EX04-5:引き受けましたわ

「…………」


「…………ぁ、の」


 黙りこくったままなのに数秒ごとに眉間の皺が深くなっていくクレアを前に、すっかりと萎縮したポフルさんがぼそっと上目遣いにこぼすと、クレアの目がギロリと鋭く眇められた。


「ひっ」


「クレア、どうどう」


「……フン」


 不機嫌を隠そうともせずクレアは鼻を鳴らして険しい視線をポフルさんから逸らした。なんか、子どもたちの前を離れて事務室へ戻ってから一気に不機嫌顔になってしまった。なんとなく、どこかの誰かに怒っている訳ではなさそうなのが察せられるので、私やリムちゃん、ポフルさんと一緒に戻ってきたアニーは特に気にしてないのだけど、クレアの悪役顔(不機嫌モード)と初めて対峙したポフルさんは縮こまって震えている。


 申し訳ないような、でも……クレアの気持ちも、わかるような。


 多分、いや間違いなくクレアは怒っている。でも、それはポフルさんやデクルさんに対してでも、ルンちゃんに対してでもない。もちろん私達に対してでもなく、自身に向けてでもない。

 あれは多分、怒るという形以外で、今の憤りを発散できないんだ。誰かを攻撃したいわけじゃない。誰かを悪いと責めたいわけじゃない。それでも、怒りはそこに確かに存在する。


 クレアの気持ちが全部わかるわけじゃない。ただ、居間を出る前にクレアが小さく漏らしたのは、確かに憤りだったんだ。


「……似てますのよ」


 それだけ。クレアはそう、ぽつりと漏らしただけだった。その意味が全部わかったとは言わない。でもきっと彼女は「似ていることに怒ってる」んだ。

 そんなことがあって良い訳がない、そんなことは認めたくない。そういう類の怒り。それはきっと、私が「クレアたん」を思い出したあの日、あの夢を見た後の行き場の見つからない焦燥と使命感に似ている。


「悪ィな、待たせた」


 子どもたちの相手をしていたデクルさんが戻ってきて、当事者以外の全員が揃う。


「……それでは、キッチリと説明していただけるんですのね?」


「お、おう」


 部屋に入るなり凄んできたクレアに少々たじろぎつつも、デクルさんはポフルさんの隣に腰を下ろす。そのポフルさんは「デクルぅ……」と妹に涙目ですがっている。


「あー……悪いけどうちの姉をいじめるのはその辺にしてくれ」


「いじめられてはないよ!」


 デクルさんに軽く肩を抱かれてポフルさんがふるふると首を振る。苦笑しつつその頭をぽんぽんしてから、デクルさんは表情を引き締めて私達に向き直った。

 仕事の話をしたときと同じく、私とクレア、ポフルデクル姉妹が並んで向かい合い、リムちゃんとアニーが私達の後ろに控えている。


「それであの、ルンちゃん……ルナリアのこと、なんですが」


 息苦しい部屋で最初に口を開いたのはポフルさんだった。


「最初にお断りしておきますけど、私達も詳しい話まで聞いてるわけじゃないんです。だから、お話しできることといっても、ほとんどが推測の域を出ないんですけど」


「あの子を連れてきた連中も扱いかねてたんだろうな。ほとんど何も話さずにあの子を置いてった。事情を聞こうにも連絡先もロクに告げずに帰りやがったんだ」


 逃げたんだよ、見て見ぬふりで傷つけたあの子から。

 そう言うデクルさんの声にも怒りと苛立ちが混じっている。


「見て見ぬふり、ですか?」


「ん。……いや、それも想像なんだけどな。ただ、あの子をここへ連れてきた男の顔には罪悪感みたいなものがあった。あの子をあんな風にした本人じゃねぇだろ。だからって許すわけじゃねぇけどさ」


「誰が、なんてどうでもいいですわ。私が知りたいのは、あの子の身に「何が」あったかですの」


「……そうですね」


 クレアの苛立たしげな声にポフルさんが頷いて、妹の話を引き継いだ。


「さっきもお伝えした通り、あの子自身もほとんどそのことについては話してくれません。私達にわかるのは、あの子が「誰かのために働かなくてはいけない」と思っているらしい、ということだけなんです」


「働く、ですか?」


「働くって、それは、まぁ」


 アニーとリムちゃんが揃って目を合わせる。まぁ、そうよね。私は前世で普通の日本人で、クレア共々今生ではご令嬢なので、働くというのは子供の頃から身近ではなかったけれど。

 アニーはルンちゃんよりもう少し上だったかもしれないけれど、リムちゃんはルンちゃんくらいの年頃には既にクレアのところで侍女として働き始めていた。


 この世界には前世のように成人とか社会人という括りはあまりない。漠然と子供のうちは庇護されるけれど、個々それぞれ「働ける」と判断されれば仕事をするのは普通のことだ。雇われではなく家業がある家の子なんかは、小さい頃から手伝いをしてそのままいつの間にか自分から店や工房を仕切るようになるのも珍しくない。


 そういう意味では、侍女二人にとってはルンちゃんくらいの子が保護者のもとで何らかの仕事をしていた、というのはそんなに驚くことではないのかもしれない。けど、ここで問題になるのは働いていたということより……。


「誰かのために、というのは?」


 私が聞き返すと、はい、とポフルさんが続ける。


「彼女、ルンちゃんがあんな風になったのは、ここに来てからも何度かあって……いつも、お手伝いに失敗した時でした」


「はじめはホントに、何がなんだかわかんなくてな。でも、何度かあのパニックを繰り返すうちに傾向が見えてきて」


「で、でも、あの、それならお手伝いをお願いしないとか、それにあの刃物だって、取り上げちゃえばよかったんじゃ」


「はぁ……そりゃ、あたしらもできるならそうしたさ」


「と言うと?」


「あの子はきっと、誰かの手伝いをすることしか許されていなかったんだと思います。手伝いを言いつけないと、一日何も、食事さえしないでじっと過ごして、刃物を取り上げても同じです。誰かの指示に従って働いて、上手く出来なかったら自分で自分に罰を与える。その事が、あの子が生きてきて覚えたことの全てなんです」


「それは……」


 息を呑む。

 誰かを手伝うことと、それしか知らないことは全くの別だ。だって知らないということは、与えられなかったということ。許されなかったということじゃないか。


「……あの子はさ、寝床を用意してやっても寝ないんだ。いや、寝れないんだろうな。一度無理に寝かしつけたら、夜中に叫んで飛び起きたよ」


「ではあの子は寝ていない、のですか?」


「いや、寝てるよ。ただあの子は、衣装棚の中でしか眠れないんだ」


「衣装棚……」


「はい、あの子は衣装棚の中で、膝を抱えて眠ってるんです」


「他の場所じゃ眠れねーんだ。多分、あの子が安らげる場所がそこしか無かったんだろうな」


「そんな」


「……それでアナタ達は?」


 黙って聞いていたクレアが、静かな声で言う。


「アナタ達は、あの子になにをしてあげたのです?」


「え?」


「あの子の状態はわかりましたわ。それで、そんな彼女に対してアナタ達はどんな手を差し伸べたのです?」


「それ、は」


「あの子を救うために、アナタ達には何が出来たのですか?」


「……それは」


 追及を受けたポフルさんは悄然とし、デクルさんは悔しげに目を伏せている。


「つまり現状維持で手一杯でしたのね?」


「……はい」


「ああ、そうだよ」


 無念を滲ませた二人が頷いたのを見て、クレアは怒気を引っ込める、どころかパッと微笑んだ。


「では決まりですわね」


「え?」


「クレア? 決まりって、いったい何を」


「あの子のことはこの私、クレアラート・エル・ヴァレッシュが引き受けましたわ」


 いつかのように挑戦的な笑みを浮かべて、クレアはそう言い放った。

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