そして彼女たちの想いは繋がる

 全員が、声の主を振り返った。私も、クレアも、ユベルも、マリーも、全員が。


 声の主はミリエール・リュミエローズ。リュミエローズ伯爵家の一人娘で、クレアの取り巻きとして認知されている、会場にいるほとんどの参加者たちにとってそれだけの存在だった少女に、いまや全ての視線が集中していた。


「……ミリー」


 クレアが掠れた声でその名前を呼ぶ。思わぬ闖入者の登場に、私やユベルたちも動けない。視界の端でドールスも身を固くしてミリーを見ていた。


「お姉さまはいつも私に仰っていたではありませんか、強くあれと。泣いている暇があるのなら、求めるものを手にする努力をしろと!」


「……そうですわ。そして私はその通りに致しました。けれどこの手は届かず、私は罪を犯した。だから今、私はその罪に従って裁かれるのですわ」


「いいえ、お姉さまは努力していません!」


 ミリーらしからぬ真っ向からの反論に、静かに諭すように話していたクレアがびくっと身を引く。いつもなら口答えなど決して許さないであろうクレアが、ミリーの迫力に気圧されていた。


「そんな、ことは」


「していませんわ! だってお姉さま、お姉さまは今、大好きなエルザベラ様を諦めているではありませんの!」


「っ」


 クレアの目が驚愕に見開かれる。


「ち、違います、違いますわミリー。私は、ただ」


「何を捨ててでも欲しいものが目の前にあるのに、手を伸ばすだけでいいのに、どうしてお姉さまは諦めてしまわれるのですか!」


「私、私は、エルトファンベリアの娘として、正しい行いをと」


「何をしてでも欲しかったものを諦めるのが、お姉さまの正しさなのですか!」


「それは、いえ、そうでは」


「それともお姉さまはエルザベラ様が欲しくないのですか! 愛していると言われて、嬉しくないのですか!」


「っ、そんな訳――」


 咄嗟に反論しようとしたクレアが慌てて口をつぐむ。欲しい、嬉しいと答えてしまえば、ミリーの言葉を受け入れたことになる。欲しいものを目の前にして逃げ出すことになる。例え事実がその通りだとしても、誰もがもはやその心境を察していようとも、彼女自身の矜持のために、それだけは認めるわけにはいかないのだ。


 だからクレアは意地を張る。子供のように拙い意地を、それでも最後まで貫こうとする。

 ミリーの必死の訴えもあと一歩届かない。クレアの最後の意地を覆せない。


「いいえ……いいえミリー、間違っているのは貴女ですの。エルザが先程私に愛を告げたのは、私を助けるためですわ。本心ではありませんのよ」


「そうなんですか、エルザベラ様!」


「ち、違うわ! 私は本当にクレアが好きで、大切で、生涯を共にしたいと思っているもの!」


 間髪入れずにミリーから半ば怒鳴り声のような疑問を飛ばされた私は慌てて首を横に振る。こんな状況でもそれを言葉にすると首筋がじわりと熱を帯びたのがわかった。う、赤くなってたらどうしよう。


「ほら!」


 もはやいつもの取り巻きムーブを完全に捨て去ったミリーが「これでもまだ言い訳するのか」とクレアに向き直る。


「で、ですからエルザは私を救うために」


「本人が違うって言ってるじゃないですか!」


 ……切羽詰まったミリーってこんな感じだったのね。いえ、この世界での経験によって、彼女もまたゲームとは違った人物に成長したのかもしれない。ゲームどおりの彼女、クレアが絶対に正しいと信じて疑わなかった彼女ならきっと、こんな風に正面からクレアに意見するなんて考えもしなかったはずだ。


 今の彼女はゲームのそれとは違う。盲目的にクレアの正しさを信じるのではなく、自分で考えて、クレアのためになると信じたことを躊躇わず口にしている。きっとそれが、ミリーが見つけた正しさなのだ。


 じゃあ、私にとって正しいことは。

 ……そんなの、最初から決まってる。


 クレアを助けること。クレアを大好きなこと。――クレアと、一緒にいること。


「ねぇ、クレア」


「な、何ですの?」


 必死に意地を張るクレアが、いっそ泣きそうな様子で私を振り返る。私はそんな彼女の胸元に、いつもならもっと派手で扇情的な、夜会らしいドレスを選んだであろう彼女が今日に限って首元まで覆っているそのドレスごしに手を触れる。


 ごつごつした固い感触に、私は想像が正しかったことを確信する。


 さすがに、鈍い私でも気づく。先程のミリーの言葉に揺さぶられるクレアの様子を見れば。そして何より、首元のこの感触が確かなら、それはもう間違いようがない。


 遠目にはさほど違和感がなくても、密着する距離で踊っていればわかることだ。明らかに、ドレスの胸元が不自然に膨らんでいる。私の指が何に触れたかを察して、クレアがごくりと喉を鳴らした。


 私はゆっくりと、きつく閉じられていたドレスの首元を緩め、胸の上辺りまでを弛ませると――クレアの首筋に手を差し込んだ。クレアがぎゅっと目を閉じた。耳まで真っ赤になって震えている姿に、愛しさがこみ上げる。


 ――ちゃり、と指先に金属の感触が触れる。


 本来なら指輪や首飾りは持ち主を飾るものだ。周囲から見える場所に身に着けなければ意味はない。けれど今日のクレアはわざわざ首元を隠す装いで、その下に「これ」を身に着けていた。


 それは証だ。決して言葉にしない想いが、確かにそこにあることの証明だ。

 するりと、私はそれをドレスの中から引っ張り出す。クレアは目を閉じたまま、抵抗はしない。


「これを着けていた理由、教えてほしいな」


 私が引き出し、ドレスの外側に現れたのは赤い宝石をあしらった首飾り。私とクレアの馴れ初めを示すそれは、私達だけでなくあのお茶会に参加していた令嬢たちは皆目撃しているものだ。だからすぐに、会場の参加者たちはそれが私の贈ったものだと気付いた。


 贈り物をわざわざ隠してまで身につける。それはつまり、表に出せずとも抑えきれない秘めた想いを身に着けているのと同義で。


「クレア、私クレアが好きなの。殿下に、貴女を渡したくないの」


 もう、誤解なんてさせないように。すれ違ったりしないように。逃げ道なんて作れないように。


「たとえ貴女が誰を好きでも、それでも貴女の隣を譲りたくないくらいに貴女が好き。友達じゃ嫌なの。親友じゃ足りないの。貴女にとって世界に一人だけの特別でありたい。貴女の人生を一緒に歩むただ一人のパートナーでいたい」


 これは愛の告白だ、と。どんなに曲解しようとしてもそれ以外に聞こえないように、いっそ執拗なまでに丁寧に、私は言葉を尽くす。


「貴女がこの国にいられないと言うなら一緒に逃げたっていい。罪を背負うなら私も一緒がいい。ただ一言、貴女が私を好きだと言ってくれるだけで、私は貴方の為に何だって出来る。それくらい、私はクレアが好きよ」


 首飾りに触れていた手をゆっくりと首へ、そして頬へと滑らせて、赤くなった彼女の頬を撫でる。


「クレアは?」


「わたくし、は」


「私じゃ、だめかな?」


「わたくし、わた、くし――っ」


 じわり、とクレアの目尻に涙が滲む。震える手が、ぎゅっと私の腕を掴んだ。


「聞かせてクレア。貴女の気持ちを」


 私の腕を掴んだまま、クレアが膝から崩れる。引きずられるように私もその場に膝をついて、バランスを崩したクレアが私の胸元に飛び込むように縋り付く。


 そして。


「――すき、です」


 クレアの口から、震えて掠れた声で、けれど聞き間違いようがなく、ハッキリと。


「すきです、好きですの、私、エルザが大好きですの!」


 溢れるように繰り返される「好き」の言葉。プライドの塊のようだった普段の彼女からはとても想像できなかった幼くて拙い告白。


「嫌です、私から離れては嫌ですの! そばにいて、一緒にいて、私だけの貴女でいてください! 捨てないで、私を、嫌いに、ならないでくださいまし――!」


「ええ、もちろん」


 ただ一言、私がそう答えるまでがきっと、クレアが耐えられる限界だったのだろう。私が返事をした次の瞬間、彼女の口から漏れたのは。


「うぁ……」


 感情が、決壊する声で。


「うぁぁぁぁぁああああぁぁあああぁぁん……!」


 恥も外聞もかなぐり捨てて、感情の溢れるに任せた幼子のようなその泣き声は、貴族令嬢としてははしたなく、みっともなく、彼女が守ってきた矜持を粉々にしてしまったのかもしれない。


 けれど、それでも。


 令嬢という義務を背負う代わりにずっと、ずっと長い間殺されていた彼女の心は、きっと救われたのだ。

 涙で化粧もぐしゃぐしゃなクレアの頭を抱えるように、私はぎゅっと強く抱きしめる。声を上げて泣くクレアの手が、私のドレスをしっかり掴んで離さない。


 私達はクレアの涙が枯れるまで、ただ互いに抱き合った。そうする事ができる幸せを感じながら、愛しい人の体温を感じながら、もう離さないと、それだけを誓って。

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