if : 女神様がみてる(かもしれない)

※クライマックス前の骨休め回ですが、今回は完全に作者の趣味丸出しの某乙女姉妹学園もののパロディです。元ネタをご存知の方は誰が何色の薔薇か想像しながらお楽しみください。


* * *



 王立ヴァークラルト


 もとは貴族のご令嬢のためにつくられたという、伝統あるこの学院も、現在ではその門戸を大きく開き、広く庶民の女性たちをも迎え入れていた。

 敷地内に大きな教会を有することからも分かる通り、この学院は王立を謳ってこそいるが、運営は主には聖教会の管轄であり、それが故に、身分の差別なく大勢の学生を受け入れるように変わっていったのである。


 そんな学院には学生たちの自治組織である生徒会、通称「白百合会」が存在する。先代からの指名性によって続く白百合会のメンバーは学院に通う少女たちの憧れの的であり、中でも会長、副会長にあたる三人を百合さまとして学院の華形と敬った。

 少女たちは憧れと敬愛を込めて白百合会のトップたちをこう呼んだ。


 白百合のお姉さま方、と。



* * *



「ど、どうしてですのお姉さま!」


 白百合会の拠点である百合の館に、淑女の学院には似つかわしくない金切り声が響き渡った。


「……大声を出さないでくださいな、ミリー」


 金切り声が頭を揺らしたのか、軽く頭を押さえながら会長席で呻くようにそう言ったのは、当代の白百合会長、クレアラート・エルトファンベリアである。


「納得できませんわ! お姉さまの妹になるのは私と、お約束したではございませんの!」


「約束って、貴女が盛り上がっていただけではありませんの……」


「そんな! だからって私が入学してくる前にこんな、どこの馬の骨ともしれない女を妹に選ばれるなんて!」


「まぁまぁミリーちゃん。クレアだって先代のお姉さまから継いだ白百合会に空席を目立たせたくなかったのよ。ただでさえ今は三本の百合の一つが空いているのだし」


 興奮するミリーことミリエール・リュミエローズを笑顔で諌めるのは三人の百合さまの一角を担う、カトレア・ツェレッシュ。


「それにエルザさんは侯爵家のお嬢さまですから、馬の骨というのはちょっと……」


 そう言って控え目に苦笑したのはマリーナ・ルクレ。彼女自身は庶民の出であるが、卑屈になることなく、それでいて貴族の令嬢たちを立てることも忘れない芯の通った振る舞いから貴族、庶民双方の一般生徒に愛され、時期白百合会長と目される有望株である。


「えーと……わ、私のために争わないで?」


「お姉さまのためですわ!」


「ミリー、貴女のお姉さまは私ではありませんのよ」


「それは……っぐ、ぐぐぐ」


 ぎりぎりと悔しさに歯噛みしながらミリーに嫉妬と怨念のこもった視線を向けられて困り顔をしてみせたのは、現白百合会長クレアが――つまりとして面倒を見ている、エルザベラ・フォルクハイル侯爵令嬢だった。


「あの、お姉さま。私はその、気にしませんよ? ミリーは確かに私の妹ですが、彼女が慕い、敬愛しているのはお姉さまですわ。既に私という妹がいたから、白百合会に入るためにやむを得ず私の妹になっただけですし」


「あら、馬の骨のくせに話がわかるではありませんの」


「ミリー」


「ううっ」


 ピシャリとクレアに名前を呼ばれて、調子づいていたミリーがしぼむ。クレアはふう、とため息をつくと会長席から立ち上がり、会話に加わりながらも書記として議事録を綴じる作業を止めていなかったエルザに歩み寄る。


「エルザ」


「は、はい、お姉さま」


 姉と慕う少女に直接声をかけられて、わずかに緊張を滲ませた声でエルザは答える。緊張でこわばった可愛い妹の頬にそっと手を添えながら、クレアはカトレアたち付き合いの長い友人にも滅多に見せることのない蕩けるような微笑みを浮かべながら諭すように言う。


「貴女は私の自慢の妹ですのよ。ですから、そのように自分の価値を下げるような物言いはおやめなさいな。貴女を妹に選んだ私まで、悲しくなってしまいますわ」


「そ、そんなつもりで言ったわけじゃ」


「なら、私の妹として胸を張っていなさい。貴女は間違いなく、このクレアラート・エルトファンベリアがたった一人見初めた、大切な妹なのですから」


「っ……は、はい、お姉さま」


 ぽっと頬を染めて頷く妹にひとまず満足したのか、クレアは名残惜しそうにゆっくりとその頬から手を離すと会長席に戻り、何事も無かったかのように積んであった書類に目を通し始めた。


「ほうほう、ああいうのもいいね。たまにはあたしたちもやってみる?」


「もう、お姉さまはすぐそうやって影響を受けるんですから。なんだかアニエスさまみたいです」


「えーあたしあんなに傍若無人じゃないよ?」


「……?」


「うん、ごめん、あたしが悪かったから。だからマリー、一応姉である私にその「何言ってるのこの人」みたいな純粋な疑問の目を向けるのはやめて」


 アニエス、というのは卒業した先代の百合さまの名前である。彼女にも妹にあたる後輩はいたのだが、学年がエルザと同じ、クレアたちより一つ下ということで会長には指名しなかった。そしてクレアかカトレアか、という二択の末に会長としてクレアが指名されたのである。


 優秀な人物ではあったのだが……いささか奔放がすぎる部分もあった。表情が変わらないので大真面目なのか冗談なのかさえわかりにくく、白百合会のメンバーは事あるごとに彼女の確信犯めいた冗談に振り回され、何かと手を焼かされていたのである。


「ち、ちょっとお待ちになって! どうして「話は済んだ」みたいな空気になってますの!」


「あら、話は終わりましたでしょう? 私の妹は後にも先にも一人だけ、私自身で選んだエルザ以外にはいませんわ」


「ですから、それには納得できないと私は」


「ミリー、貴女、私の選んだ妹に文句があるのかしら?」


「そっ――それ、は」


 クレアに凄まれて、ミリーが半歩後ずさる。単に気圧されただけではない。何よりもミリー自身が、自分の言っていることが筋の通らないものだと理解しているが故の後退だった。


「……っ、クレア姉さまの、ばかっ!」


「あ、ちょっとミリー! お待ちなさい!」


 クレアの制止も聞かず、ミリーは癇癪を起こした子供のような罵倒と共に身を翻すと音を立てて飛び出して行ってしまった。


「み、ミリーちゃん!」


 慌ててマリーが扉に駆け寄り外を覗いたが、すぐに首を振って戻ってきた。


「校舎に駆け込んでいってしまいました。行き先がわからないと追いつくのは難しいかと……」


 貴族からの出資が潤沢なのをいいことに増改築を繰り返した結果、迷宮のようになっている本校者の構造を知っている面々はなんとも言えない溜息をつく。会長でありいわば姉妹の長姉であるクレアが「放っておきなさい」と言えば、少なくともこの場では話は終わったものとみなされた。

 ただ一人を除いては、だったが。


「……じゃあ私、エーラ先生にハンコもらいに行ってきますね」


 そう言ってそそくさと席を立ったのはエルザだ。彼女自身「一応」と枕につけてはいるが、飛び出していったミリーの姉でもある。

 かちゃん、と扉の金具の音がわずかに鳴るだけの静かな動きで扉を開閉したエルザの気配が遠ざかっていったのを確認してから、カトレアは澄ました顔で書類に目を落とすクレアを一瞥する。


「クレアも追いかけなくていいの?」


「何のことかしら」


「それ、逆さまだよ」


「…………」


 無言で手元の書類の上下を入れ替えたクレアを見て、カトレアとマリーは素直じゃないんだから、と苦笑し合った。



* * *



「やっぱり、ここにいたのね」


 職員室できっちりハンコを貰った帰り道、寄り道にと立ち寄った温室の隅で小さくなった背中に声を掛けると、びくっと彼女の後ろ姿が反応した。


「……エルザさま」


「お姉さまとは、呼んでくれないのね」


 そう言って薄く微笑みながら、エルザはミリーが縮こまっていたベンチに二人分程度距離を開けて腰掛ける。会話はできるがお世辞にも近いとは言えない距離。それははそのまま二人の関係を表しているように見えた。


「どうして、追いかけてきたんですの」


「私は貴女の姉だもの」


「フン……そんなものは形ばかりだと、先程貴女もお認めになったではありませんか」


「え? 私そんなこと言ったかしら?」


「言いましたわ! やむを得ず妹にしたって」


 首をかしげるミリーにああ、とそのことを思い出したエルザは手を打った。そして首を横に振る。


「違うわ、私は貴女が私の妹になったのは、貴女の希望じゃなかった、って言っただけよ」


「何が違うっていうんですの」


「私は、ミリーが妹だったらいいなって思ったのよ。他の誰かじゃなく、貴女がいいと思ったから、貴女を妹に選んだの」


「なっ……」


 予想外だったのか、ミリーがカァッと頬を染めて口をぱくぱくさせる。


「そ、そんな調子のいい言葉には騙されませんわよ!」


「騙すって」


 そんなことしないのに、とエルザが口を尖らせる。


「……ミリーは、やっぱりクレアさまの妹になりたかったのよね」


「当たり前ですわ」


 そうよね、とエルザはその返答に溜息をこぼす。

 クレアとミリーに学院入学前から付き合いがあったことはエルザも知っている。ミリーがクレアを慕っていることはもちろん、そんな年下の少女をクレアが妹分として可愛がっていたことも、クレア自身の口から聞いて知っていた。


「……貴女は?」


「ん?」


「貴女はどうして、私を妹に指名したんですの?」


 そういえば、といった口調でミリーが尋ねる。今さらな質問だったが、クレアの妹という地位に執心だったミリーにとっては本当に考える余地もなかった部分だった。


「貴女が、本当にクレアさまを好きだったからよ」


「当てつけですの? フン、やることが小さいですわね」


「違うわよ。白百合会の会長、全学生の憧れの的、そういうクレアさまだけじゃなくて。努力家でいつも自分の役目に真っ直ぐな本当のクレアさまを、貴女はちゃんと好きだったから。そんな彼女を大好きになった人となら、一緒に頑張りたいと思えたのよ」


「…………」


 呆気にとられた様子のミリーに気づかず、エルザは気恥ずかしそうにうっすら頬を染めてそう言った。


「……貴女、相当なお人好しですわね」


「初めて言われたわ」


 真面目な顔で言うエルザに今度はミリーが溜息をつく。とはいえそれは、毒気を抜かれたような、どことなく穏やかなものだった。


「もっと貴女に憧れている素直な後輩なんていくらでもいたでしょうに……」


 呆れを含んだその言葉に、エルザはそうじゃないと首を振る。


「素直じゃなくてもいいのよ。私に憧れる必要もないわ。大事なのは、その人を私が好きになれるかどうか。自分の後を任せたいと思えるかどうかだもの」


「その言い方だと、随分私を高く買ってらっしゃることになりますわよ?」


「その通りだもの、仕方ないわ」


 やっと気づいたのね、と邪気のない顔で笑まれては、さすがのミリーも捻くれようがない。


「きっかけは同じ人への憧れだったけれど、そのために努力する真っ直ぐな貴女を、近くで見守りたいと思ったのよ。でもそれは私の我が儘。だから私を姉と呼ぶことを強制はしないわ。ただ、私が貴女を妹と思うことだけは許してほしいの」


 ここへ来たのはそれを伝えたかったからだ、とそれだけ言って、エルザはミリーの返事を待たずに立ち上がった。


「私は百合の館に戻るわ。落ち着いたら、ミリーも戻ってきて。クレアさまも心配しているわ」


「…………」


 顔を逸らしたミリーの表情は、エルザの側からは窺えない。半ば一方的なものとはいえ、姉妹の契を交わしたのだ。せめてもう少し心を開いてほしいな、とそんなことを考えながら温室を後にしたエルザは見落としていた。

 顔を背けたミリーの耳が、ほんのりと赤く色づいていたことを。



* * *



「ハンコひとつ貰ってくるだけなのに随分遅かったですわね。しかも、貴女が来たのは職員室とは反対方向のように見えましたけれど?」


「お姉さま」


 百合の館の戸口に背中を預けて待ち構えていたクレアに、エルザは足早に近付く。


「すみません、少し寄り道を……」


「寄り道というには随分遠回りだったのではなくて? まだ仕事はいくらでも残っていますのよ」


 いつもより棘のある物言いに思い当たる節があって、思わずエルザはそのまま口に出してしまった。


「……お姉さま、もしかしてミリーのフォローを私に任せたことを気になさってるんですか?」


「なっ」


 途端に動揺を顔に出してしまうクレアを見てエルザは「やっぱり」とひとりごちる。


「ち、違いますわ! あの子が私を追いかけてくるのはあの子の勝手ですし、それを妹に選んだのも貴女の勝手ですもの。ミリーは貴女の妹なんですから、私が口を出す問題でもありませんし、気にしてなんているわけがありませんわ!」


 つまり自分を追いかけてきた妹みたいな女の子を突き放したことも、そのフォローを妹である私に任せざるを得なかったことも、全部気にしているということである。完璧に見えて意外と不器用で意地っ張りなお姉さまの姿に、エルザはくすりと笑みをこぼした。


「お姉さまのそういうところ、私大好きですよ」


「〜〜〜、違うと言っているではありませんの! 聞いてますの、エルザ!」


「はい、もちろん。大事なお姉さまのお言葉ですから、聞き逃すはずがありません」


「だったらその笑顔はなんですの! ちょっと、その微笑ましい顔をやめなさい!」


「すみません、本音が隠せない顔でして」


「ちっとも謝ってませんわね!?」


 噛み付くクレアをかわいいなぁと思いながら宥めつつ、エルザはクレアの背を押して館の中に入り、二階の執務室へ向かう。


「っ、もう、エルザ! 止まりなさい!」


「はい」


 強い口調で言われて、エルザはクレアの背を押していた手をパッとはずす。二人は階段の踊り場で足を止め、くるりと振り返ったクレアはじっとエルザを見つめた。


「お姉さま? どうしまし――!」


 ぐいっと手を引かれ、そのままエルザはクレアの胸元に抱き込まれる。年上ながら自分よりいくらか小柄なお姉さまの胸に抱かれたまま、エルザはしばし状況が飲み込めずぽかんと呆けてしまっていた。


「……まったく、貴女はいつも勝手ですわ。なんでも自分で判断して、姉の私に伺いを立てたことなんてほとんどありませんもの」


「そんな、ことは。お姉さまの手を煩わせたくなくて……それに白百合会のお仕事ではいつもお世話になっていますし」


「仕事の話ではありませんわ。姉妹としての話ですの」


 姉妹として。その言葉だけで、エルザの胸にじわりと温かいものが滲む。自分を強く抱きしめてくれる眼の前の彼女が、自分を唯一人の妹に選んでくれた。それだけでエルザにとっては十分すぎるほど幸せなのに、これ以上彼女に何を求めろというのだろう。


「貴女にしか出来ないことも、貴女自身がするべきことも、あります。それは理解していますわ。でも、それならせめて姉の私には弱音を吐きなさい。不満を言いなさい。不安を明かしなさい。そうすることは弱さではありませんし、そんなことで私は貴女を負担とは思いません」


 むしろ、とどこか拗ねたような声音でクレアは呟く。


「たまには甘えてもらえないと、姉としての自分が頼りないのではないかと不安になりますわ」


「お姉さま……」


 いいのだろうか、甘えても、頼っても、縋っても。クレアは強いけれど、その強さは脆さと表裏一体であることをエルザはよく知っていた。だから彼女の負担にならないよう、いつも一歩引いて、自分の役目を果たすことに集中するようにしてきた。


 けれどそんな大切な姉は今、それを寂しいと言った。それでは姉妹として不格好だと。


「……あの、私も抱きしめていいですか?」


「そういうのは口にしないのが淑女の嗜みですわ」


 小さく笑ったクレアの背に、おそるおそるエルザは腕を回す。添えるようにそっと腕が回されると、クレアがエルザを抱く腕にぐっと力がこもった。もっと、と言われた気がしてエルザも腕に力を込め、ぎゅっと強く抱きしめる。


 あったかい、と呟いたのは姉か妹か。

 二人はしばしそのまま、尽きず湧き上がるお互いの熱を交わしあった。



* * *



 執務室へ戻って三十分ほど。妙に生暖かい目を向けてくるカトレアとマリーと、そして何も知らない様子であとからやってきたリム――卒業生アニエスの妹で、エルザとは同級生――の不思議そうな視線からエルザとクレアが必死に意識を逸らしているとトントンと控え目なノックの音が響いた。


「どうぞ」


 クレアに促されて、扉が細く開き、気まずげに視線を下げたミリーが顔を出した。


「……あの、私」


「遅かったわねミリー。貴女のお姉さまがお待ちかねですわよ」


 何か言いかけたミリーを遮って、クレアがエルザに視線を向ける。姉と呼ばなくてもいい、と言ったばかりのエルザはその物言いに慌てて「いえっ、あの」と声を漏らしたが、反論する前にミリーがつかつかと険のある歩調で歩み寄ってきた。


「…………」


「あ、あの、ミリー? さっきも言ったけれど、無理に私を姉と呼ぶ必要は――」


「お手伝いしますわ、指示をください。


「――へ?」


 ぽかんと口を開けて固まったエルザに焦れたようにミリーがすっと手を差し出す。


「議事録の整理くらいなら私がやります。お姉さまは少し休んでください、今日もずっと書類ばかり触っておいででしょう。……お茶が冷めていますわね、淹れなおしてきますわ」


 有無を言わさずエルザの手元の紙束と、ついでに冷めきったお茶の入ったカップを奪い取ったミリーは、書類を空いている机に置くと隣接した給湯室に引っ込んだ。気を利かせたのか、庶民出身で火起こしにも慣れているマリーがそっと後に続いた。


「お姉さま、いまの……」


「なかなか気の利く妹を持ちましたわね。さすが私の妹ですわ」


 書類で半分以上顔を隠した不自然な姿勢で言ったクレアの言葉に、エルザはゆっくりと実感が湧いてくるのを感じる。

 お姉さま、と呼ばれた。どうやら幻聴じゃないらしい。


「……えへへ」


 自然と頬が緩む。そんなエルザを書類の陰から愛おしげに見守るクレア。そして給湯室で赤い顔を冷まそうと躍起になっているミリー。

 いつの間にか給湯室を覗いて戻ってきたカトレアはそんな三人を見て。


「やー、青春だなぁ」


 呆れと親愛のこもった声で呟くのだった。

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