ライバル令嬢、差し出す

「では、お手を拝借」


 ユベルの一言をきっかけに、BGMを奏でていた楽隊がふっと演奏をやめる。ユベルと、頬を赤らめながらおずおずとその手を取ったマリーを残して周囲の参加者たちが二人を囲む円になるよう空間を作る。円の中心に残った二人が一度手を離し、互いに軽く一礼する。それを合図に、楽隊が再び演奏を再開する。


 ゆっくりと流れ出した音楽は先程までの主張しないものとは違い、踊る二人をリードするように「流れ」を生み出していく。円の中央の二人は片手を取り合い、腕を回して一つ頷くと、音楽に導かれるまま踊り始めた。


 流麗さや美しさとは無縁の踊りだった。ユベルのリードは堂に入ったものだが、いかんせんマリーの踊りが拙い。ユベルのリードに引っ張られてギリギリ形にならないレベルの残念さである。一応、今日に向けて彼女もダンスの指導は受けているが、そもそも会場に集った参加者の大半は生まれながらの貴族で、社交ダンスも教養として幼い頃から身につけている。見苦しくない程度に踊れるのは前提であり、その上で美しさを競うのが貴族たちの踊りだ。その意味で言えば、マリーのダンスは踊れているとさえ言えないレベルである。


 現に彼女に向けられる視線は厳しい。王子の相手に相応しくないだろうと眉をひそめるのはまだいい方で、中には露骨に嘲笑したり冷笑を浮かべる者も少なくない。


「よくもまぁ、あんなザマで殿下のお相手をしようなどと思いましたわね」


「所詮は庶民上がりですわ、殿下もそのうち目を覚まされますわよ」


「この程度も満足に踊れない令嬢が相手なんて、殿下が可哀想じゃありませんこと?」


「けれど殿下は相手をご自分で選ばれたのでしょう? あんな女の何がいいのかしら。クレアラート様ならまだしも、あんなのが私達の代表を務めるなんて侮辱ですわよ」


 漏れ聞こえてくる令嬢たちの苛立たしげな会話も無理からぬことだ。以前までユベルのパートナーを務めていたクレアが令嬢としては――つまり人間性を除外した場合は――非の打ち所のない人物だっただけに、相対的にもマリーの評価は芳しくない。


 もっとも、私達の狙いもそこにあるのだけれど。


 もちろんマリーは本気で踊っているし、ユベルも可能な限り彼女をフォローしている。けれどそれでも、マリーが練習を初めてから今日まで一ヶ月もない。サマになるほどに踊れるとは、私やユベルを含めて誰も思っていなかった。


 ゲームでもマリーは今日のパーティーで上手く踊れてはいない。そもそもゲームではこの時点でこの第二部で攻略キャラのパートナー務めるのは彼女ではなく、あくまでもマリーは第一部のダンスで攻略対象とひと時の幸せを楽しむだけだ。第二部での攻略対象者たちの相手はあくまでライバルとなる悪役令嬢であり、ユベルルートならクレアが、ドールスルートなら私が踊る姿を見て攻略対象に相応しい技術や教養を身に着けようと決意を新たにすることになる。


 だからどれほど真剣に練習に臨んだとしても、この時点での彼女が真っ当な令嬢レベルのダンスを披露できるとは誰も思っていない。


 本来であればマリーがこの時間に踊ることは避けるのが彼女にとって無難だ。ユベルがクレアと踊れないにしても、彼の相手を務めたがる令嬢はいくらでもいるし、なんならクレアの代理に私が踊れば周囲から文句も出なかったろう。これでも完璧令嬢の名は同世代の令嬢たちを黙らせる程度の重みはあるのだ。


 だけど私達は敢えてマリーにユベルのパートナーを務めさせた。もちろん、マリー自身も納得づく、というかむしろほとんど彼女が言い出したことだった。


 パーティーでのユベルのパートナーを彼女が務めるのは、二人の関係を決定的なものとして周囲にアピールするために必須だった。けれど彼女のダンスが令嬢としての最低ラインにも届かないだろうことを知っていた私達は、ダンスに関してのみ代理を立てることの可否について話し合った。


 本来であればユベルにエスコートされるマリーがダンスの相手も務めるのが自然だ。けれどそれが難しいならダンスの間だけでも代理――私とか――を立てることが可能かどうか、できたとして計画に支障はないか、とそんな相談をする私達に、マリーは宣言したのだ。私が踊ります、と。


「今回の作戦で私の心象は悪い方がいいと思うんです」


 自分のことなのに堂々とそう言いきった彼女は、自分が笑いものにされるのを承知でユベルのパートナーを引き受けたのだ。クレアと比べられて、引き立て役にされることを望んで、自ら令嬢たちの嘲笑を浴びることを選んだのである。


「……この借りは大きいわね」


 硬い表情で必死に曲に合わせようと踊るマリーを見ながら、私は誰にも聞こえないようにそうぼやいた。一連の計画に協力してもらうだけでも大きな借りだが、ユベルの隣に立って王妃を目指そうという彼女に消せない汚点を作らせたなんて、借りを返すのに一体どんな無茶をすればいいのやら。


 それでも、その効果のほどは確かだ。周囲の令嬢たちはマリーを嘲笑する囁きの合間に、意図せずしてクレアを称える言葉を差し挟んでしまっている。クレアの性格に棘があるゆえ見過ごされていた彼女の令嬢としての格の高さを、クレアを無自覚に妬んでいた彼女たち自身が認めているのだ。


 やがて曲は進み、ユベルとマリーだけが踊れるよう小さな円を描いていた空間が自然と広がっていく。一回り大きくなった円は、次の参加者を待っていた。


 自然、参加者たちの視線は壁の花となっていたクレアへと注がれる。


 この場でユベルに次ぐ家格となるのは三公家筆頭の令嬢であるクレアだ。ユベルのパートナーでないのなら、次に輪に飛び込むのは彼女ということになる。


 けれどクレアは動かない。参加者たちの物問いたげな視線を堂々と受け止めながら、じっと黙したままユベルたちの踊りを見つめている。これが他の令嬢相手なら、相手が不在というのを好機と見て手を差し出す軽薄な男がいても不思議ではないのだが、公爵家筆頭エルトファンベリアの令嬢であり、おまけに苛烈な性格で知られたクレアである。軽々しく名乗りを上げるわけにもいかず、さりとて彼女が動く前に次の誰かが輪に加わるのも憚られると、会場に嫌な緊張が漂う。


 その間もユベルとマリーは踊り続けているが、音楽は参加者を待つための緩やかなループを続けており、誰かが輪に加わらなければ場の流れは停滞したままだ。


「……どうする?」


 耳元で声をかけられてびくうっと肩を跳ね上げる。慌てて振り返るとそこに立っていたのはドールスだった。


「俺が行くか?」


 行くかもなにも、計画ではドールスがクレアの相手を務めるのはほぼ決定事項とされていた。すぐに名乗り出ないのはクレアの正式なパートナーではないことに加え、仮に他の誰かが名乗りを上げればそちらに任せるべきだと思われたからだ。


 計画の詳細を知る人間に男子はユベルとドールスしかいないため、クレアの相手を身内に任せるなら必然的にそれはドールスになる。とはいえナエラディオ家は子爵位だ。本来公爵家の令嬢の相手を務められる家柄ではない。だから真っ先に名乗りを上げるのではなく、誰もクレアの相手に名乗り出なかった場合ドールスが立候補する、という話だったのだけど。


「行くか、ってその予定だったでしょう?」


「計画ではな。ユベルたちがいたから俺も頷いた。……でも、お前が特訓してたの、俺が知らないと思ってたのか?」


「……情報源はアニーね」


「正解。で、どうする? 悩んでる時間はないぞ」


 曲のループもいい加減不自然な長さだ。クレアが動かないことにしびれを切らして次の誰かが円に入っていくまでそう猶予はないだろう。


「――私が行く」


「言うと思ったよ」


 満足げにため息をつくという器用な反応を見せたドールスにぽんと軽く背中を押されて、私はクレアの方へと足を踏み出す。


 それでも一歩目は躊躇いがちに。二歩目は自分の覚悟を促すようにゆっくりと。三歩目はこれからすることへの興奮と緊張で少し前のめりに。そしてそこからはほとんど駆け足で。

 密度の高い参加者たちの壁をもどかしくかき分けながら進む。壁の花なんて似合わない、会場の誰よりも華やかな彼女のもとへ。


「――クレア!」


「エルザ?」


 人垣を割って飛び出してきた私によほど驚いたのか、クレアは意表を突かれた様子でいつもの棘も忘れて私を呼ぶ。そんな風に素の彼女が私を変わらず呼んでくれることに思わず表情が緩むのを自覚しながら。


「よろしければお手をどうぞ、レディ」


 芝居がかった口調に悪戯心と愛情を込めて。

 誰よりも愛しい少女に向けて、私はそっと手を差し出した。

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