国王は仕掛ける
「かっかっか」
会場に響いたそんな気の抜けた笑い声に、全員の視線が声の主へ向かう。それは、ここまで事態を静観していた国王陛下だった。その隣にはいつの間にそこにいたのかヴィルモントの姿もある。
「収まるべき場所に収まったようではないか」
そう言いながら陛下は立ち上がるとゆったりとした足取りで私達のいる円の中心までやってくる。人垣は自然と割れ、陛下の通った道はそこだけ人がいないまま細く残っている。ちらりと見やるとヴィルモントは頭痛を堪えるように軽く自分の額を押さえながら、数人の教職員と話していた。様子を見るに、どうも職員たちが陛下を止めよう、ないし会場の外へ連れ出そうとするのを諌めているらしい。……もしかしてさっきから陛下の近くで私達が邪魔されないように立ち回ってくれていたのかしら。
「しかしな、ユベル」
私とクレア、そしてユベルとマリー。二組のちょうど中間のあたりに立ち止まった陛下は息子に一瞥をくれると少し表情を険しくした。名を呼ばれたユベルの表情も固い。
「お前の独断を王家の意思のように語るのは、あまり褒められたことではないのう。それはクレアラート嬢も同じだ。このこと、当然公爵は承知していまい?」
「っ、それは」
ユベルに続いて水を向けられたクレアも返答に窮する。
会場にここまででも最も不安に満ちた緊張が広がる。何と言っても口を開いているのは国王陛下、この国の最高権力者である。彼が是と言うか否かで、この国は左右されるのだ。私達は貴族の子女だが、それとてこの王の臣下という立場であり、彼がこの場で起こったことを無かったことにすれば従わざるを得ないし、罰を言い渡されれば甘んじて従わなくてはならない。
民衆や臣下の意思を無視するような王ではないはずだが、それだけの力がある、というだけで先程までの私達の高揚感を萎ませるには十分すぎた。
「とはいえ、二人共が望まぬ婚約を強要しようとは思わぬ。王家と公爵家の結びつきは無論国の重要事ではあるが、なに、私と公爵との信頼はこの程度で破綻はせぬ」
……上手いやり方だ。
これだの言葉でユベルとクレアの婚約破棄そのものは認めつつも、自分、ひいては王家は一切関与していないことを宣言し、エルトファンベリア公爵への信頼を先手を打って示したことで今後このことで揉め事になればエルトファンベリア側が王家に噛み付いたことになるぞと牽制している。
穏健なやり方ではあるが、王家の長としてこの場で起きたことを認めはしたが、それと同時にこの事でこちらに責任を追及するようなことはしてくれるなよ、という圧力をかけたのは間違いない。
「しかし困った。第一王子に婚約者がいないというのは私としても憂慮すべき事態だ」
どこかわざとらしい調子で困った困ったと肩をすくめる陛下の様子に、会場に集まった令嬢たちがざわつく。ユベルが前面に立って断罪劇を進めていた以上、婚約破棄後の次の婚約者はマリーで間違いないと思われていた。しかしここで国政を先導する国王が参入してきたとあってはマリーの地位は確実ではない、かもしれない。
エルトファンベリア家との繋がりが望めなくなった今、国王が他の家から息子の婚約者を選べばその家の躍進は約束される。もし他の令嬢たちにもチャンスがあるとなれば、たとえユベルの気持ちがマリーにあろうとも経済的にも政治的にも後ろ盾を持たないツェレッシュ家を追いやるのは簡単だ。
もちろん、言ってしまえばそれはもう私達には関係のない話だ。クレアの婚約破棄が認められただけでなく、陛下の口ぶりはユベルとクレアを両成敗とするような言い方でどちらかを強く咎める意図は感じられない。先程婚約破棄を認めると言い、公爵家との関係維持を陛下が宣言した以上はクレアを罪に問うことはしないだろう。
クレアの婚約破棄と、破滅の未来を回避すること。私が前世の記憶を取り戻してからの最大の目的は既に達成された。クレア自ら婚約まで宣言してくれた。もちろん当主不在での婚約は正式なものとは言えないけれど、それでも私達にとっては十分すぎる結果だ。
けれど。
「……っ」
顔を青くして陛下を見つめるマリーと、それを庇うように立ちながら実父であり決して抗えない人物をきつく見据えるユベルを見る。ユベルの額に一筋汗が光るのを見れば、これでめでたしとは思えない。
私はクレアを救って、クレアを幸せにしたかっただけなのだ。
クレアの代わりに誰かが不幸になることを、望んだわけじゃない。
隣を見ると、クレアは複雑そうな視線をマリーに向けている。私の気持ちが完全にクレアに向いていると示した今なら、クレアもまたマリーが私と、そしてクレア自身にとっても決して敵ではなかったことが理解できるだろう。ならば、彼女がこんな形で立場を危うくすることを望みはしないはず。
緊張が高まる中、ただ一人落ち着き払っている陛下が「そうだ」とまたどこかわざとらしい調子で手を打つ。何か思いついた、といった風だが……。
「エルザベラ嬢」
「は、はい?」
ユベルの婚約には無関係なはずの自分が呼ばれるとは思わなかった私が慌て気味に返事をすると、陛下はくるりと私に向き直って言った。
「息子と婚約してはくれんかね?」
「――は?」
思わず無礼も忘れて怒りに満ちた声を漏らしてしまった。しかし陛下は気にした風もなく続ける。
「クレアラート嬢との婚約は両家当主の承認を得ていない以上現時点ではまだ有効とは言えん。ならば、我が愚息との婚約も一度考えてみてはもらえんかと思ってな。家柄も知性も美貌も申し分なかったクレアラート嬢に代わる令嬢はそう多くはおらぬが、そなたであれば私も安心できる。フォルクハイル家にとっても、躍進の良い機会ではないかね」
淡々と語る陛下が一言発するたびに私の頭に心臓が血を送り出す。脳みそが沸騰して融け出すんじゃないかと思うくらい、私の思考は怒りで真っ赤に染まっていた。
ふざけるな。誰が、誰と、婚約するだって?
「エルザ……」
ぎゅっと、クレアが不安げに私の手を握ったその瞬間、私の怒りは完全に沸点を飛び越えた。
クレアを、不安に、させたな――?
「……失礼ながら、陛下」
「うむ?」
「クソくらえです」
私は怒りを込めた微笑みでもって、陛下に応えた。
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