悪役令嬢、微笑する
会場に現れたクレアは、少なくとも表面上は落ち着いているように見えた。ただ、その装いが少しいつもと違う。
もともとクレアは派手好きだ。彼女自身の趣味というよりは財力をアピールする目的でそうしている節があるが、衣装や装飾品は派手で豪奢なものをこれでもかというくらい身につけるのが常だった。学院に入ってからは制服でいることがほとんどだったからあまり派手な装いは見かけなかったけれど、今夜のパーティーなどは同世代の令嬢たちに格の違いを見せつける絶好の機会だ、と気合を入れていてもおかしくない。
なのに今日のクレアはそんなイメージとは正反対だった。
ボリュームのある巻き髪こそ変わらず派手だが、深い青色のドレスはフリルやレースといった手の込んだ(それ故に高価な)装飾は控え目であり、その分普通に歩くだけで波打つように揺れるスカートの滑らかさが、その上質さを表している。首元はこの手のドレスには珍しく騎士の正装のように胸元まで詰めたデザインで、肌の露出は最低限。それゆえに首元にもネックレスなどの飾りはなく、シンプルで品がある、といえば聞こえはいいが、普段の彼女と比べれば質素とさえいえる装いだった。
にも関わらず。
「……きれい」
思わず呟いたのは私か、それとも会場中にいるであろう同じ感想を抱いた誰かか。
湖面が風に揺れるようにドレスを波立たせてゆっくりと歩く彼女は決して目線を下げること無く澄ました表情のまま会場の人波を割って進む。ユベルが別の少女をエスコートしていたことで彼女に同情や蔑みの視線を向ける者は既にほとんどいない。誰もがすっと背筋の伸びた彼女の美しい歩みを前に、今までの彼女とは違う深みと儚さの共存する美しさに、感嘆の息を漏らすだけだった。
そうして自然と人波を裂いて進んだ彼女は、会場の中心近くで足を止める。彼女の前に立つ者たちが次々と道を譲る中で、その場に残っていたのはただ二人。
「こんばんは。良い夜ですわね、殿下」
「……ああ」
クレアがわざとらしいほどに深々と臣下の礼を取った相手はユベル。隣には周囲と同じく息を呑むマリーも佇んでいる。
「マリーナ様も、ご機嫌麗しゅうございます。ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでしたわ」
「い、いえ……」
静まり返った会場の中心で緊張感を孕んだ挨拶が交わされる。優雅に微笑んでいるのはクレアだけで、マリーは思い切り動揺が顔に出ているし、ユベルもいつもの無表情に見えて片眉が訝しむように釣り上がっている。見守る私の心臓も落ち着かない。
まさかクレアが私達の狙いに気づいていることはないと思うけれど、いつものようにマリーを罵倒するでもなく、二人を避けるでもないその振る舞いは何らかの意図を含んだものに違いない。
「どうなさったのです? 揃って難しいお顔をなさって」
美しい顔に手を添えて首をかしげる仕草はその落ち着いた装いにはアンバランスな愛らしさを感じさせる。平時の私なら抱きついて頬ずりしたいと思うくらいの愛らしいその仕草に、けれど私はなぜか、背筋に薄ら寒いものを覚えた。
この場でなにか仕掛けるつもりなのだろうか。ユベルなら上手く躱してくれると思うが、だからといって何もせずただ眺めているのが憚られるくらい、今のクレアはどこか危うさを感じさせた。
「……いや気にしないでくれ。今日のこのパーティーが、君にとっても良いものになることを願っている」
「ありがとうございますわ。お二人も、良い時間をお過ごしくださいませね」
ハラハラと見守る私の心配を他所に、クレアは優雅に微笑むとふらりとそのまま二人の傍を離れる。……足取りは確かなのに、どこかその歩みが危うく見えるのはなぜだろう。これまで彼女の強さを支えていた、自負や自信といったものが雲隠れしているように思える。
それが儚さを漂わせ今夜の彼女を美しく見せているのも確かなのだけれど……明らかに何かがおかしい。
徐々に喧騒を取り戻しつつある会場の人波を縫って、ゆっくりと壁際へ移動するクレアを追いかけた。
「あの、クレア!」
「……あら、エルザベラ様」
振り返ったクレアがふわりと微笑む。久しぶりに向けられた笑顔は柔らかく、けれどその瞳がどこか虚ろに見えた。
「お一人ですの? もったいないですわね、貴女ほどの方なら引く手数多でしょうに。それとも、どなたか心に決めた方がいらっしゃるのですか?」
「……誘いはいくつか受けたけど断ったわ。楽しく踊る、って気分でもないし」
「そうでしたか。何か心配事でも?」
「ねぇクレア、そんな他人行儀な話し方はやめてよ。怒っているならそう言って? ちゃんと話をきくわ。それから私の話も――」
「怒る? 私がですの?」
まぁ、というようにクレアが大仰に目を見開く。やはりどことなく作り物めいた表情が私を一層不安にさせた。
「怒ったところで得るものなどありませんのに、そのようなことは致しませんわ」
「そ、それなら私の話を聞いて! 貴女が知っていてくれれば、何の心配も」
「必要ありません」
微笑みを崩さぬまま、クレアは私の言葉をはっきりと拒絶する。
「ご心配なさらなくても、仰りたいことはわかりますわ。今夜の私の役目に、今更抗うつもりもありません。最後くらい、貴女の目に映る私を美しいものにしたいんですもの、見苦しい真似はしないと約束しますわ」
「クレア……?」
なんだ、彼女は何を言っているんだ?
私に二の句を継がせず「それでは」と優雅に腰を折って去っていくクレアの背中を見送ることしか出来ない。要領を得ない彼女の言葉を必死に反芻する。クレアの役目、とは一体何のことだ? 最後、と彼女は言ったけれど、それは何を意味している?
わかっている、とクレアは言ったけど、あの口ぶりでは十中八九わかっていない。けれどああまで断言するからには彼女の中に今日この場で何かが起きるというハッキリした確信があるのは間違いない。
彼女はどこまで気づいていて、どこから誤解しているのだろう。
けれど話を聞いてくれる様子でもなかった。今は彼女の「抗わない」という言葉を信じるしか無いのだろうか。何かを誤解しているのだとしても、彼女がこちらの想定外の行動に出なければ事は問題なく進むとは思う。それならクレアの抗わないという宣言は、私達の計画とぶつかるものではない……はずだ。
「……大丈夫だよね、クレア?」
どこか大勢の学生たちを避けるように会場の隅へと移動するクレアの背中を見つめる。美しい真っ直ぐな姿勢が、どうしてかわずかな力でも折れてしまいそうなくらい頼りなく見えた。
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