夢見る未来

「あの、お嬢さま……」


「下がっていいですわ。これ以上貴女に頼むことはありませんし」


「……はい」


 言いかけた言葉を飲み込むようにして一礼すると、リムは部屋を出ていった。


 ……なにを企んでいるのかしら。


 知らず彼女の出ていった扉に険しい視線を向けていたのに気づいて軽く目元を揉んだ。こんな表情でパーティーに臨むなんて我が家の名に相応しくない。

 リムが最近コソコソと動いているのはなんとなく気づいていた。何をしているかまではわからないけれど、それについてもこの間のエルザの言葉でおおよそ察しはついた。


 今日のパーティーで、間違いなく何か企んでいる。エルザとリム、あとはあの王女とそれから……おそらく殿下も無関係ではないだろう。その証拠に、殿下から今日のエスコートの話も来ていない。いよいよ私との間に明確に線を引く気なのかもしれない。


「……潮時、ですわね」


 もしくは時間切れだろうか。


 何を仕掛けてくるにせよ、それが私にとって良い形に落ち着くことはないのだろう。手段を選ばなかった私と違って、彼女たちは善良であることを良しとした。この期に及んで、あの王女を階段から突き落としてしまえばエルザが帰ってくるのでは、なんて考えに希望を抱きそうになる私とは、きっとどうしたって相容れない。


 けれど彼女たちは正しかったのだろう。だから私は敗北する。たった一つ、私が他者を自分に繋ぎ止めるために振りかざすことの出来た家という力は、私欲のためにそれを用いようとした私には与さなかった。そしていつだって、最後には清く正しい者が勝つのだ。


 だけど、それなら。


「どうすれば、よかったのでしょうね」


 どうしても欲しいものがあった。どうしても諦められなかった。だからそれを手に入れるために、持てる力を暴力として振るうことに躊躇いはなかった。それが褒められた行いではない事を知っていても、そうすることでしか彼女を取り戻せないと思ったから。


 結局それは、自分の首を絞めただけだったのかもしれない。でも、たとえこの結末に至る事を知っていても、きっと私は同じことをしただろう。どんなに足掻いても失うとしても、結末が決まっているからなんて、そんな程度の理由で諦められるほど、私にとって彼女は小さくない。


「――エルザ」


 その名を呼ぶだけで、胸の奥に熱が籠もる。何一つ憂うこと無く、隣に並んだ彼女に触れられた日々を懐かしく思う。


 大好きよ、とあの日彼女は、顔も見せない私にそう言ってくれた。縋るような響きさえ含んだ声は、もしかしたら本当なのではないかと何度も私の心をぐらつかせる。まだ間に合うのではないか、今からでも彼女を取り戻せるのではないか、いっそ彼女を攫って逃げてしまえばいいとさえ思ってしまう。


 それでも、そんな事はできない。何より、それでは意味がない。


 私が彼女を選ぶのは当然で、求めるのは選ぶのではなく選ばれること。エルザが私を選んでくれないのなら、彼女を攫って逃避行に出たところで、私には何の意味もない。


 だけど彼女は私を選ばないだろう。強かで小賢しいようでいて、芯のところでは誰よりも真っ直ぐな彼女だ。私が間違っていると断じたなら、たとえ大好きという言葉に嘘がなくたって私を受け入れはしまい。そんな彼女だからこそ、私は隣にいて欲しいと願ったのだから。


 胸元の硬い感触を確かめる。ダンス用の華美ながらも動きやすいゆったりしたドレスだが、腰から上は最低限の可動域を残してタイトにデザインされている。そのせいで服の下にこれを着けていると、胸元にわずかに膨らみが出来て不自然なのだけど……だからといってこれを外したら、今の私はきっと立っていることもままならない。


 こんなにも彼女に依存していると自覚して、そのことに何の後悔もない自分に呆れる。


 彼女の心が手に入らないなら、いっそこの身が破滅すればいい。


 たった一つ、私が生きるために必要なものがこの手を滑り落ちていくのなら。守るべき家名を武器として振りかざし、挙げ句それを汚す結果にしかならなかった私に、もはや一片の価値もない。


 きっと令嬢の私は今夜を最後に消える。ならばせめて、彼女の手で引導を渡して欲しいと思うのは我が儘だろうか。

 過ちを犯した悪役が舞台を降りる時、対峙するのは悪役が最も欲した相手であったなら。それはきっととても劇的な場面になるだろう。いつか彼女と並んで観た舞台のように、彼女の人生に華を添える最後でありたいと思う。そうなればきっと、彼女は私を忘れないだろう。


「……時間ですわね」


 一応の建前として、殿下の訪れを待っていたがその気配はやはりない。学院の行事である以上エスコートは必須ではない。それでも今はまだ私は婚約者の身であるはずだが……それも数時間後には白紙だろうと確信した。


「一度くらい、貴女に手を取られてみたかったですわ」


 脳裏に浮かんだのは当たり前のように殿下ではなく、その点だけはお互い様だと苦笑する。まぁ、いいだろう。私が今夜の悪役だったとしても、夢を見る自由くらいはまだ、あるはずだから。



* * *



「……き、緊張してきた」


 青い顔で呟く私の背を、アニーが無言で軽くさする。

 ダンス用のドレスは新しく用意した。基調となるのはいつも通り赤だが、かなり暗めの色を選び、アクセントには明るい赤と一緒に、目立たぬ程度に暗い青を併用している。よく見なければわからない程度ではあるが、全体で見れば腰より下は深海のような深い青にも見えるようなグラデーションを仕込んでいる。


 もちろん、愛しい少女を思い浮かべて選んだ色だ。


 そんなちょっと欲望滲み気味に気合の入った衣装に身を包みながら、ドレスより青い顔をする私に、控え室を訪れたドールスは呆れ顔だった。


「お前、自分で計画したのにそんな調子で大丈夫か?」


「大丈夫なわけ無いでしょ……でもやるわよ、やってみせるわよ」


 本音と虚勢を同時に口に乗せると、ドールスがやれやれと肩をすくめ、ユベルと令息たちの様子を見に行くと部屋を出ていった。

 そんなドールスとほとんど入れ違うようなタイミングでノックの音がした。私がどうぞと促すと控え目にそっと扉が開き、ふわりと桃色の髪を揺らした見覚えのある美少女が現れた。


「……マリー様」


 激しい既視感に思わず反応が遅れたが、マリーはわずかに首を傾げただけだった。


 ……びっくりした。頭痛こそなかったけれど、ゲームのスチル通りの姿を目の前にすると反射的に身体が強ばる。攻略対象や悪役令嬢の面々は見慣れてきたけれど、主人公であるマリーはゲーム内では基本的に立ち絵が登場しない。だから普段の格好は見慣れていても、イベントスチルで見たのと同じ姿で突然目の前に現れると、記憶がざわついて妙に落ち着かない気持ちになる。


「あ、あの、どこかおかしいでしょうか……?」


「いえ、よくお似合いですわ。殿下もお喜びになるでしょう」


 攻略対象と初めて手を取り合って踊るシーン、ゲーム中盤の見せ場であるイベントスチルのためにデザインされたドレスなのだ、似合わないはずがない。私やクレアには絶対に似合わないであろう髪色と同じ薄桃色の少女趣味なドレスも、彼女が着ればそれはサクラかコスモスかという清楚さだ。主人公補正というやつはこんなところでまで働くのか、と感心と共に呆れる。


 とはいえ、ゲーム通りの彼女を突然目にした驚きで緊張はすっかり吹き飛んだ。こっそり感謝しておこう。


「それで、わざわざ私の控え室まで何かご用ですの?」


「あ、いえ……その、一人で待っているのが、なんだか落ち着かなくて」


 恥ずかしそうに微笑む顔は、言われてみれば確かにいつもより少し強張って見える。彼女の方も多少なりとも今日の舞台に緊張しているらしい。まぁ、矢面に立つのはユベルになるだろうけれど、彼女にはその隣にはいてもらうことになる。加えて単純に夜会やパーティーにも不慣れな彼女は緊張も不安も大きいのだろう。


「クレアラート様は、大丈夫でしょうか」


「…………」


 私にとっても気がかりだが、それに対する解答を私は持ち合わせていない。マリーも答えを求めての言葉ではなかったのか、不安げに視線を彷徨わせるだけでそれ以上続けようとはしなかった。

 あの日、中庭から追いかけた先で私はクレアに「信じて」と言った。彼女がそれをどう受け止めたにせよ、私には今日の計画を成功させる以外の道はない。だからやることも変わらない。


 それでも、そんな現実的な問題とは別のところで、あの言葉をクレアがどう受け止めたのかが気になっている私がいる。


 信じて、という私の気持ちは果たしてどこまで真っ直ぐに彼女の胸に届いただろうか。彼女の心の中で言葉が屈折してしまえば、私の言葉がクレアを追い詰めてしまう可能性だってある。でも、たとえその不安が拭えなくても、私があの子の手を取る未来を諦めていないことだけは、言葉にしておきたかったのだ。


「……マリー様」


「はい?」


「すべてが上手くいったとして、クレアは私を許してくれるかしら……?」


 クレアを救うと決めていた。それは記憶を取り戻した日から、ずっと変わらない。

 けれど今の私の本音を言うとしたら、それだけでは満足できない。クレアが破滅の未来を回避して、この世界のどこかで幸せに笑っていればいい、なんて。そんな清らかな気持ちではいられない。


 私はクレアが欲しい。彼女の幸せが、他の誰でもない私の隣にあればいいと思う。


 アニーに気持ちを告げられた日、私は自分の気持を捨てないと決めた。けれどあの時はまだ、それでもクレアが幸せになるためなら、この気持は捨てずとも隠し通そうと思っていたのに。


「私はクレアを救いますわ。貴女や殿下に汚れ役を押し付けるのですから、せめて今日の勝負をやり遂げる意思は変わりません。でもその先、すべてが終わったその後、もしもクレアが私を許してくれなかったら……私は、どうすればいいのでしょう」


「エルザ様……」


 クレアの隣に、もう私の居場所がないとしたら。私はこの先、何を支えにすれば生きていけるのだろう。そんな私の不安を呆けたような顔で見ていたマリーはやがて、くすりと小さく笑った。


「な、なにを笑っているんですか!」


「ふふ、ご、ごめんなさい。まさかそんなことを心配しているなんて思ってなくて」


「小心者で悪かったですわね! 大好きな人に嫌われているかもと思ったら、誰だって不安になりますでしょう!」


「いえ、そうではなくて……私には、心配するまでもないことに思えたものですから」


「……へ?」


 くすくすと漏らしていた忍び笑いを引っ込めて、主人公らしいキレイな微笑みを浮かべたマリーが柔らかな声で言う。


「確かに、クレアラート様はプライドが高い方ですし、今回のこともお怒りになられるかもしれません。でもきっと、それだけですよ」


「それだけって……」


「はい。勝手な真似をって怒って、拗ねて、きっとそれだけです。エルザ様が隣にいれば、すぐに笑顔を取り戻しますよ」


 保証します、とまで言い添えられる。確信に満ちたその言葉には不思議と実感が籠もっている気がした。


「……どうして、そう思うんです?」


「私がそうですから。ユベル様や、大事な家族や……先を行くライバル。そんな大切な人たちを心底恨むなんて出来ませんよ。その方がすぐ近くにいたらなおさらです」


 だって、と桃色の花のような少女は笑う。


「隣にいるだけで笑顔になれる、それが大好きってことですから」


「…………」


「なるほど、確かに」


 返す言葉が見つからずに黙り込んだ私の隣でアニーがふむふむとしきりに頷いていた。


 クレアはきっと、今も私を好きでいてくれる。でなければきっと、あんなに頑なに顔を合わせることを拒んだりしない。あの扉を隔てるという拒絶の形は、彼女にとってまだ、私という存在が大きいことの証だ。

 だとしたら、マリーの言葉を信じるなら、彼女はもう一度、私の隣で笑ってくれるだろうか。


「……ふふ、なんだか安心しました」


「な、何がです?」


 すっかり緊張の解けた顔で笑うマリーに聞き返す。


「私、今日の計画がうまくいくか、ずっと不安だったんですけど……エルザ様はとっくにその先の事を考えていたみたいですから。今日の失敗なんて、はじめから考える必要はなかったんですね」


 言われてみれば。クレアに「信じて」と告げたあの瞬間から、私の頭に「失敗」の文字はなくなった。クレアに信頼を求めたのだから、それに値する成果を上げるのはもう、私にとっては決定事項だ。


「……当たり前でしょう。他でもない、完璧令嬢の私が動くのです。失敗なんてありえませんわ」


「ええ、そうですね」


 嬉しそうにマリーが頷く。

 大好きな少女と笑い合う未来を、目の前の彼女が保証してくれた。主人公が信じるのなら、私もその未来を信じよう。


「お嬢さま、そろそろ時間です」


 部屋の時計を一瞥して言ったアニーに頷いて立ち上がる。

 クレアの手を取り、並んで歩く。そんな未来を夢で終わらせないために。私は決戦の舞台へ向かうべく、控え室を後にした。


 パーティーが、始まる。

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