ライバル令嬢、暴露する
会場中がクレアの佇まいに息を呑む。その強さと美しさに圧倒される。破滅へと突き進む彼女を、誰一人として憐れまない、蔑まない、貶めない。破滅を突き付けられて尚曲がることのない覚悟を、誰が嘲笑えようか。
クレアの美しさに呑まれそうになる頭を振って、私は強く下唇を噛む。
いつか見た夢で、何がいけなかったと自分の罪を見失っていた彼女と、目の前であらゆる罪を受け入れて微笑う彼女が重なる。罪を罪と知らない無垢な子供と、全てを飲み込んで笑う女が重なる。
同じだ。
また、私は救えないのか。
大勢の輪の中で孤独に佇む彼女を救いたくて、そのために行動してきたはずだったのに。
彼女を救うためにしたこと、用意した舞台が、まるであの夢の焼き直しのように彼女を追い詰めていく。美しくも悲しい話だ、けれど必要なことだった、と。そう彼女という犠牲を認めてしまったあの夢の先と同じ結末が迫っている。
――だめだ。
だめだだめだ。違う。そうじゃない。悲劇じゃない。美談じゃない。美しくて悲しい話なんてまっぴらだ。だってそれじゃあ、何も変わらない。
思い出せ、あの夢を見た時、彼女を救うと誓った時の私を。
みっともなくていい、泣いても、喚いても、誇りを失ってでも、それでも。
それでも彼女の心だけは救いたいと、そう願ったのではなかったか。
「お待ち下さい!」
気づけば声は勝手に出ていた。遥かに高いホールの天井を揺らすように、私の声はクレアの破滅的な美しさに呑まれていた空間に熱を呼び起こす。
ここはあの夢とは違う。クレアを取り巻く人垣は私が歩けば勝手に避けていく。どんなに藻掻いても、手が届かなかったあの夢とは違う。私はここにいる。私の手はここに在る。伸ばせば、それは当たり前に触れられる場所にある。
「――エルザ」
「ごめんね、ちょっと混乱して、待たせちゃったね」
クレアにだけ聞こえるよう囁いて、彼女を背中に庇うように前に出た。対峙するユベルを睨みつける。険しい顔のまま「どうするつもりだ」と言いたげなユベルの陰で、マリーが小さく安堵の息を漏らしたのが見えた。
安堵するのはまだ早い。二人は敵ではないが、今となっては味方とも言えない。クレアが罪を認めてしまった以上、結末がどう転ぶにしても彼女の罪はあるものと扱われる。もはや私がユベルたちの不義理を問い詰めるだけでは誤魔化せない。
どうする? 考えろ私。この状況でクレアの名誉を傷つけること無く彼女を救うために、私はどう動けばいいのか。何を言えばいいのか、誰を見ればいいのか、何をすればいいのか、誰を動かせばいいのか。
……簡単だ。
私達の計画を狂わせたのは誰だ。歯車が噛み合わなかったのはなぜだ。用意した計画で唯一の不確定要素は何だった。全部全部、その全てがこの状況をひっくり返す鍵の在り処を示している。
「殿下は思い違いをしてらっしゃいます」
「ほう?」
ユベルが目を細めて私を見る。私はその視線を真っ直ぐに受け止めて、不敵に笑う。
「先程読み上げられた罪状、マリーナ王女への度重なる悪事の数々。それらはここにいる彼女、クレアラート・エルトファンベリア一人の責任ではございません」
「というと? 他に手を貸した者がいるということか?」
「いいえ殿下。事を為したのは全てクレアでしょう。ですが、そのような事態を招いた人間にも、責任の一端はあると思いませんか?」
「よもや、マリーナ嬢にも責任があるなどと――」
「そう、私ですわ!」
「……は?」
思わず素の声を漏らしたユベルに、堂々と胸を張ってもう一度宣言する。
「私です。先程の罪状の全て、責任は私にもございます」
「いやそれは……」
「貴女、一体何を言ってますの?」
困惑するユベルと、背中から感じるクレアの冷めた視線に挟まれながらも、私は必死に頭を回転させていた。
ユベルは私が強引にマリーの責任を追及する方へ話を運ぼうとしたと思ったようだが、もちろんそれは違う。無理のある論法でマリーを咎め立てすれば、それはクレアの印象を「往生際が悪い」と悪化させる結果になりかねない。
私達の計画を狂わせたのは他ならぬクレア自身。ならば軌道修正のためには、もう一度クレアの立ち位置を変える必要があった。彼女が単なる加害者だと思われないために、私にできること、私が言うべきことは――。
「ごめんなさい、クレア」
がばっと、振り向きざまに深々と頭を下げる。
「はい?」
思わず、といった風情で首をかしげるクレア。もちろんユベルとマリーも、私達を囲む観衆も困惑している。
「もっと早く言うべきだったのに、こんな事になるまで口に出来なかった私の弱さを、どうか許して」
「いえあの、エルザ? 貴女いったい何を」
「愛しています」
「――――」
ぴしり、とクレアが固まった。空気の読めない私の告白に、会場も静まり返る。ユベルもマリーも完全に困惑が顔に出ていたし、観衆の肩越しに見えたドールスは天を仰いで目を覆っていた。
わかっている、私だってわかってるわよ! この状況で告白とか、気が触れたとしか思えない所業だってことくらい自覚してるわよ。でもしょうがないでしょ、これしか思いつかなかったんだもの。
誰に向けたものともつかない言い訳を内心で繰り返しながら、それでも真剣さだけは伝わるようにクレアをじっと見つめる。周囲の困惑を意識的に頭の中から追い出して、目の前で動きを止めたままの彼女だけに集中した。
「貴女を愛しているわ、クレア。他の誰を傷つけてでも、この手をどれほど汚してでも、貴女を手に入れたいと思うほどに」
「っ!」
クレアが目を見開く。私の言葉が、彼女自身の振る舞いを指したものだと気付いたのだろう。
「貴女も、そう思ってくれたのでしょう?」
「私、は」
お願いクレア、頷いて。
貴女の気持ちがたとえどこまでいっても友情なのだとしても、それでも私を好きだと思ってくれるなら頷いて。今だけでいいから、私の告白に応えてほしい。
この場で重要なのはクレアの罪じゃない。クレアの想いだ。
そもそもが私たちの計画の骨子はお粗末なもので、本来婚約の可否を握る陛下や公爵の意思がはじめから無視されている時点で、大人たちが支配する本物の貴族社会では本来成功するはずもないものだった。
でも、私達は全てが予定通り運べば結果はついてくると信じていた。理由の一つは、正式には王位継承権筆頭保持者というだけでも王族であるユベルの公の場での発言はそう簡単に取り消せないという王家のプライドを加味してのことだが、それだけじゃない。
私達が今日この場でなら上手くいくと考えたのは、その場に居合わせる人間のほとんどが、私達と同世代の少年少女だからだ。
まだ家を継ぐには若く、嫁ぐ者がいる一方で婚約者さえいない者だって少なくない。それでいながら親であり当主である父の目を離れ、羽を伸ばせる学院という場所で行われるパーティーでのこと。
そんな場だからこそ、義務や責務や責任より、夢や恋や愛が優先され得る。
貴族としてではなく、一人の人間としての彼らはきっと、そんな儚くも美しいものが赦されることを諦められない。
だからこそ、私達はこの場でクレアを、嫉妬に狂い愛する人を奪われまいと必死に立ち向かった恋する乙女に仕立てるつもりだった。クレアに同情する観衆を味方につけ、浮気者のユベルたちを悪者にする予定だった。
でも今となっては、それでは弱い。
クレアがあまりにも潔く振る舞ってしまったがゆえに、彼女が重ねた罪がユベルを繋ぎ止めるためだったという話には無理が出てしまう。
だから私は、全てを暴露する。
この期に及んでなお、クレアを悲劇的な人物に仕立てるなら、虚構では弱い。虚構で足りないなら、真実で補うしか無い。マリーにユベルを奪われまいとしたのではなく、私をマリーに奪われまいとしたのだと、クレア自身に認めさせる。
女同士だとか。いがみ合う貴族の家同士だとか。片割れは王子の婚約者だとか。
こんなにも障害の多い恋に、恋愛結婚を諦めきれない若者たちが興奮しないはずがないじゃない?
「気持ちを認めるのが怖かった。想いを告げて、貴女に拒絶されるのが怖かった。そうやって私が逃げ回ってしまったことが貴女をこんなにも追い詰めてしまったことが怖くて、私は貴女の前から逃げ出してしまった」
なるべく周囲に「悲劇的な恋」に聞こえるように言葉を選べば、自然とそれは私の本音を暴くものになる。
そうだ、その通りだ。
気持ちを告げないのはクレアの幸せのため、だなんて。そんなの言い訳だった。私がこの気持を拒絶されたくなくて、それなら気持ちを隠したまま彼女の隣にいようなんてずるいことを考えていたのだ。
マリーやユベルを頼ったのだって、結局はそんな私の恐れがさせたことだ。
私が拒絶されるかもしれないという恐怖から逃げ回っていなければ、こんな事にはならなかった。クレアがどんなに暴れても抱きしめて離さないで、そうして彼女が信じてくれるまで愛の言葉を繰り返せばよかった。
たとえそれで彼女に永遠に拒絶されても、こんな風に彼女を破滅のふちに立たせずに済んだ。
だからごめんなさい、クレア。
そしてお願い。嘘でもいいから、今だけはどうか、どうか私を拒絶しないで。
悲劇の恋人の片割れをどうか演じて。
観衆さえ味方につけられれば、それで勝てるのだから。ゲームが決めただけの貴女の運命に、どうか抗って。
願いを込めて、私は愛しい彼女を抱きしめる。
お願いだから拒絶しないで。嘘でもいいから受け入れて。今だけでいいから、一度だけでいいから。
――貴女の恋人で、いさせて。
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