコントロールする。それは簡単なことではないけれど、でも、そうしなくてはいけない。


 私は、エルザの妻だから。


 彼女に相応しい自分でいられるよう、いつも心がけていなければ。

 それはいつかの追い立てられるような強い焦燥ではなく、当たり前に果たすべき責任と、私自身の望み。エルザはきっと、前に進まない私がいても甘やかしてしまう。私もきっと甘えてしまいたくなる。でも私は、私の分までエルザが苦労することも、私達の結婚を蔑まれることも望まない。


 そう、私が望まない。


 そして私は、私達が世界で一番幸せな夫婦だと思っているし、周囲にはそう思わせたい。そうあり続けたい。だから私は、私が自分を肯定するために、自分がエルザに相応しいと思い続けるために、善くありたい。


 そう、私が望んでいる。


 誰かに望まれて、その形になりたいのではない。

 私自身がそう望んで、その姿でありたいだけ。

 だから私は、私が望む、私らしい私で。愛する人に相応しい女が、言うべき言葉を選んだのだ。


「あの子のことはこの私、クレアラート・エル・ヴァレッシュが引き受けましたわ」


 ……ちょっと、勢いがつき過ぎたかもしれない。



* * *



「本当に行くの?」


「なんですのエルザその心配そうな顔は。私は自分の言葉に責任も持てないほど情けない女ではありませんのよ?」


「いや、でも……」


 不安げに眉尻を下げるエルザを見ていると、彼女が私をいつでも気にかけてくれていると思うと同時に、少々過保護というか、肝心なところで信用されていないような気もしてしまう。


「心配は不要です。エルザは自分のお仕事に集中なさいな。私も、私がするべきと思うことをするまでですわ」


「わかった。でも、何かあったら相談してね。これは心配とか不安とかじゃなくて、クレアのことは私のことだから。ちゃんと一緒に考えさせて」


「……ええ」


 ――いけません、危うくにやけてしまうところでしたわ。


「行きますわよ、リム」


「は、はい、奥様!」


 リムを連れて馬車に乗り込む。向かう先はもちろん、あの孤児院だ。



* * *



「……え?」


「少し遅いですが、まずは「おはようございます」ですわね」


 私を前にしたルン――ルナリアは、目をパチクリさせて小さく口を開けたまま固まった。


「……ぁ、ぇと、おはよう、ございます」


「はい、よくできましたわ」


 そっと頭を撫でるとびくっと身をすくめる。なんとなく想像していたことではあるが、やはりこの娘は触れられることに慣れていない。撫でられることもなければ、きっと、殴られたことさえなかったんだろう。


 失敗の罰さえ、自分の手で与えていたのだから。


 施設の経営者であるあの双子は、確かに彼女に触れて、抱きしめていたのかもしれない。でも、それはきっと無条件のことだった。あるいは、彼女がパニックに陥って冷静さを欠いている時か。

 パニックのときは言わずもがな、無条件に触れられ、撫でられ、愛されることはきっと、今のこの娘には理解し難く、温もりには常に不安の影が付きまとうに違いない。


 ……エルザに触れられるたび、私もそう感じていたから。


 嬉しいのに、恐ろしい。理解できないから怖い。知ってしまった温もりが、手を滑り落ちてしまうのが何より怖い。だって、私は愛される理由がないから。


「アナタが正しいこと、善いことをしたら、私はこうしてアナタを褒めます。いいですわね?」


「……ぇ、ぁの、わたし、ぇっと」


「もちろん、間違ったことや悪いことをすれば叱ります。まずはそれを覚えなさい」


「…………」


 困惑を色濃く浮かべた瞳が私を見返す。深く青い瞳は、ああやっぱり、見れば見るほど私に似ている。あの頃の私と、同じ色をしている。


「私はクレアラート。アナタには特別にクレアと呼ぶことを許して差し上げますわ。さぁ、言ってごらんなさい?」


「ぇ、くれ、あ?」


「もう一度、はっきりとですわ」


「……クレア」


「よくできました」


 もう一度撫でる。またびくっとした。でも、逃げようとはしない。大丈夫、この娘はちゃんと、私と向き合おうとしている。


「ぁの、クレアは、なんで、ここに」


「もちろん、アナタに会いに来たんですわ」


「わたしに?」


「ええ」


 頷くと、きょろきょろと落ち着きなく視線を彷徨わせる。きっと、今まで自分に会うためにわざわざ足を運ぶ人間なんていなかったんだろう。孤児なら珍しいことではないが、彼女の場合はおそらく、ここに入る以前から、自分のために足を動かしてくれる人などいなかったのだ。


「それで、あの、わたしは、何をすれば?」


「なんのことですの?」


「クレアは、わたしに、何をさせたい、ですか?」


 辿々しい敬語。そう、彼女はこうして誰かの役に立つことでしか人と関われなかったんだ。まるで、エルトファンベリアの人間としてしか在ることが出来なかった、蒙昧な令嬢のように。


「アナタにさせたいこと、ですか。そうですわね、では一つ、お願いしてもよろしいかしら?」


「は、はい! なんでも、なんでもします」


 目を輝かせる。役割を与えられることを喜んでいる。きっとそれがどんなワガママでも嫌がらせのような無茶な要求でも、彼女にとって他人と関わるたった一つの方法がそれだったのだ。

 けれどそれではダメだ。そんなことで、目をキラキラさせるなんてダメなのだ。


「聞かせてくださいな。アナタに何があったのか。アナタは何がほしいのか。アナタはこれから、どんな人になって、どう生きていきたいのか」


「……ぇ」


 輝いていた瞳が一瞬で暗く濁る。鎌首をもたげた罪悪感を押し殺し、私は意識して見下すように笑む。

 優しくはしない。どこまで行っても私はクレアラートだ。弱さを言い訳にする人間を、優しく許して、肯定なんて絶対にしない。


 私はエルザのように優しくない。マリーのように強くはない。

 それでも、エルザの妻として、マリーの友人として選ばれた自分を誇るなら。

 私は私のまま、この娘を救う。


 ――もちろん、ええもちろん。私のやり方で、ですけれどね。

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