エピローグ
私の推しは。
「エルザ、いい加減に起きてくださいまし!」
「んぅ……んゅ」
「かっ、可愛く鳴いたってダメなものはダメですわ! 今日は絶対に起きなきゃダメだから起こしてと言ったのは貴女ですのよ!」
「うー……くれぁ」
「まったく、ほら手をお出しなさ、ちょっ、ひゃっ」
ぽすっと倒れ込んできたいい匂いのする柔らかい感触が心地よくて、目覚めかけていた意識がまた微睡んでいく。心地の良いそれを手放したくなくて、そしてふわふわと鼻先をくすぐる滑らかな感触に顔を埋めたくて、胸の中のそれをぎゅうっと抱きしめる。
「ちょっと、エルザ、は、離してください! 私も貴女も、今日は支度が山ほど、ひやっ! やめ、髪を嗅ぐのはやめてとあれほど!」
「んへへ……」
「や、柔らか――ではなく! 離してくださいエルザ! それといい加減起きて!」
「んぅ、やぁー……」
もがいて逃げ出そうとするそれを捕まえる腕に力を入れる。こういう時の力の入れ方もアニーに習ってるから完璧……アニー?
「お二人とも、そろそろご支度なさいませんと、間に合わなくなりますよ」
ガチャリ、という音と共に冷ややかな声を浴びせられてようやく少しずつ意識が浮上しはじめる。
「奥様も、あまり旦那様を甘やかさないでください」
「違いますわ! 私はちゃんと起こそうとしましたのに、エルザが無理やり私をベッドに引っ張り込んだのです」
「旦那様は相変わらずですねぇ。お姉ちゃんに起こされないとどうしたって目覚めないですもんね」
「リム、仕事中にお姉ちゃんは禁止と言ったはずですよ」
「はわっ、ご、ごめんなさい、つい」
「……ふわぁ」
大あくびで体内の空気が入れ替わると、ようやく意識がはっきりする。私はまだ引っかかりを感じるまぶたを何度かぱしぱしとしばたかせてから、ゆっくりと周囲の様子を見回した。
見慣れた屋敷の寝室、寝台の上である。寝台脇には先程やってきたと思しきこの屋敷の筆頭侍女二人、私付きのアニーとクレア付きのリムが並んで立っている。そして私の腕の中には柔らかくていい匂いのステキな何かがあったはずで――。
そこには、もがいて抵抗したためか少し寝衣の乱れたクレアがいた。寝ている間にかいた汗か、それとも藻掻いたときのものか、少しだけ上気した頬にうっすら浮いた汗が、クレアのキレイな髪を一房、頬から口元のあたりに貼り付けている。抱きしめられた体勢が恥ずかしいのか、わざと睨むように私を見上げる目が意地っ張りな彼女らしくてたまらない。
「……アニー」
「はい?」
「朝食は少し遅くして。ちょっと、我慢できない」
「調子に乗りすぎですわ!」
「あだっ」
アニーより先に反応したクレアが油断していた私の拘束を逃れて私の眉間に手刀を落とした。ジト目を向けたらジト目が返ってきた。え、なに、なんで?
「……クレア、私とするの嫌になっちゃった?」
「っ、それは、そんなことは、ありませんけれど……じゃないですわ! 本当にいい加減にしてくださいな、今日が何の日か、忘れたわけではありませんわよね!?」
「何の日って……あ」
「本当に忘れていたみたいですね」
「旦那様はお嬢さ……奥様のことでいつだって頭がいっぱいですからね!」
呆れ全開のアニーとなぜか誇らしげなリムを前に、ようやく覚醒した頭が本日の予定を思い出す。
「そっか、今日って」
「はい、殿下たちの結婚式ですわ」
* * *
波乱のダンスパーティからはや四年。
私とクレアは卒業と同時に式を挙げて結婚。両家の不和を気にしたユベルと陛下の計らいで私達は互いに家を離れて独立。私は子爵位を賜り、名をエルザベラ・フォル・ヴァレッシュと改めた。現在の私はフォルクハイル家の令嬢ではなく、ヴァレッシュ子爵、そしてクレア、クレアラート・エル・ヴァレッシュは子爵夫人ということになる。アニーたち使用人が私を「旦那様」、クレアを「奥様」と呼ぶのはそういう理由からだ。
私たちは王都住まいで領地も与えられていないが、王宮に出仕して主に外交まわりを担当する役人として働いている。その傍ら、ユベルやマリーとも交友は続いており、まぁお役人兼相談役のような立場だ。陛下とヴィルモント先生のようなもの、なのかもしれない。
そして私達の学院卒業と結婚から一年。今日はようやく婚約のまとまったユベルとマリーの結婚式なのだった。
* * *
「思い出して頂けて良かったですわ。しがない子爵位の我が家を親族に次ぐ第一席に招待してくださっているんですから、万に一つも遅刻なんてできませんのよ」
クレアは今でもよくこんな風に我が家の家格が低いことを嘆いて見せたりするのだけど、その表情にかつてのような気負いはない。むしろわざとらしく溜息をつくのは、彼女なりのちょっとした冗談だ。
「そうね、次期国王さまの式に遅刻なんて、うちみたいな木っ端貴族じゃ大事よね。……それで本音は?」
「……大事な友人の結婚式ですもの、最前列に空席なんて作れないではありませんの」
フン、と鼻を鳴らしてそう言ったクレアに「そうよね」と微笑む。
「なにが可笑しいんですの?」
「別に。ただ今日もクレアは可愛いなって」
「っ、き、聞き飽きましたわ。貴女、それを言っておけば私が喜ぶと思って適当に言っているのではなくて?」
「そんなつもりはないけど……言わない方がいい?」
「それは……そんなことは、ありません、けど」
尻すぼみに小声になっていくのがもう可愛い。何この子可愛い。この子が私の嫁とかもう人生勝ち組じゃない?
「可愛い」
「っ、わざとらしいですわ!」
「だってクレアが可愛いのがいけないのよ」
「〜〜〜〜っ」
真っ赤な顔で睨んでくるクレアが愛らしすぎてまた押し倒しそうになったところで、凍りつくようなアニーの視線となぜかわくわくしているリムちゃんの視線を感じて理性がブレーキをかけた。
あ……っぶなー。いけないいけない、本当に遅刻するところだった。
「……旦那様」
「わ、わかってるわアニー。すぐ衣装部屋に行くわよ。準備は手伝ってね?」
「ええ、もちろん」
でないといつ奥様のところへ駆け出すかわかりませんので、というアニーの本音が透けて見えたが私は笑顔で誤魔化した。
「私達も行きますわよ」
「はい、お手伝いしますねおじょ……奥様!」
「あ、クレア」
ぱたぱたと慌ただしく寝室を出ようとするクレアを呼び止める。既に戸口にたどり着いていたクレアが振り返るのに合わせて、私もそちらに駆け寄った。
そしてほんの軽い口づけを、振り向いたその唇に落とす。
「朝の分、まだだったから」
「……なにも、今でなくても」
ちらちらとリムとアニーを気にしながら、うっすら頬を染めたクレアが文句をこぼした。
「じゃあ、後でもう一回ね」
「そういう意味じゃ――っもう! 行きますわよリム!」
「はーい!」
今度こそ部屋を出ていった二人を見送り、寝室に二人残されたアニーと目を合わせる。
「……怒ってなかった、よね?」
「あれが怒っているように見えたなら医者を呼ばなくてはいけませんね」
「だよね」
へへ、と笑うとアニーも少しだけ相好を崩した。
「お嬢さま」
「なぁに?」
懐かしい呼び名に少し首を傾げながら問い返すと、アニーは微笑みながら、けれど冗談やからかいとは違う真剣さの滲んだ目で問うてくる。
「いま、幸せですか?」
「……もちろん」
もちろん、幸せに決まっている。クレアがいて、アニーがいて、リムがいて。相変わらず初々しい友人のマリーと、すっかり腹黒くなった鉄面皮のユベルも円満で。時折私やクレアを尋ねて屋敷を訪れるドールスやミリーがいて。
時は流れて、私達の立場や、関係につける名前や、住む家なんかも変わったけれど。
私がそうあれと願った大事なものは、ただの一つも変わらずに今もここにある。
「完璧令嬢の私は、完璧に幸せに決まってるでしょう?」
冗談めかした言葉に本心を混ぜ込めば、長い付き合いの侍女はやれやれと肩をすくめてから、変わりませんねと微笑んだ。
「さ、行きましょう。式でクレアをエスコートするのに恥ずかしくない格好に仕上げてもらわなくちゃいけないんだから」
「……そこは建前でもご友人のためと仰ってください」
「嘘はつかない主義なの」
だってクレアの式用ドレス姿なんて最高に可愛くて最強に美しいに決まっているんだから。
意気揚々と部屋を出た私を、呆れのため息とともにアニーが追ってくる。
さぁ、大好きな人の隣に立つために、今日はどんなドレスを選ぼうか。
衣装も、化粧も、家も、仕事も、全部全部、大好きな彼女と一緒にいるために。
エルザベラ・フォル・ヴァレッシュ、十九歳。
今生の推しは悪役令嬢クレアたん、ではなく。
――――愛しい愛しいクレアラート、かわいい私の嫁なのだった。
* * *
以上で『ライバル令嬢に転生したので悪役令嬢を救いたい』完結となります。度々更新が遅れてお待たせすることもありましたが、最後までお付き合い頂いた皆様、エルザとクレアの幸せを応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
本作に関しましては、今後も時々番外編かなにかを更新できたらいいなと思っております。
またいずれ、本作の番外編、あるいはどこか別の作品で皆様と再開できることをお祈りしつつ、ひとまず筆を置かせて頂きたいと思います。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
またね。
P.S.
☆とかコメントとかつけてくれてもいいんだからねっ!(貪欲
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