とうとう、取り巻き令嬢は正解を見つける

 眼の前で起きていることを理解するまでに、私の頭は数分の時間を要した。

 私は人より賢い方では無いけれど、それを差し引いても理解しなければならないことが多すぎた。最初のショックを頭が処理しきるよりも先に、次の衝撃が波となって押し寄せる。


 はじめはユベルクル殿下とマリーナ王女による、お姉さまへの断罪劇だった。こんな公の場でそんな思い切った行動に出た二人に驚きはしたものの、あのお姉さまが言われっぱなしで終わるはずがないと確信していた私は、一方的にお姉さまを攻め立てる殿下の言葉に苛立ちながらも、お姉さまが反撃するのを今か今かと待ちわびていた。


 けれど、その時は来なかった。それどころか。


「……仰ることは事実ですわ、全て私が行ったこと」


 お姉さまは淡々と罪を認めてしまった。静かに自らの破滅へと踏み出していくお姉さまを思わず見つめて、ようやくその瞳が全てを諦めていることに気づく。


 いつも私は、一歩遅い。もう少し早くお姉さまの異変に気付いていたら、この断罪劇を黙って見過ごさなかったのに。二度と顔を見せるなと言われたお姉さまの前に出ていくのが怖くて、お姉さまなら大丈夫なんて一方的な希望を抱いて、私はお姉さまを――見殺しにしてしまうのか。


 いやだ。そんなのは、いやだ。

 なんとかしたい。なんとかしなくちゃ。なんとか、しないと、いけないのに。


 危機的状況で頭が冴え渡る、なんてそんな奇跡は私には起こらない。こんな状況でも私の頭は私らしい働きしかしてくれず、それはつまり名案を閃くどころか事態を飲み込めないままただただ混乱し、挙げ句情報を処理しきれずに頭が真っ白になる。


 そのくせ、このままじゃだめだ、パニック、いっぱいいっぱい、私の役立たず、と自分の置かれた状態だけは把握している頭の片隅の冷静さがひどく恨めしい。その部分は私をいじめるばかりで、お姉さまを救うための案なんて一つも出してやくれない。


 なんとかしなくては、と気ばかり焦りながら、社交界でも政治においても取り立てて大きな影響力のない伯爵家の娘に、王子と公爵令嬢の対立に割り込んで何が出来るのだと自分の無力さばかり自覚する。

 そうして私が焦る気持ちと裏腹にその場に縫い付けられたまま動けずにいる間に、更なる混乱が場を動かす。


「お待ち下さい!」


 聞き覚えのある声が観衆の波を割って響く。そちらに目をやれば、人垣から飛び出してくる人影があった。


 エルザベラ・フォルクハイル。お姉さまの信頼を裏切ったはずの女が、なぜかお姉さまを守るように殿下と対峙する。


 その様子に私の頭はさらに混乱する。

 なぜ、どうして、という疑問はもちろんのこと、仮に彼女がお姉さまを救うつもりだとしてこの状況を本当にひっくり返せるのだろうかとか、出てくるのが遅いだとか、けれど私は飛び出すこともしなかったとか。


 疑問、困惑、焦燥、自己嫌悪。全てがぐずぐずに混じり合って私の頭はぐちゃぐちゃだ。私に出来ることを考えなければいけないのに、ちっとも思考がまとまらない。落ち着く間もないまま、事態は先へ先へと進んでしまう。

 そしてエルザベラ、彼女は言うのだ。万感の籠もった声で。


 愛しています、と。


 取り囲む誰もが息を呑み、口をつぐんだ。彼女の言葉そのものに驚いたのではない。その宣言にわずかの偽りも淀みもないと確信させるエルザベラ様の必死の表情に、そして何より、そんな彼女の言葉に動きを止めたお姉さまが、会場に現れてから初めて動揺を見せたことが、二人の気持ちが同じであることを誰の目にも明らかにしたからだ。


 気づけば、困惑と動揺に揺れていた会場の空気は一変していた。ユベルクル殿下によって追い詰められていたはずのお姉さまは、いつの間にかエルザベラ様の告白を受け入れるか否かを選ぶ立場に変わっていた。


 捨てられる側から、選ぶ側へ。


 会場の全員が――事を始めたユベルクル殿下とマリーナ王女も含めた全員が――お姉さまの次の言葉をじっと待っている。その沈黙は、いまや舞台の中心となった二人の耳にはどう届いているのだろう。私には、誰もが両想いの二人の結末が幸福であれと祈っているように思えた。


 けれど、お姉さまの口から飛び出したのは、皆の期待とは真逆の言葉で。


「もう、演技は十分ですわ」


 皆が一様に表情を強張らせた。


 クレアラート・エルトファンベリアの徹底した令嬢ぶりは有名だった。貴族の頂点に数えられる家の一員として、彼女は常に貴族の振る舞いの何たるかを意識していた。時にそれは横暴で融通の利かない部分であったとしても、彼女はいつだって正しく振る舞った。


 人として間違えたとしても、貴族としては間違わない。それが、クレアラートという令嬢であり、エルトファンベリアという家だった。

 だから、この時ばかりは誰もが彼女の言葉の意味をこう理解した。


 エルザベラ様の気持ちと、お姉さまの気持ちは同じで。けれどお姉さまは貴族として、一度結んだ婚約と、自らの犯した罪と、王族の言葉を優先したのだと。


 だって彼女はあんなにも、エルザベラ様の告白に震えていたのだから。

 エルザベラ様に対して気持ちがないから告白を退けた、なんて。そんな愚かなことを考えた者は一人もいない。だからこそ皆が皆、この恋物語は悲劇に終わると悟る。


 会場の誰一人として望んでいない結末へ向かって、たった一人、お姉さまだけが足を止めずに進んでいく。貴族として、エルトファンベリア家の令嬢として、第一王子の婚約者として、最も正しい結末を選ぶ。


 お姉さまはいつもそうだ。いつだって感情よりも正しさを優先する。だからどうしても自分の気持ちを無視できない私よりずっと冷静で、何倍も正しい。


 今だって間違いなく、お姉さまは正しい貴族令嬢で、だからこそ周囲の誰もが悲劇を予感しながら進んでいく舞台の上の物語を止めようとはしない。

 お姉さまはいつだって正しい。彼女の言葉はいつだって私のずっと先を行く正論で、だから私は何一つ反論できたことがない。


 そう、いつだって――。


『どちらも間違っていましたわ』


 いつだって、お姉さまは――。


『必ずどちらかが正しいとは限りません』


 ――――本当に?


 本当にお姉さまは、いつだって正しかったのだろうか? 正しかったのなら、どうしてお姉さまだけが破滅するのだろう。だってそれではまるで、お姉さまだけが間違って――。


 ああ違う、違いますわ、ミリエール。考えなさい、私。


 いつだって正しい? 違う、それは私の幻想だ。憧れのお姉さまはいつだって正しいという押し付けだった。本当は私だって気付いていたはずだ。どんな理由があったにせよ、公然と他者を貶めることに正しさなんてないということに。けれど私はそれを諌めず、時には助長するような発言さえした。それは、お姉さまはいつだって正しいと盲信したが故の、私の間違いだ。


 お姉さまは間違えた。ならば殿下が、王女が、エルザベラ様が、他の誰かが正しいの? 違う、違うのだ。誰かが正しいわけじゃない。誰もが間違っているわけでもない。


 ただ、というだけで。


 貴族として正しいことが時に人道に反し、人道に沿った行いが貴族の責任を疎かにし、責任のためだけに振る舞うことは人としての感情を痛めつけ、感情のままに出した答えはきっと義務や責任を放棄している。


 全てに於いて正しい答えなんて無い。あったとして、そんなもの誰も知らず、決められない。


 だけど、正解がなくても間違いがあるのは後悔するからだ。いつか今が過ぎた後、選んだ現実を悔やむからだ。ならきっと本当の意味での正解は、後悔しない答えを選ぶことだ。選んで良かったと言えることだ。


 貴族として罪科に殉じることを、お姉さまは後悔するだろうか。私にはわからない。


 エルザベラ様の告白を拒絶したことを、悔やむのだろうか。私には――悔やむだろうと思える。


 だってエルザベラ様の裏切りを私が伝えた時、あんなにも青ざめていたのだ。エルザベラ様と踊りながら、とても楽しそうだったのだ。エルザベラ様に告白されて、令嬢の仮面に亀裂が入ったのだ。


 そんなにも想っている相手を拒絶して、悔やまないはずがない。

 たとえそれが貴族として絶対的に正しかったとしても。そんな結末、そんな後悔、そんな選択なんて、そんなの――。


「そんなの、間違っていますわ!」


 気づけば私は、叫んでいた。

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