EX04-1:教会の双子

お久しぶりです。


今回もいつもの番外編ですが、ちょっと長くなりそうなので連載形式にします。短期(で終わったらいいな)集中(できたらいいな)連載みたいなアレです。よろしくおねがいします。



******



「陳情?」


「に、近いかと思われます」


 貴族として耳馴染みの無い言葉ではないが、こと当事者として、という観点からは初めて聞く言葉に思わず首を傾げた。取次として報告を持ち込んだアニーも、少々面食らった様子だ。


 私とクレアがそれぞれの家を独立して結婚してから三年。ユベルとマリーが結婚してから一年が経ち、身辺がようやく落ち着いてきた頃、その一報は舞い込んだ。



* * *



 我が家が子爵位を下賜されて以降、私とクレアは揃ってユベルとマリーの次期国王夫妻の相談役として王城にも顔を出していたが、一方で私は外交関連の国内窓口としての仕事も引き受けていた。というより、国王陛下直々に指名を受けての仕事であり、相談役はあくまで私的なもの、本業は外交官であったと言った方が正しい。


 けれどユベルたちが結婚すると同時に、私はそれまでの外交官としての仕事は一部を残して引き継ぎを行い、正式に次期国王の補佐室長として王城内に職を得た。外交官としては二年坊主に終わった訳だが、ユベル曰くあれは陛下による「我が国の女性文官の質の高さ自慢」の一貫であり、周辺諸国との会食に一通り顔を出してくれれば十分だったそうだ。


 ついでに言えば補佐室長はそのまま宰相への出世コースであり、現宰相を排出しているエルトファンベリア家に私が家としても仕事としても師事する形となる。嫌味の一つ二つは言われるかも知れないが、クレアを駆け落ち同然に娶ってしまった私に遺恨を解消する機会を与えてくれた、ということだろう。相変わらず、人を転がすのが上手い人だ。ユベルには真似できそうにない。


 そんな具合に陛下はまだまだ現役バリバリなのでユベルが王位につく時期については現状未定であるが、とはいえ陛下もそれなりの年齢である。遠くない将来、ユベルに王位を譲る時が来る。


 それ自体は私も歓迎すべきことだと思っているし、正式に国王補佐として腕を振るえるなら願ってもないことだ。だから補佐室長への就任そのものは歓迎している。我が家の財政が潤うのは、クレアにとっても嬉しいらしく彼女も貯金を数えては上機嫌に鼻歌をこぼしている。……大金持ちのご令嬢だった彼女に財布の心配をさせるのは、ちょっと心苦しいものがあるけど。


 ただ、室長への就任には一つだけ、大きな落とし穴があった。それは――。



* * *



「うちに陳情なんて、初めてじゃない?」


「はい……」


 こくりと頷くアニー。そう、前任者からの引き継ぎをすべて終え、正式に室長に就任してからはや二ヶ月。初めての陳情。すなわち、この仕事、めちゃくちゃ暇なのである。


「まぁ、殿下にはまだ実質的な権限はほぼ無いので、当然といえば当然なのですが」


 アニーの言う通り、現在のユベルは実務として仕事はしているのだが、肩書上はこれといった権限を持たない、宙ぶらりんの立場である。


 ツェレッシュ家の例からもわかるように、我が国は基本的に民衆に甘いながらも王家の規律と権限は厳密で、国王の持つ権限の幅は広い。近年ではエルトファンベリアのような有力貴族にも大きな裁量が与えられているが、国王の権限自体は強固に保護されている。この辺り、身内の反乱で危うく国が滅びかけた我が国らしい徹底ぶりだ。


 よって、次期国王といえども正式な譲位までの間ユベルには「王子」以外の肩書がなく、仕事も国王陛下の補佐であり、私の立場は補佐の補佐。雑用や書類整理くらいは毎日あるので城内の補佐室に出向いてはいるが、ユベル自身が有能なこともありお茶を片手に仕事をしても昼過ぎには終わってしまう程度の量である。


 正式な国王補佐室となれば想像を絶する忙しさだろうが、その時にはそれなりの人数の部下もつく。現在のユベル補佐室は私と、私が不在のときの窓口としてアニーがいるだけで十分回せていた。

 そんな部署に、陳情とは。


「殿下にもお伝えしましょうか?」


「報告だけでいいでしょう。どのみちマリーと一緒に視察に出てまだ一週間。王国の外縁付近をほぼ一巡してくるんだから戻ってくるのは一ヶ月近く先だもの。早馬を出すような案件でもないでしょ?」


「ええ、まぁ」


 頷いたアニーが差し出した陳情書を受け取り、目を通す。王都の外れにある小さな教会と、併設されている孤児院からの陳情だ。陳情書の内容にざっと目を通して、私は顔をしかめた。


「なに、これ」


「私に聞かれましても」


 アニーが軽く肩をすくめる。私も思わずむむむと眉根を寄せた。


 陳情の内容はなんてことのない、お金がないから国の支援を受けたいという、この手の施設にはよくある類のものだ。なんにでもハイそうですかと国がお金を出す訳にはいかないが、陛下の方針でこうした生活に直結する施設への支援は優先されている。何度も何度も支援するというわけではないが、この施設からの要請は初だし、それだけなら陳情の形をとった事実上の申請であって、規模から予算を組んでハンコを押すだけの状態で陛下の補佐室に回せばいいだけの案件である。ただ――。


「この地域一帯の規模と比べても、妙に大きな額の申請ね?」


 王都近隣の大雑把な人口くらいは頭に入っているが、件の孤児院がある地域は王都の外れも外れにある小さな一帯である。地方都市という言葉があるならば都市内地方とでも言えばよいのか、位置的には王都に属しながら事実上の片田舎、とそんな風情の場所だ。当然、人口も多くはなく、孤児院も小さなものなのだが、その規模に比べて妙に申請額が大きい。入院孤児の増加に伴い、と付記されているが、増加といえど限度がある。


「んー……」


「支援額を下げる方向で調整しましょうか?」


 唸る私にアニーが現実的な提案をしてくるが、単なる水増しにしては大きすぎる額だし、申請ではなくわざわざ陳情の形で持ち込まれたことも気になる。


「……いいわ、まずは行ってみましょう」


「旦那様が直接出向かれるので?」


「ユベルがいない以上、代理の私が行って確かめないと正しい判断はできないでしょ」


「わかりました、すぐに向かわれますか?」


「ええ。公務用ではなく、我が家の馬車で行きましょう。ああ、それと直接ではなく、一度屋敷に寄ってちょうだい」


 御者も出来るアニーにそう付け足すと首を傾げられたので「適任者を同行させたいだけよ」と肩をすくめておいた。



* * *



「フン、みすぼらしい場所ですわね」


「でもなんだか懐かしい感じです!」


 降り立つなり開口一番、対照的な反応のクレアとリムちゃんに苦笑しつつ、私もアニーの手を借りて馬車を降りた。


 適任者、とはもちろんリムちゃんのことである。孤児院出身の彼女なら、お金のことは別にして孤児院の規模や人数について私達では気づかない点にも気づいてくれるかも知れないと思ってのことだ。クレアまで連れてくるつもりはなかったのだけどいつもより早く屋敷に戻った私を見て嬉しそうにパッと顔を輝かせたかと思えば、リムちゃんを借りたいという用件を聞くなり「用事があるのはリムだけですのねっ」とぷりぷり怒り始めてしまったので慌てて同行をお願いした。可愛い嫁を悲しませるために仕事をしているわけじゃないのだ。


 それに一応、クレアもリムちゃんのいた孤児院を視察で訪れたりもしていたはずだ。私の相談相手にもなってくれるだろうし、仕事の上でもありがたい。


「本音は?」


「仕事だけどデートみたいで楽しい」


 アニーにジト目で尋ねられてぽろっと本音をこぼした。仕方ないわよね、本音なんだし。


「腕くらい組んであげてもよろしくてよ?」


 耳ざとく聞きつけたクレアがすすすと寄ってきたが「仕事中だからね」とやんわり遠慮したら口を尖らせていた。かわいい。


「帰ったらね」


 そう言って軽く頬にキスするとフンと顔を背けられてしまうが、耳が真っ赤なのは隠せていない。本当に可愛い。


「奥様、旦那様ーこっちですよー!」


 ぱたぱたと孤児院の前庭に駆けていったリムちゃんが振り返って手を振っている。今年で十七歳になるリムちゃんは数年前が嘘のようにすらりと背が伸びて私やクレアどころかアニーまで追い越し、子供っぽかったそばかすもキレイに消えて、見た目だけなら王宮の使用人と並んでも遜色ない立派な侍女に成長している。この年頃の子の成長速度に驚かされたものの、中身の方は相変わらずで呆れるやら安心するやら。


 そそっかしさはだいぶマシになったとはいえ、相変わらず我が家の無邪気な妹分で、クレアだけでなく私とアニーにも可愛がられている。


 今も前庭で遊んでいた子どもたちに混じってきゃっきゃと楽しそうに走り回り、私達にぶんぶん手を振っているのを見るとただの大きな子供である。


「まったく、あの子は……名誉ある私の侍女としての自覚が足りていませんわ」


 これ見よがしにため息をつくクレアだったが、すぐにその表情は柔らかいものに変わる。なんだかんだ言っても、リムちゃんが元気そうにしているのは私達全員の喜びなのだ。


「こ、これはお役人さま、わざわざご足労いただきまひっ、まして、ありがひょ、ありがとうございましゅ!」


 子どもたちと戯れる大型犬みたいなリムちゃんを眺めてほっこりしていると、孤児院の中からぱたぱたと慌ただしく駆け寄ってきた女性に挨拶された。噛みまくりだったのは突っ込まないであげた方がいいのか。


「陳情書の件で伺いました、第一王子補佐室長のエルザベラ・フォル・ヴァレッシュと申します」


「は、はい、よろしくお願いしまふ!」


 盛大に舌を噛んで口元を押さえて小刻みに震える女性をなんとも言えない気持ちで見守る。


 隣の教会の所属らしく僧服を身に着けているが、ウィンプルもフードもなく暗めの赤い長髪をそのまま背に流している。まぁこの国は前世の日本よろしく宗教にはある種のルーズさがあるので、教会関係者で僧服の着こなしが統一されていないのは珍しい話ではない。タレ目がちの目は細く、眉尻も下がりがちで笑っていても困り顔といった印象だ。背格好は私やクレアとそう変わらない。アニーより背は低いが、恐らく同年代だろう。


 陳情書の件、で通じているということは彼女があの陳情の主だろうか、と考えてそういえば陳情書の署名が連名になっていたのを思い出す。


「お名前を伺っても?」


「あ、し、失礼しました、私、こちらの院長を務めておりますポフル・アルトと申します」


 改めて深々と頭を下げられる。最初の印象通りアニーと同世代ならまだ三十そこそこだと思うのだけど、その若さで孤児院の院長とは。なかなか苦労していそうだ。


「ポフル、客か?」


 クレアたちを紹介しようと私が口を開きかけたところで、今度は教会の扉が開いて人影が現れた。


 出てきたのはアニーやポフルさんと同世代らしい女性。赤い長髪に僧服という格好はポフルさんと同じだが、髪はあちこち重力に逆らってツンツンと跳ね上がっていて、穏やか目の困り顔だったポフルさんとは反対に眉間にシワが刻まれ目つきは厳しい。背格好はポフルさんとそっくりだし、髪の色からしても血縁関係があるものと思える。顔つきは違うが、ふたりとも鼻の形がよく似ていた。


「デクル・アルトさんですか?」


 連名となっていた署名のもうひとりの名前を上げると、女性はピクリと片眉を上げ、私を値踏みするように睨みつけながら「おう」と鷹揚に頷いた。ポフルさんが「デクル、失礼だよっ」と慌てているが、本人は気にした風もなくジロジロと私達を観察していた。


「……あたしらの陳情書は王子殿下に宛てたはずだけどね?」


「ええ。ですが生憎殿下は視察で遠出しておりまして、戻りはかなり先になります。ですので取り急ぎ、補佐の私がお話しを伺いに来た次第です」


 簡単に訪問の理由を告げると女性、デクルさんは不機嫌そうにフンと鼻を鳴らしてからくるりと背を向けると「中で話そうぜ」と顎をしゃくって教会を指した。ポフルさんに目をやると恐縮した様子でぺこぺこしながら「どうぞ」と促されたので、ひとまず二人に続いて教会へ足を向けた。


 ……ちなみに「エルザに対して随分失礼な平民ですわね!」とクレアが機嫌を損ねていたので教会までの数メートルだけ腕を組んで歩いたら怒りを収めてくれた。うん、こういうのも役得って言うのかしらね?

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