私が、貴女を
「本心からの言葉か、ただのお戯れか、それとも単なる思いつきかは存じませんが、たとえ冗談でも私の前でそんなことを口になさるだなんて、陛下もすっかり耄碌なさいましたわね。陛下はまだまだお若いと思っていましたが、その様子では早々にご子息に席を譲られた方が良いのではありませんか? 少なくとも、耄碌ジジイよりもマシな治世をなさいますでしょう」
「ちょっ、エルザ!」
慌てたクレアが私の口を塞ごうとするが、その手を振り払って前に出る。泰然と微笑すら浮かべて私の罵倒を受け流す国王に、ツカツカと歩み寄る。
「私の伴侶はクレアだけ。彼女と結ばれるためなら何だって致します。貴方が私達の邪魔をなさるなら玉座から引きずり下ろしてだって見せますわ。それでもクレアと結ばれることが叶わなかったとして、他の相手と結ばれることなどございません。我が家の躍進? それがなんです、クレアのいない家など私の生涯の家ではございません」
「地位や名誉より、愛を取ると申すのか? それが愚かしい選択だとしても?」
「私が選ぶのは地位でも名誉でも愛でもなくただクレアだけです」
ギロリと、国王が鋭い目を私に向ける。普段はたとえ政敵に対してさえ温厚な顔しか見せない眼の前の人物がそんな目をするのを初めて見た。けれど私は気圧されまいと睨み返す。
地位でも名誉でも人生経験も踏んできた場数も、おそらく単純な腕力ですら私は目の前の男に敵わないだろう。そんな男に冷たい敵意を込めた目で睨まれて、怖くないはずがない。いかに温厚だとしても一国の王、その迫力と胆力を目の当たりにして、私は怯えていた。
それでも。それだけは。
たとえ相手が誰であったとしても、それだけは。
言わせない。認めない。許さない。
私のクレアを想う気持ちに、欠片でも偽りがあるとは言わせない。
クレアにいらぬ不安を与えるだけの言葉を、私は絶対に許せない。
「息子と婚約せねば死罪、と言ってもか?」
「っ、父上それは」
「だめですエルザ、それ以上は貴女が――」
「その時はクレアを攫って逃げますわ」
思わずと言った様子で声を上げたユベルとクレアの言葉も遮って、私は一歩たりとも引かないことを示す。
大人しく死を選ぶなんて言ってやるものか。そうやって私にクレアと何かを天秤ではからせようとしたって無駄だ。私はクレアと生きることを選ぶ。それ以外の全てを捨ててでも、クレアと私が一緒にいる道を選ぶ。死に別れる気なんてありはしない。
そんな見え透いた誘導に乗るわけが――誘導?
「そうか。そうかそうか、うむうむ」
私が不意に違和感を覚えたのと同時に国王……陛下から感じていた圧力が嘘のように消えて、いつもの朗らかな陛下が目の前に立っていた。
「それほどまでに強い愛で結ばれた二人だ、いくら私とて引き裂くのは忍びない。いや、そも何者であってもそれは無理なことであったなぁ」
かかかと軽薄に笑う。私とユベルとの婚約、という先の話は完全に拒否したにも関わらずその評定は満足げだ。満足している、ということは陛下の狙いは私とユベルの婚約が成立することにはなかったわけで、じゃあ彼は今のやり取りで一体なにをしたかったのかというと――。
「仕方ない、仕方ないな。これでは私も君たちの婚約を認めるしかないではないか」
「……はぁ?」
思わずぽかんと口を開けて数秒、言葉の意味が咀嚼しきれないまま後ろのクレアを振り返ると、彼女も私と同じく困惑した様子でこちらを見ていた。
認める? 私達の婚約を? 国王陛下が、この国の最高権力者が?
「良い相手を見つけたなクレアラート嬢。新しいパートナーはこの私を前にしても、お主以外なにも要らぬと言い放った。これほどの相手はそうはおらぬぞ、大切にするがよい」
「……もちろん。初めからそのつもりですわ」
「かかか、そうかそうか。これは要らぬお節介であったかな」
愉快そうに笑う国王陛下に、会場の大半が状況を飲み込めず、困惑の視線を向ける。それらの視線の一切を意に介さず、陛下は私にぱちりとウインクした。
……間違いない。この人、初めからこうするつもりだったんだ。
私をわざと煽ったのは、何よりもクレアを優先するという私の言葉を引き出すため。公衆の面前で私の愛を曝け出させるため。他の可能性なんてありもしないと示させるため。
そして私のその言葉を引き出した上で国王陛下本人が私とクレアの婚約を認めたのだ。それはつまり、私達の婚約は王家公認のものだということ。
エルトファンベリア家とフォルクハイル家は友好とは言い難く、表立った対立こそないものの互いにいつ寝首をかいてやろうかとスキを窺い合うような緊張感の中で両家の関係は続いてきた。そんな両家の間で、しかも互いに後継者たる息子のいない状態で、一人娘同士が婚約を宣言するなどすんなり認められるはずがない。最悪両家ともに娘を軟禁してその間に別の婚約者を探して充てがう、くらいのことはされてもおかしくないのだ。
眼の前のことに頭が一杯で、とにかくこの場を乗り切ることしか頭に無かった私達の代わりに、陛下はこの婚約宣言をより強固なものにしてくれた。陛下が認めた以上、少なくとも両家が問答無用でこの婚約を白紙には出来ないはずである。
「ユベル」
「……はい」
「彼女たちの覚悟をよく覚えておくことだ。どれほど無謀に思えても、或いはどれほど計画的に事を運んだとて、最後にものを言うのはその覚悟の強さだ。大切なものを諦めぬ意思だ。見る者すら動かすような決意だ」
陛下はちらりとマリーを一瞥してから、もう一度ユベルに視線を向けて続ける。
「時間はある。示し、皆に認められるのだ。民が、臣が認めれば、私も認めよう」
「っ! はい、父上」
陛下の意図に気付いたのだろう。ユベルはわずかに興奮に頬を染めながら、少しだけ前のめりに答えた。そして隣で未だ不安げにしているマリーに何ごとか話しかけている。
「さて、これで問題は片付いたかな? ああパーティーの邪魔をして済まなかったな。ではそう、もう一曲お願いしようか」
陛下が楽隊の指揮者を振り返ってそう言うと、指揮者は陛下に一礼してから指揮棒を高く掲げた。
「恋人たちに祝福を!」
いつの間にか手にしていたグラスを乾杯のように掲げてから一息に飲み干した陛下は、再びかかかと愉快そうに笑って席へ戻っていった。
同時に、穏やかな祝福の音楽が会場を満たす。
「エルザ」
隣にやってきたクレアがすっと私の手を取り、そのまま私の正面まで進み出てくるりと振り返った。
「踊りましょう、エルザ。さっきは思いっきり楽しめなかったんですもの」
「いいけどクレア、その手……」
私の片手を取ったクレアのもう一方の手は、私の腰に添えられている。それはリーダー、男役の基本的な立ち方だ。
「クレアも練習してた、とか?」
「まさか。そちら側を踊ろうなんて考えたこともありませんでしたわ」
「じ、じゃあまた私がリードするから」
「ダメですわ」
「なんで!」
あっさり拒否されて私が食い下がると、クレアはふいと視線を逸らした。
「……だって、ずるいですわ」
「え?」
「エルザばっかり、ダンスのリードもできて、殿下から私を庇って、陛下にも挑みかかって、エルザばっかりかっこいいんですもの」
「……え」
「で、ですから私にだってリードくらい出来るところを見せつけて差し上げます!」
それはつまり、非常に、非常に意地っ張りで遠回りな言い方だけども。
「クレア、私にかっこいいって思われたいんだ?」
思わず堪えきれない笑いを漏らしながら言えば、クレアの顔がかあっと耳まで赤くなる。
「い、いいからほら、曲が終わってしまいますわよ!」
「はーい」
強引に話を打ち切ったクレアのリードに身を任せる。はじめてのリードは少しぎこちなかったけれど、クレアの真剣な表情は可愛くて、もちろんとてもかっこよくて。
「……ね、クレア」
「なんですの? いま集中し――」
「ん」
可愛くてかっこいい私の婚約者にそっと、触れるだけのキスをする。
婚約宣言のためにクレアがしたそれよりずっと短くて、ほんの一瞬唇同士が触れ合っただけのささやかなキス。でもそれだけで私の顔はこんなに熱くて、クレアの顔も一瞬で赤くなる。
「な、なにを、急に」
「なんか、幸せだなって思ったの。こうしてクレアに触れられる日が、明日からも続くんだなって」
「理由になっていませんわ、ね――!」
「んん、っ」
今度はぐいっと、クレアが顔を寄せてくる。キス、というか私の下唇をクレアが唇だけで咥えるようにはむっとやって、すぐに身を引く。
「仕返しですわ」
そう言って勝ち気な笑みを浮かべるクレアに、もう孤独な悪役令嬢の面影はどこにもない。
「……じゃあ、仕返しの仕返し」
「仕返しの仕返しの仕返しですの」
拙い踊りと、拙いキス。意地の張り合いと、見え隠れする甘い欲。
私達は笑い合って、何度もそれを繰り返す。
……いつか、このキスがもっと上手になる頃、クレアには話してみたいと思う。私は前世からずっと、貴女に恋をしていたんだよって。
――ライバル令嬢の私が、悪役令嬢の貴女を救えたんだよ、って。
* * *
次回、エピローグで完結となります。
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