EX04-4:悪癖

お待たせして申し訳ありません…

申し訳ついでにもう一つ、今回微グロというか、ちょっと痛い表現があります。ご注意ください。


******


「次はおねーちゃんがおにー!」


「ふふん、いいですよ、すぐにみんな捕まえちゃいますよっ」


「きゃー!」


 意外にも料理がからっきしだというポフルさんに食堂と寝室を兼ねた居間という一部屋三役の部屋に案内され、料理担当のデクルさんの様子を見てくるという彼女と別れて数十分。ご飯の時間が近づくにつれぽつぽつと部屋に顔を出し始めた子どもたちと混ざって、リムちゃんがきゃっきゃとはしゃいでいる。


 室内ではあるが、こうして遊ぶことも想定しているのか、広めの部屋の壁際に机や椅子は立てかけられており、一つだけ座れるようになっていた場所にリムちゃん以外の私達三人は腰を下ろし、仕事のことやこの施設の様子について話していた。


 もっとも、主に口を開くのは私とアニーで、クレアは相変わらず何か難しい顔で子どもたちを見たり、俯いて額を揉んだりしている。一応私達の話に相槌は打っているが、どことなく上の空な様子だ。


「お待たせしましたー」


 ふわふわした調子でポフルさんが扉を開けて戻ってきた。手には湯気の立つ皿を載せた盆を持っている。彼女がやってくるなりリムちゃんと戯れていた子どもたちがわーっと先を競うように私達のそばに立てかけてあった机や椅子を部屋の中央に移動させ始める。誰が指示を出すこともなくみんなが楽しそうにお手伝いしていてなんとも微笑ましい。


 と、そんな子どもたちをニコニコと見守るポフルさんの後ろから、少し危なっかしくよたよたと現れたのは大きな鍋を持った先程の細身の少女、ルンだった。


「ん……しょっ」


「ああ、ルンちゃんありがとう。それじゃ、向こうのテーブルに――」


「重そうですね。持ちますよー」


「あ、待っ」


 よたよたと危ういルンちゃんの足取りを見かねてか、リムちゃんが横からひょいと鍋を取り上げた。

 ポフルさんの制止する声が聞こえたかどうか、どちらにせよ「ん?」とリムちゃんが振り向いたときには既に鍋はルンちゃんの手から取り上げられていて、当人はリムちゃんの手にある鍋をじっと見つめている。


「る、ルンちゃん、それじゃあの、デクルのところに、えっと」


 一人慌てるポフルさんに、私達がなんだろうと首を傾げたのも束の間。


「え?」


 驚きの声を漏らしたのはリムちゃんだった。呆気に取られて制止する声も出せないほど、あまりにすんなりと、ルンちゃんはソレを取り出した。


「なっ」


「ルンちゃんダメ!」


 私とクレアが思わず声を漏らし、ポフルさんがなりふり構わず飛び出したが、間に合わない。

 ルンちゃんはスカートのポケットから取り出した鈍く光るナイフを自分の左手に押し当てた。


 ぶしゅ、と肉を抉る音がした。気がした。


 実際には多分、音なんてほとんど聞こえなかった。刃こぼれのあとが見えるぼろぼろのナイフは刺さるでも切るでも裂くでもなく、ざりざりと腕の皮膚を削り取るように、薄く、確実に少女の腕に滑り込んでいく。


 刃を寝かせたまま干物でも削るかのように押し込まれていく刃の通ったあとにぷつぷつと赤い粒が湧き出していた。


「な、なにして」


 両手が鍋でふさがっているリムちゃんがどうすることも出来ずに後ずさる。ルンちゃん本人は痛みに顔をしかめながらも、自分の腕を淡々と削っていく。口元がかすかに、何か呟くようにもごもごと動いていた。


「ダメです!」


 ぱしっと、いち早く動いていたポフルさんの手がルンちゃんの腕を掴んだ。

 ルンちゃんが深海のように冥い瞳をゆっくりと上向け、どこか焦点の合わない目つきでじっとポフルさんを見返した。


「ダメですよ、大切なあなたの体を傷つけて喜ぶ人は、ここにはいません。みんなが悲しみます」


 静かに諭すように、ポフルさんが言う。虚ろだったルンちゃんの瞳にわずかに理性の光が戻ると、ようやく彼女はナイフを手放した。

 肉が薄く削がれ、皮膚の下が露出した痛々しい腕から、ポフルさんがナイフを引き離す。状態の悪いナイフは肌を離れる時にもルンちゃんの体を傷つけていた。


「あの、あのわたし、ごめ、ごめんなさい、その、こんな、だって」


「いいえ、さっきこのことを言わなかったのは私ですから、リメールさんが気に病む必要はありませんよ」


 青ざめて震えるリムちゃんに、どこか弱々しい笑顔でそう言いながら、ポフルさんは戸棚から取り出した救護箱でルンちゃんの腕に手当を施していく。

 動揺していない訳ではないだろうが、驚いている様子はない。ルンちゃんも痛みにじわりと涙を滲ませながら大人しくされるがままになっている。二人の様子から、これが一度や二度のことではないのは察せられた。


 手当している今の傷以外にも、長袖の下から現れたルンちゃんの腕にはいくつか包帯が巻かれている。よく見れば包帯と包帯の隙間にも、古い傷跡のようなものが見え隠れしている。


 ポフルさんはルンちゃんはここへ来てまだ日が浅いと言っていた。古傷があることからも、彼女の自傷行為はこの孤児院に来る前からのものだとわかる。


「ポフルさん、これは」


「ごめんなさい、きちんと説明します。でもその前にこの子を部屋に」


「……わかりました」


 ごめんなさい、ともう一度頭を下げると、ポフルさんはルンちゃんを抱き上げて部屋を出ていった。


「わた、わたし」


「……落ち着きなさいな、リム」


 クレアも心なしか青い顔をしていたが、少なくとも態度と表情はいつもどおりに取り繕ってみせていた。震えて動けないリムちゃんの背を軽くさすってから、彼女の手から鍋を取り上げ、私達と同じく顔をこわばらせて事態を見守っていた子どもたちのテーブルに下ろした。


「あの子が心配なのはわかりますけれど、みなさん、ポフルさんに迷惑をかけてはいけませんわよ。今はご飯の時間でしょう?」


 クレアが微笑んでそう言うと、比較的年長の子たちからぽつぽつと動き始める。年長の子たちに促されて今度は一番下の子たちが、そんな周りの様子を見て他の子たちもぎこちないながら鍋のシチューをそれぞれによそって食卓の用意をし始める。


「アニー、ポフルさんにさっきの事務室を使っていいか聞いてきてもらえる?」


「かしこまりました」


 アニーは私に小さく一礼すると、すぐに戸口へ向かう。その途中、未だに扉脇に立ち尽くしているリムちゃんの肩を抱くようにして部屋を連れ出していた。

 二人の背中を見送って、私はクレアと一緒に子どもたちの配膳を手伝うことにする。


「ほらそこ、食器は振り回すものじゃありませんわよ」


「はいはい、順番によそうから、お皿こっちに回して」


 にわかに騒がしくなり始めた子供たちをどうにかまとめ、全員に料理が行き渡り着席したのを確認したあたりで、しかめっ面のデクルさんとまだ少し顔が青いもののひとまず震えの収まった様子のリムちゃんが戻ってっきた。


「うちのチビが驚かせたみてーで、悪かったな」


「その話は後ですわ、この子たちに聞かせる話でもありませんでしょう?」


 バツが悪そうにぶっきらぼうながら謝ってくるデクルさんに、クレアはツンと澄ました様子で言う。デクルさんは「すまねぇ」ともう一度小さく謝ると「ほらチビども、お客さんたちに手間かけさせんなよ」と隣同士でふざけあっている子どもたちを叱りつけていた。言われた方の子どもたちもケロッとした様子で「はーい」と返事をしている。どうにか「いつもどおり」に戻ったらしい。


 先程まで子どもたちとじゃれていたリムちゃんも、懐かれたらしい子たちに引っ張られてぎこちなくもなんとか笑顔を浮かべられるようになっていた。


「……なんとか、この場は大丈夫そうですわね」


 すすす、とこちらに寄ってきたクレアが私にだけ聞こえるように言った。


「そうね。クレアが動いてくれて助かったわ」


「別に、この場で必要だと思うことをしただけですわ」


 クレアははじめからルンちゃんのことを気にしていたし、本当は真っ先に事情を聞きたかっただろうに、他の子たちのことを考えてこの場をまとめてくれたのだ。踏んできた場数の多さというか、いざというときの度胸と冷静さではまだまだ敵わない。


「それでさっきの、あの子ですけれど……見ましたわね?」


 もともと小さかった声を更に落として、ほとんどささやき声でクレアが問うてくる。


「ルンちゃんの腕、他にも傷があったわね」


「ええ。あの様子だと以前から自傷癖があったみたいですけれど……おそらく、あれは自分からやっているわけじゃありませんわよ」


「……まぁ、あの年頃の子が承認欲求やわがままで自傷にまで走るとは思わないけど」


「いいえ、それもそうですけれど、あの子ナイフを取り出してからずっと呟いていました」


 言われて、確かに口が動いていたなと思い出す。声は聞き取れなかったけれど、なにか短いフレーズを繰り返していたように見えた。クレアには聞こえたのか、あるいは口の動きから読み取ったのか、確信を持って続けた。


「あの子はずっと『もうしわけありません』と、それを繰り返していましたわ」

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