国王は見通す

 長いような、短いような。


 気づけばホールを満たしていた楽器の音が止み、それと同時に靴が床を打ち付けるカツカツという音は称賛を伝え合う穏やかな喧騒に取って代わる。


 第一部にあたるダンスが終わりを告げ、会場はパーティーが始まった当初のやや強張った空気から開放され、ダンスの熱で上気した参加者たちの顔つきと同じく微熱に浮かされるように温まっていた。

 多くの参加者たちがその熱に気持ちよさげに酔う中で、私を含めた数人、いよいよその時が迫ってきた計画を知る者たちだけが興奮とは違う熱に悩まされていた。


(……大丈夫、上手くいくわ)


 会場に入ってからもう何度目になるか、五回目からは数えるのをやめた言葉を内心でまた繰り返す。


 準備は万全、上手くいく、問題ない、丸く収まる、できる、心配ない。語彙を総動員して似たような言葉をいくつも並べ立てながら、私は目前に迫った「その時」に向けて否応なく高まる鼓動を鎮めようと無理な努力を続ける。


 バクバクと鳴る心臓が全身の血管に激しく血を巡らす。血管が脈打つ感触が耳の奥を叩き続けて。私は軽く吐き気さえ覚えた。それでも、そんな諸々を気合と根性で内側だけに押し留め、表面にはいつもの完璧令嬢の微笑を被る。上っ面だけでも、自分が平静だと思い込まなければ緊張でどうにかなりそうだった。


 ざわ、と。パーティーの最初にユベルたちが現れた時によく似た喧騒が会場の入口から波及してくる。きた、と私とユベル、マリー、ドールスはそれぞれに視線を交わした。


「遅参を許されよ。初めから私がいたのでは、諸君らも気を緩めて楽しめぬことと思ってな」


 口元の髭を撫で付けながら、会場の喧騒を一言目で打ち消したのは見紛うことなき国王陛下、ユベルの父親であり、ユベルとクレアの婚約を進めた、その当事者の片割れでもある。


 陛下はゆったりとした足取りで会場の奥へ向かいながら、時折立ち止まっては参加者たちと二言三言、短く言葉を交わしている。大体は王家に近い、王都の有力貴族たちだが、中には辺境からこちらの寮へ入っている遠方からの学生も数名混じっていた。陛下の世は保守寄りの治世と言われるが、辺境伯を筆頭に遠方の貴族とも積極的に接点を持とうとする辺りは、どちらかというと革新的な貴族たちと近い。中立を保つ陛下だからこそ、今回の私達の計画をどう受け止めるか、読めない部分があった。


「おおユベル、楽しんでいるか?」


「はい、父上。このように気を楽に臨める場は久方ぶりで、肩の力を抜かせてもらっています。これも学院と、素晴らしい学友たちのおかげです」


「うむ、そうだな。王立であるこの学院は、いずれお前も支援する側になる。学院を心地よいと感じるならその空気を忘れぬことだ」


 かかか、と剽げた笑いを漏らしつつ軽く息子の肩を小突く。ユベルは表情を変えず、軽く頭を下げただけだった。


「それでそちらは……ふむ?」


 はじめて気づいた、というように陛下はユベルの隣に立つ令嬢に探るような視線を向ける。国王から眇めるような視線を向けられたマリーは、居心地悪そうに小さく身を捩ったが、すぐに深く頭を下げた。


「お久しぶりです、陛下」


「うむ、久しいなマリーナ嬢。その後、あの家で上手くやれておるかね?」


「はい、素敵な家族に恵まれました。私は幸せ者です」


「そうか」


 そんなやり取りの間も、陛下の視線は観察するような色を帯びたまま、マリーとユベルの間を行き来している。


「……さて、覚悟は決めていような?」


 そして、ユベルに向けて微笑みを浮かべたままそう問うた。

 ユベルはぴくりと片眉を動かしたが、それ以上は表情に何の変化も見せず、ためらうこと無く頷いた。


「もちろんです」


「ならば示せよ。そうでなくては認められんだろう。私も、この国に生きるすべての臣民も」


「臨むところです」


 抽象的な会話に、周囲の参加者たちが「何の話だ?」と囁き合う。一部からは「婚約者」とか「エルトファンベリア」「公爵の」なんて言葉が私の耳にも漏れ聞こえてきた。当たらずも遠からず、といったところまで考えが及んでいる者も少なくないみたいだった。


 陛下は数秒ほど黙ったまま息子の表情を見つめていたが、やがてふいと視線を逸らすと次の目的の人物を見つけたようで、再び迷いのない足取りで歩き始めた。……私の方に。


「エルザベラ嬢。こうして話すのは久しぶりだな」


「ご記憶に留めて頂いただけで光栄ですわ」


 マリーと同じように、私も深く臣下の礼をとる。陛下が「うむ」と頷いたのを確かめてから、ゆっっくりと顔を上げた。


「侯爵は元気かね? 最近は彼も忙しくしているようだ。私と顔を合わせても仕事の話ばかりでな、君たち家族の近況ひとつ聞く暇もない」


「陛下の覚えあっての我が家ですもの、父も少しでも陛下のご恩に報いたいと思っているのでしょう。家では……いつもと変わりなく、母と私には甘い「ととさま」ですわ」


 幼い頃の父の呼び方を口にすれば、陛下はそうかそうかと楽しげに笑った。直接顔を合わせる機会は多くなかったが、私はこの人のこういう身分に似合わず気さくな部分が嫌いではない。なんというか、親戚の優しいおじさんと話してる気分だ。


 ……もっとも、今はそんな彼が一度認めた縁談をひっくり返そうとしている身なので、笑顔が引き攣らないように必死なのだけど。


「そういえば君はクレアラート嬢と親しいんだったね」


 さも「いま思い出した」と言いたげな調子で語られる言葉に、思わず身を固くする。


「……ええ、クレアラート様にはよくして頂いています。我が家とは衝突することも多い家の一員でありながら、対等な友人と接してくださいます。素晴らしい方ですわ」


「ふぅむ?」


 もちろん、息子の婚約者であるクレアの振る舞いを陛下が知らないはずはあるまい。学院にも陛下の息がかかった監視の目はいくらでもあるだろうし、マリーへの所業も、ユベルとの関係が冷え切っていることも知っているはずだ。


 それでも、私はそれを認めず、素知らぬ振りで通す。


「素晴らしい婚約者がいらして、ユベルクル殿下の将来も安泰ですわね」


 そう言って私が微笑むと、陛下は私にしか見えないよう髭に隠れた口元だけでにんまりと楽しげに笑った。


「……そうだなぁ、そのように素晴らしい女性ならば王妃にも相応しかろう。とはいえ、そうまで見事な人物では、我が愚息が相手では申し訳ないかもしれんな」


「そのようなことは」


「エルザベラ嬢のように聡明で細やかな人物であれば、クレアラート嬢にも相応しいと思うのだがな」


「…………」


 思わず私が押し黙ると、陛下は悪戯っぽく瞳をキラリと光らせて、私にだけ聞こえるようにほとんど口の動きだけで囁いた。


「君たちの将来が楽しみだ」


「!」


 ……参った。一国の王とはいえ、こうも全てがお見通しとはさすがに思わなかった。

 陛下はそのまま次の参加者に挨拶に向かう。私は緊張から開放されて軽くふらつきながらも、なんとかその場に踏みとどまった。


 少し離れた場所まで近づいていたユベルとマリーがこちらへ向けてくる不安げな視線には肩をすくめて首を振ることで答えとする。完敗、だけどひとまず、敵ではなさそうだ、と。


 そのまま更に数人と握手と挨拶を交わした陛下は、ホール最奥に用意された貴賓席の手前で、わざわざ身体の向きを変えて、壁際に立つクレアにも視線を向けていた。対するクレアは即座に深く頭を下げると、そのままの体制で動きを止め、伏せたまま決して陛下と視線を合わせようとはしなかった。クレアの頑なさを察したのか、陛下はそちらへ歩み寄ることはなくそのまま席に着く。


 そして会場全体を見渡すと、座ったばかりの椅子から改まった様子でもう一度立ち上がった。


「これより、今宵の会は二幕へ移る。私もこうして同席するが、どうか身構えず楽しんでくれ。なにしろ、この場は君たちのために用意されたのだからね」


 その声を合図に、楽隊がゆったりとした演奏を始める。再びしばしの歓談の間のBGMだ。この音楽が止めば、いよいよダンスの第二部、今夜の盛り上がりの頂点にして私達の計画の始まりが訪れることになる。


 その時は、もう目前に迫っていた。

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