令嬢たちは踊り、そして終わりが始まる
「――――は?」
……おぅ、冷たい反応。
クレアの冷めきった返答にちょっと冷静になりつつも、時間がない、とループする音楽に背中をつつかれた私は強引にクレアの手を取った。
「ちょっ、エルザ! 貴女なにを――」
「いいから!」
強引にクレアの手を引いて再度人垣を割る。そのまま私はクレアと共に、ユベルたちが踊る円の中に飛び込んだ。
ステップを繰り返しながらこちらを一瞥したユベルの視線が「遅い」と告げていた。余裕のなさそうな様子でちらりと私達を見たマリーが慌てて二度見してくる。ユベルは私の登場を見越していて、一方マリーは全く予想していなかったようだ。
「……貴女、なにを企んでますの?」
輪の中に入ったせいか、声を潜めたクレアが訝しむようにそう言ってくる。
「今は何も。クレアが誰とも踊らないなら、私が踊りたかっただけよ」
正直に告げるとクレアは呆れたようにため息を落とす。
「私を晒し者にするつもりですの? 貴女まで巻き込まれなくても、パートナーがいないだけで私は十分物笑いの種でしたのに」
「あら、笑われるつもりなんてサラサラ無いわよ」
私がそう返すと、クレアが哀れなものを見るように私を見る。
「女ふたりでこの輪に飛び込んだ時点で失笑ものですわ。そんなことも忘れてしまうほど、あの女の隣は心地良いのかしら? 第一、私達は女同士。リーダーがいませんのよ」
「平気よ、バッチリ練習してきたから」
「……はい?」
ぽかんと口を開けたクレアの片手を取り、空いている手をそっと彼女の腰に回す。ダンスの動きに合わせて背中の上の方まで上下させるためあくまでも添える程度の接触だけど、それでも普段は触れることのないクレアの身体のほっそりしたラインを手のひらに感じて体温が上がった。
「ほらクレア、肩に」
促すと、さすがにこの状況から私を振り切って壁まで戻るのは無理と判断したのか、クレアも空いた手を私の肩に添えた。
「いくわよ?」
クレアの返事を待たず、私は音楽に合わせて足を運び始めた。
いち、に、さん、いち、に、さん。
ダンス自体はそう難しいものではない。真っ当なリーダーがいれば、クレアが完璧に踊れるのは当然のことだ。
シンプルなリズムに合わせた足運びは令嬢ならできて当然。それでも私達のダンスを見る参加者たちの目に熱がこもり始めるのを私は心の内だけで満足の笑みを浮かべつつ肌で感じていた。
「……本当に、踊れるんですのね」
クレアが呆れとも感心ともつかない感想をこぼす。同じ曲に合わせて踊るとはいえ、男性側であるリーダーと女性側であるパートナーは求められる役割が違う。一方が踊れればもう一方もすぐに踊れる、というほど単純な話ではないのだ。
リーダーという言葉通り、男性側はダンスをリードする役割がある。パートナーは相手に合わせる対応力が求められるのに対し、リーダーは音楽に乗せて自分とパートナーをより美しく見せるにはどう動くべきか、その判断力が求められる。
「クレアと踊るために特訓したもの」
そう言って私が微笑むと、クレアがふいと顔を背ける。それでも私達のステップに乱れは生じない。たかが目を見ていないくらいで足並みが乱れるほど、私達の呼吸はずれていない。
ただ決まった動きをするだけなら、誰が踊っても同じである。それを違ったものに、より流麗に見せるのはひとえに、別々の役割を与えられたリーダーとパートナーが、いかに互いの役目を理解し、そして相手の考えを理解しているかによる。
要するに、全く違う役割を持つ二人が互いの呼吸を合わせることが踊りの完成度を上げるのだ。その点私とクレアは――謙遜が嫌味になるくらいには完璧だと思う。
私が腰に添えた手にわずかに力を込めるだけでクレアは私の意図を理解して身体を反転させ、握ったクレアの手が軽く引かれれば私がそちらへ体勢を傾ける。難しいことは何もない。その代わり言葉もいらない。目を合わせないのはそんなことをしなくても勝手に身体が相手の期待に応えると確信しているからだ。
……とはいえ恥ずかしがって顔をそむけてばかりいるとコンビネーションとは関係なしに身体の軸がブレはじめてしまう。ダンスに支障をきたさないために、私達はどちらからともなく視線を引き戻した。
「さすがは完璧令嬢ですわね。相手役までこなせるとは思いませんでしたわ」
「間に合うか不安だったけど、何とか形になってよかったわ。クレアこそ、私と殿下じゃ身長も違うのに完璧ね」
「殿下と踊った時には、ここまで上手くいきませんでしたわ」
「じゃあ、私達の相性がいいのかも」
「…………」
あ、また目をそらした。
「そ、それで? リーダーの特訓までして私と踊って、結局なにが目的なんですの?」
照れ隠しを含んだ声で、けれどそれだけではない剣呑さを隠さずクレアが問うてくる。束の間少し前の私達に戻ったような空気は霧散し、私達は変わらず踊り続けながらも互いに探るような視線を交わしあった。
「さっきも言ったけど、こうして踊っているのは本当にただ私がそうしたかったからよ」
「……最後の温情のつもりですの?」
また「最後」だ。会場に現れた時にも彼女が口にしていた言葉は、やはり私と彼女との間に何か致命的なズレを感じさせる。けれどそれが何であるか、なにが行き違っているのか、それがわからない。
「ねぇクレア、どうして最後なの?」
「白々しいですわね。貴女たち、私を今日この場で断罪するおつもりでしょう?」
咄嗟にクレアの足を踏みつけなかった自分を褒めたい。ステップを踏む足が乱れてクレアから「ちょっと!」と非難の声が上がる。
「な、なんで知って――」
「これでも私だって少しは考えていますのよ。あの女……いえ、マリーナ様と殿下との仲を進めるのに、障害となるのは誰か。王立学院という「社交場」で王族に名を連ねる少女に無体をはたらいたのは誰か。いつも真っ直ぐな貴女が決して許さないだろう振る舞いをしたのは誰か」
答えは簡単ですわね、と嘆息と共に吐き出された結論に背筋が冷たくなる。
……半分は正解だ。なまじ半分正解であるがゆえに、クレアの誤解を正す言葉を見つけるのが難しい。
「ねぇクレア、お願いだからこれだけは信じてほしいの。私は貴女を本当に大切な友人だと思っているし、心の底から大好きだと言えるわ。たとえ貴女が間違いを犯したとしても、貴女に破滅してほしいなんて絶対に思わない」
「そうかしら……そうかもしれませんわね。でも、どのみち同じことでしょう? たとえ貴女が望もうと望むまいと、殿下がそう決めてらっしゃるのですもの」
「違うのクレア、殿下は私達のために――」
「ええそうでしょうとも。貴女がたにとっては正しく私のためなのでしょう。道を踏み外した友人を糾す、美しいお話ですものね?」
吐き捨てるように言ったクレアに言葉を失う。
どうしよう、届かない。このままじゃいけない。今のままのクレアにあの作戦をぶつけたら、取り返しのつかないことに――。
なんとかクレアを説得しようとした途端、間の悪いことに演奏が止んでしまう。気づけばいつの間にか私達を囲む円は大きく広がり、私達の他にも十数組の男女が円の内側で互いの踊りを称え合っていた。
いけない、クレアとのダンスに夢中になっていた間に思ったより時間が進んでいたのだ。このままでは説得する時間がない。
「クレア話を聞いて、このあとのことは」
「楽しい時間でしたわ。ええ……本当に」
私になにも言わせまいとするようにそう言い放ったクレアはにっこりと微笑み、そして美しく礼をした。私も慌てて返礼をする。いま周囲に動揺を悟られてはまずい。クレア自身の誤解も解きたいが、周囲に必要以上に何かあったかと勘ぐらせるのもよくない。むしろクレアがこちらの話を聞いてくれない以上、せめて参加者たちにはこちら側でいてもらわなくては。
とにかくクレアに説明を、と顔を上げた時には既にクレアは身を翻しており、それなりの声量でなければ届かない距離にいる。だからって作戦のことを叫ぶわけにも――。
「クレアラート・エルトファンベリア!」
慌てた私がクレアを追いかけようと一歩踏み出したのとほとんど同時に、打ち合わせ通りにユベルがクレアの名を呼んだ。
「待っ――」
待って、と言いそうになった口を慌てて閉じる。だめだ、いま私がユベルたちと共謀していることを周囲に悟られるわけにはいかない。
どうする? どうすればいい?
作戦を中止する? 今ならまだ間に合うかもしれない。けれどそれでこの場はよくても、次のチャンスはいつになる? それに今回の仕込みがある以上同じ手は使えない。もう一度同じことをしようとすれば違和感に気づく者も出てくるはずだ。
作戦の変更も難しい。第一この状況で何をどう変えればいいのかわからないし、そんな変更をユベルたちに伝達する方法もない。
クレアを説得する? 無理だ、一から説明している時間はない。
どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。
私の頭が真っ白になっている間に、既にクレアは振り返ってユベルと対峙している。未だ婚約中であるはずの、けれどここ最近明確にその関係に溝が生まれている二人の対峙に、周囲も静まり返っている。
「私から話す前に先に訊いておこう。何か、私に話すべきことはあるか?」
王子として相手を追及する言葉に、クレアの眉が釣り上がり、表情が険しくなる。ユベルの半歩ほど後ろにはマリーが立ち、じっとクレアを見つめていた。
「――なにも。なにもございませんわ、殿下」
「そうか。……残念だ」
呟くように言って、ユベルはキツくクレアを睨みつける。クレアもまた涼しげにそれを受け止めた。
断罪が、始まる。
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