if :前世なんてない偶然の世界で(EXハード)

以前に感想で頂いた「前世の記憶のないエルザがふとした拍子にクレア様に恋をしてしまった世界」というネタを使わせて頂きました。


攻略難度はハードを超えたEXハードだそうですが(笑、それを全部じっくりやると本編をもう一回やるような長さになってしまうので本当にちょっとだけのおまけ話です。

本編とは違う出会いをした二人の紆余曲折を妄想しながらお楽しみください。



* * *



 それを目撃した時、私は目の前で起こっている出来事よりもまず先に、自分の目が正常に機能しているかを疑った。


「……クレアラート様」


 王立ヴァークラルト学院に入学して約半年。何かを成すには短く、けれど何も起こらず平穏に過ごすには長い時間が流れた頃。放課後の図書館で一人、黙々とペンを走らせる彼女を見たのはそんな頃だった。


 図書室ではなく図書館と呼ばれるだけあり、この場所はとても広い。建物自体も、渡り廊下で校舎と繋がってはいるものの、本校舎より低いとはいえ塔が一本敷地内に立ち上げられているわけで、同じフロアにいたとしても端と端では足音もロクに聞こえない広さだ。そのうえ壁をびっしりと本が埋め尽くし、視界を遮るように整然と並んだ巨大な本棚にもぎっしりと年季の入った本が詰まっている。多少の物音は、それらに阻まれて数列先までも届かない。


 だからだろう。私が彼女の姿を目視できる距離で立ち止まっていても、彼女、クレアラート・エルトファンベリアは気づく様子もなく手元に視線を落としたままだった。


 本棚の列から頭3つほど飛び出した高さにある時計を一瞥する。夕刻といっていい時間であり、特別用事のない学生はもう図書館どころか敷地内にもほとんど残っていないだろう。私も、持ち帰って調べたい資料があるからと図書館に足を運んだだけで、目的の本を借りられたらそのまま屋敷へ帰るつもりだった。


 だから、それは本当に偶然だったのだ。


 目的の本が、一階の奥まった場所にあったこと。棚の端にあったこと。設置されている長机の端、最も目につかないはずの席が偶然よく見えたこと。私がこの時間まで別の用事で学院に残っていたこと。クレアラート様が、今日に限って時間も忘れるほど集中していたこと。


 全部全部、偶然のめぐり合わせだった。

 だから、という訳ではないと思うけれど。


 いつも刺々しい彼女の姿が、なぜかまるっきり別人のように見えた。それはきっと、この偶然をなにか劇的なものに捉えたがっている私の退屈が見せた幻想だと、そう思うのだけれど。


「……きれい」


 なぜか口の端にそんな言葉がのぼって。大きな大きな窓から図書館を支配する西日を背負って、誰を見下すことも、睨むこともなく。ただ自分と向き合うように真剣なその目が、私にはとても美しく見えた。

 エルザベラ・フォルクハイル、十五歳。夏の終わりが迫った頃、私はこの日、本当の意味でクレアラート様と出会ったのだった。



* * *



「身の程を弁えなさい? ここは貴女のような人間がいていい場所ではなくってよ。理解したならもっと隅の方で、気配を消して、せめて私達の邪魔にならないように縮こまっていなさいな」


「お姉さまのおっしゃる通りですわ!」


 ……普段は、こんななのになぁ。


 図書館でクレアラート様を見かけた翌日。今日も相変わらず高圧的な態度でマリーナ様をいじめ倒すクレアラート様とその取り巻きを視界の端にとらえながら、やはり昨日のあれは幻覚の類だったのではと眉間を揉む。そう、私が知るクレアラート・エルトファンベリアとはこういう人物だ。


 高慢。高飛車。高圧的。高、高、高の三拍子揃ったなかなか困った同級生である。血筋や家柄を重視する昔ながらの徹底した貴族主義が美貌を纏って歩き回っているような人物で、キツめの顔立ちながら美人ではあるのだが、言動の棘が鋭すぎてあまり近づきたくはない。


 第一王子であるユベルクル殿下の婚約者であり、最近王子と急接近中のダークホース、マリーナ・ツェレッシュ王女をいじめることにすっかりご執心だ。まぁ、棘はキツすぎるものの、マリーナ様の世間知らずを指摘する彼女の言葉に理が無いわけでもないので、私も仲裁に骨を折ったことはある。どちらかが一方的に悪いわけではないから、なかなか諍いに終わりが見えない。


「……あんなに真剣に、自分と向き合えるのに」


 その真剣さが、どうして他人をいびる方向にも展開されてしまうのか。そんな私の呆れとも戸惑いともつかない気持ちが届いた訳でもないだろうけれど、クレアラート様がこちらに気付いて目つきを険しくした。そのままツンと顎を上向けながら、こちらへやってくる。


「なにか仰りたいことがありまして?」


「なんですか、突然」


 私が曖昧に笑って首を傾げると、クレアラート様は苛立たしげに靴の踵をコツコツと鳴らした。


「じっと私達を見ていらしたでしょう。とぼけるのはやめてくださいまし」


「ああ、それは……」


 思っていたことを素直に打ち明けるべきか少し迷って、隠す理由もないかと淡白な結論を下す。


「図書館で見かけた真剣さが、勿体無いと思いましたの」


「図書館?」


 なんのことだ、と言いたげな彼女に「はい、昨日の放課後に」と言い添えると、彼女がサッと顔色を変えた。


「……ちょっと、付き合ってくださいます?」


「はい?」


 急に声を潜めた彼女の意図がわからず首を傾げると、焦れったそうにぐっと顔を寄せられる。さらに小さく、ほとんど囁くような声で。


「場所を変えて話しますわよ」


「ええと、何のお話を――」


「い い か ら」


 有無を言わさず私を強引に立ち上がらせると、ガラス細工のように細く美しい指からは想像もつかない握力でがっちりと私の腕を握って歩きだしてしまう。私は彼女に引きずられるようにしながら、教室をあとにすることになった。



* * *



「……どうすれば、忘れていただけるかしら?」


「は?」


 私達の教室から十分離れた空き教室に私を押し込み、自分も滑り込むと、クレアラート様は後ろ手に鍵をかけながらよくわからない要求をした。


「ええと、何をでしょう?」


「貴女が昨日見たものについてですわ」


「ええと、図書館で――」


「言わなくても結構です」


「……忘れて欲しいのですか?」


「当たり前ですわ!」


 淑女にあるまじきツバでも飛びそうな勢いで言うクレアラート様に首を傾げる。


「お勉強なさっていたのかと思って、昨日はお声がけしなかったのですが……なにかわざわざ隠し立てする必要のあることをしていた訳ではありませんよね?」


 あの真剣さでマリーナ様を攻撃する材料を整理していたとかそんなだったらさすがに閉口するけれど。そんなことを考えながらの質問だったが、クレアラート様は憮然とした様子ながら「当たり前ですわ」と頷いた。


「このクレアラート、我が家の名を穢すような真似は致しません」


 マリーナ様へのいじめは……と、思ったが、考えてみればあれも彼女の視点からは婚約者を守るため、あるいは学院に相応しくない(と、彼女は思っている)人間を追放するための行動だと考えれば恥ではないのか。


「ということは、昨日はやはり」


「お察しの通り、講義の予習をしていただけです」


「それはご立派ですわ。なぜお隠しになられるのですか?」


 そこが、よくわからない。


 ヴァークラルト学院は貴族学院であり、そこには不文律として貴族のパワーバランスが反映された人間関係や仕組みが存在する。有力貴族の子息子女であれば正直、成績など振るわなくても進級卒業に問題はなく、勉強する時間があったら人脈作りや、人によっては遊びに精を出すのも珍しくない。


 そんな中にあって王族に次ぐ力を持つ公爵家の娘が真面目に勉学に励むというのは、称賛されこそすれ隠すようなことではないと思うのだけど。


「……私が、予習しなければならないなどと周囲に思われるわけにいかないではありませんか」


「はい?」


「水鳥はもがく足を決して見せません。水面の下は、他者に見せるものではありませんの」


「それは……まぁ、仰りたいことはわかりますが」


 貴族の矜持、というべきか。何ごともスマートにこなしてこそであり、必死に努力する姿などエレガントではないのだ、という考え方は昔ながらの体質の家には今でも残っている。


 とはいえ、出来ないこと、新しいことを身につけ、上達させ、実行するにはその前の努力はあって然るべきものだ。それくらいの常識は大多数の貴族も持ち合わせているし、努力する姿を殊更に見せつけるようなことはせずとも、それを恥と捉えられることはほとんどない。


 だから、多少恥じ入るにしても、こうも必死に口止めされる謂れはない、と思うのだけど。


「まったく、よりによって貴女に見られるなんて……不覚ですわ」


「別に、言いふらしたりしませんわ。私、これでも口は固い方ですもの」


 クレアラート様のエルトファンベリア家と我がフォルクハイル家は友好とは言い難いが、表立ってドンパチやらかすような間柄でもない。私個人としてはクレアラート様の刺々しさに呆れることはあっても、別段敵意を持っているつもりもない。彼女が知られたくないというなら、無闇に口外するつもりは初めからなかった。


「それは有難うございますわ」


 不機嫌そうに礼を述べられる。まだなにか気に入らないらしい。


「あの、まだ何か気がかりが?」


「………………別に、ただ」


「ただ?」


 クレアラート様は言いたくなさそうに顔をしかめてもごもごと口を動かしていたが、私が「じゃあ結構です」と言い出すことはないと判断したのか、渋々といった調子で続きを口にした。


「恥ずかしいではありませんの……」


 いつもの自信に満ちた高飛車な彼女はすっかり鳴りを潜め、不機嫌な表情を形作りながら耳まで真っ赤にして、私の視線を逃れるように足元に目線を落とすクレアラート様は、なんというか。


「っ、ふふ」


「なっ、なにを笑っていますの!?」


「いえ、ふふ、ごめんなさ、あはは!」


「ちょっと!」


 朱色を頬と耳だけでなく顔全体に広げながら眉を吊り上げるクレアラート様だったが、怒りの形相とは裏腹に目元には涙が滲んでいる。よっぽど恥ずかしいらしい。


「あっはは……ふう、申し訳ありません、つい我慢できなくて」


 バカにしたわけじゃないんですよ、と言うとクレアラート様がジトッと信用していない目を向けてくる。違う、本当に馬鹿にしたわけじゃなくて。


「ただ、クレアラート様って、案外可愛い方だなって思っただけですわ」


「かわっ、〜〜〜〜!」


 かああああ、っと。これ以上無いほど赤く茹だっていたクレアラート様の顔が、限界を超えてさらに赤くなる。すごい、赤面に段階とかあったのね、と妙な感心を覚えた。


「と、とにかく! 昨日のことは他言無用ですわ」


「ええ、わかりましたわ。あ、でもその代わりに――」


 ふと思いついた提案を口にしようとするとクレアラート様が身構える。そんなに警戒されるようなひどい条件を出すつもりはないのだけど……いや、まぁその提案をどう受け取るかは彼女次第か。


「今度、一緒にお勉強致しましょう?」


「は」


 ぴしりと固まってしまったクレアラート様の反応がおかしくて、また私は忍び笑いをこぼしてしまった。



* * *



「――懐かしいわよね」


「何ですの、急に」


「クレアとちゃんと知り合うきっかけになったの、ここだったでしょう?」


 私の言葉にクレアはぷいっとそっぽを向いた。でも、隣に座って勉強しているのだから耳が赤いのは隠せていない。


「……知りませんわ。私は別に、その時のエルザを見ていませんし」


「なに、私だけクレアを見てたのが羨ましいの?」


「そんなこと言ってませんでしょう!」


 クレアがくわっと噛み付いてくるのをどーどー、といなす。


「私はあの日の偶然に感謝してるのよ。こうでもなきゃ、私はきっと、本当のクレアのことを見つけられなかったもの」


「それは、そうかもしれませんが……」


「クレアは嫌? 私達の馴れ初め」


「…………その聞き方はずるいですわ」


 言いながら、クレアがぽすっと私の肩に頭をあずけてくる。体重をこちらに傾けられて、その重さに彼女と並んでいることを実感する。


「嫌なわけ、ありませんわ。きっかけがなければ、エルザが私を見つけてくれるなんてそれこそ、前世の恋人でもなければあり得ませんし」


「クレアって案外ロマンチストよね」


「茶化さないでくださいまし」


 ぴしゃりと言われて、私は苦笑しながら「確かにそうかもね」と頷いた。


 学院に入学した頃の私とクレアは、家同士の関係と同じくお互いに牽制し合うような距離感で、それこそ前世の絆だとかいうくらい超自然的な力でも働かない限りお互いを深く知るようなことはなかっただろう。

 それが、あの一瞬の偶然をきっかけにして、こうして隣で身を寄せ合うようになったわけで。


「……やっぱり、あの日ここにクレアがいてくれてよかった」


「私も、ここに来たのがエルザでよかったですわ、ん」


 私のつぶやきに追従したクレアが言い終わらないうちにさっと唇を重ねる。軽く触れるだけのキスをすると、クレアが抗議するような視線を送ってきた。


「もっとしたい?」


「せっかくの雰囲気が台無しですわ。エルザはすぐそうやって」


「じゃあしない?」


「……別に、そうは言っていませんでしょう」


「クレア」


「える、ん、ちゅ」


 さっきより少しだけ深いキス。柔らかい唇を咥えるようにして軽く吸うと、クレアも私の唇に吸い付いてくる。口づけというより口吸いと言ったほうがいい触れ合いは、クレアも私を求めてくれていると感じられて心地よかった。


「ね、クレア」


「なんですの」


「大好き」


「……知ってますわ」


「そうじゃなくて」


「言いません」


「言って」


「嫌ですわ」


「言わないと、もうしないよ」


「………………だいす、んっ」


「――っは。クレア、可愛い」


「貴女はほんとに、ほんっとにもう!」


「あはは」


 ちょっとのからかいと、たっぷりの愛情を込めて。


「クレア、大好きよ」


 あの日と同じこの図書館で、私は愛しい人の名前を呼ぶのだ。


「私の方が、エルザを大好きですわ」


 そうやって勝ち気に笑う彼女を、もっと見ていたいと思うから。だからきっと、明日も明後日も、この先ずっと彼女の名を呼び続けるんだろうなって。


 そんな風に思う、卒業前日の夕暮れだった。

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