悪役令嬢、宣言する
クレアが泣き止むまでの数分を長いと思うか短いと思うかは人それぞれだろう。私にとってはほんの一瞬だったし、これまでずっと我慢していた彼女はもっと泣いたっていいと思ったのだが、会場にいる誰もがそうだった、という訳でもないらしい。
ずず、と涙の名残りで小さく鼻をすすったクレアと手を繋いで立ち上がった時、会場の空気はなんというか、生温かった。
事態が山場を抜けて緊張感が去ってしまったからか、はたまたクレアのわんわんという幼い泣き声にすっかりほだされてしまったのか、私達を囲む観衆の目は冷めてこそいないものの、なんだか親戚の子供を見守るような微笑ましい感じになってしまっていた。や、やめてよ、なんかかえって落ち着かないよぅ。
などと内心で少しだけふざけてみたものの、実のところ私の心境はそこまで穏やかではいられない。ちらりと隣を見れば、泣きはらした目を険しく眇めるクレアも同じみたいだった。
私達の想いは確かに通じ合った。これ以上ないくらいはっきりと、私達は気持ちを確かめ合った。
けれどこの場における決着は、未だに着いていないのだ。
「……殿下。お待たせ致しましたわ」
クレアが泣き掠れた声で言うと、ユベルは「ああ」と短く頷いた。その短いやり取りで現在ここで何が行われているのかを思い出したのか再び会場の空気に緊迫したものが混じりはじめる。
そもそもこの場で行われていたのはユベルからクレアへの断罪劇だ。ユベルが問い詰めたクレアの罪状とそれに対する処罰については、まだ何も解決していない。私とミリーの乱入で一時的に有耶無耶になっていたが、私とクレアの問題が一段落をみた以上、状況は本筋に戻らざるを得ない。
会場の空気を味方につける、という点ではこれ以上ないほどの結果が出せたと思うが、それはあくまでこの断罪劇を有利に進めるための布石であって、それだけでゴールとはいかないのだ。
「改めて聞くが……何か、申し開きはあるか?」
ユベルがそう言うと、クレアは顔を伏せ、何か考え込むような間を置いてから私に視線を向けた。何かを問いかけるようなその視線の正確な意図まではわからなかったけれど、クレアの瞳にはこの会場に現れた時のような危うさは無く、代わりに強い意思が感じられた。
いまのクレアなら、きっと身を犠牲にして場を収めようとはしないだろう。それなら、私はもちろんクレアの意思を尊重するだけだ。
私は答えの代わりに繋いだままだったクレアの手をぎゅっと握った。クレアは嬉しそうに口端を引き上げた勝ち気な笑みを浮かべると、ゆっくりとユベルに向き直った。
「申し開きはございませんわ。ただ、殿下の沙汰を頂く前に申し上げたいことが一つだけございます」
「言ってみろ」
ユベルに促され、改めて深く一礼したクレアは顔を上げ、そして。
「私との婚約を破棄してくださいませ」
にっこりと、それはもうにっこりと極上の笑みを浮かべて、そう言い放った。
え。……いや、え、あれ?
言われたユベルだけではなく、私を含め全員がぽかんと口を開けて困惑していた。クレアとユベルの婚約が破棄されることは誰もが予感していたことだ。ただしそれは、ユベルがクレアとの婚約を破棄する、という形でのこと。クレアのマリーへの行いの数々を「婚約者に相応しくない」として追及し、それを理由として婚約は破棄されクレアは貴族令嬢としては再起不能の傷を負う。
それが会場に集まった面々が想像した未来であり、私とユベル達の用意した本来の筋書きも当たらずとも遠からずといったところ。
だったはずなのだけど。
実際には婚約破棄を突き付けたのはなぜかクレアであり、圧倒的に優位にいたはずのユベルは皆と同じく呆気に取られた表情でクレアを見返している。
何が起きているのかわからない。それがクレアを除くこの場の全員の総意だった。
「り、理由を聞こうか」
混乱でわずかに口ごもったが、それでもこの状況で第一声を発したユベルは偉いと思う。私なんて何か言葉を発するどころかクレアが何を言ったのかも上手く咀嚼できていないというのに。
「理由、理由ですか。そうですわねぇ」
皆の困惑をよそに、口元に手を添えて返答を考えるクレアは実に生き生きしている。悪戯っぽい、といえば可愛らしいが、その不敵な笑みはなんというかこう……すごく、悪役令嬢っぽい。
久しく見ていなかったクレアの企み顔は彼女がすっかり元気になった証だとは思うのだけど……お願いだからやりすぎて新しく恨みを買うような事態は勘弁して欲しい。もっとも、そうなったらなったで私は「クレアらしいなぁ」と苦笑いで彼女に手を差し伸べてしまうのだろうけれど。
けれど私のそんな心配は杞憂に終わった。
「理由は、コレですわ」
そんな答えになっていない答えを口にした直後。会場に困惑を振りまいたクレアのその唇が、私の唇に重なっていた。
…………え?
「ん、っふ」
口がふさがっているから、クレアの息が鼻から漏れるのは仕方ない。仕方ないけれど、その息と一緒に届く鼻にかかった声が私の体温を急上昇させる。
少しだけ背の高い私に合わせるように背伸びしたクレアは片手を私の首の後ろに回し、逃さないとばかりに唇を押し付けてくる。わずかに漏れる鼻にかかった声、クレアの口から吹き込まれる甘い息と、ダンスの時とさえ比べようもないほどに近くに感じるクレアの香りに思考が停止し、私は何も言えず、抵抗らしい抵抗もできない。
「――――ん、っぷぁ」
数秒か、数十秒か。時間の感覚が吹き飛んだ頭でクレアの唇が離れてしまったことを寂しく感じて思わずその艶めいた唇を凝視してしまう。クレアはそんな私に微笑んで、私だけに聞こえるようにそっと「続きはまたの機会にしましょう?」と囁いた。それだけで、私の顔がぼんっと煙を吹いて燃え上がった気がする。やっばい、今の私、絶対真っ赤だ。
そんな私にくすりともう一度小さく微笑みかけてから、クレアはくるりと振り返りユベルとマリー、そして私達を囲む参加者たちを見渡して、一際大きく張りのある声で告げた。
「お集まりの皆さん。私、クレアラート・エルトファンベリアはいまこの時をもってユベルクル・ヴァンクリード王子との婚約を破棄しますわ。そして――」
ぐっと、不意打ちにクレアから手を引かれて先程の余韻にぽーっとしていた私は咄嗟にクレアにもたれるようにしてどうにか転倒を避ける。気づけばなぜか寄り添うような体勢になってしまった私の肩に顔を擦り寄せたクレアは、勝ち誇ったような笑みを浮かべ、それから。
「同時に、エルザベラ・フォルクハイルとの婚約を宣言致します」
え。
「――――えええええええええ!?」
そんなとんでもない宣言をぶちかましたのだった。
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