無精教師と幼馴染は苦労性
「ああナエラディオ、ちょうどいい」
「何です?」
珍しい人に声をかけられて俺は足を止めた。最近決まって昼休みにこそこそ集まっているエルザたちがとうとうユベルまで巻き込み始めたと聞いて様子を見に行こうとしていたのだが。
「悪いな、少し時間をもらえるか? 二、三聞きたいことがあるんだ」
「ええ、構いませんよ」
エルザの方は後で本人に聞けばいいだろうと頷くと、声をかけてきた人物、ヴィルモント・エーラ教諭は「助かる」と疲れた様子で笑った。
「お疲れのご様子で」
「胃を痛める機会には事欠かないものでな」
平民でありながら貴族を教え、国王陛下との繋がりが噂されるとはいえ明確に後ろ盾といえるほどの支援もなく一人でこの学院に出入りしていればそうもなるだろう。
その上教師として実に優秀なものだから教え子の中には卒業後すぐにそれなりの地位に就く者もいて、彼らの恩師として夜会や茶会に招かれることも多いと聞く。そういう場には当然学院での彼を知らない貴族連中の席もあるだろうし、新たな軋轢を生みかねないはずだが……のらりくらりと躱し続けるその技量はぜひとも見習いたい。
「立ち話もなんだな、少し場所を変えるか」
そう言ったヴィルモント教諭に続いて歩けば、案内されたのは彼の研究室だった。
学院に勤務する教諭たちは目の前の例外的人物を除いて全員が貴族で、教員としての仕事以外にも領地運営に関わっていたりあるいは別の事業を動かしている者もいる。教諭職に満足していない人物の中には副業ではなく本業として歴史や薬学の研究論文を発表し、その片手間に学院で教鞭を執る者もいる。
そうした事情から教諭陣にはそれぞれ個室が提供されており、学生たちは研究室や執務室という名で認識していた。
「掛けてくれ。お茶は?」
「お気遣いなく」
勧められたソファに腰掛けながら俺がそう答えるとヴィルモント教諭は「そうか」とそのまま自分も席に着いた。社交辞令を社交辞令として受け流すのは嫌いじゃない。こちらも遠慮はいらないと思えるから気が楽だ。
もっとも、これで相手がクレアラート嬢だったりした日には学院を追い出されても仕方ないと思うが。まぁ、この教諭ならあの令嬢相手でもやりそうではある。
「エルザベラ嬢は元気かね?」
「……別段、変わりはないと思いますよ」
クレアラート嬢との間に溝が出来て最近落ち込んでいるのは知っていたが、わざわざ口にするようなことでもないだろうとそれについては存ぜぬで通した。俺の判断を知ってか知らずか、彼は「そうか」とだけ頷いた。
「クレアラート嬢も変わりないか?」
「……さて。俺は彼女とは個人的な付き合いはありませんから。そういう話ならエルザに聞いたほうがいいんじゃないですか?」
適度に誤魔化しつつ教諭の様子を観察する。彼に限って用もないのに生徒を研究室にまで呼び出すなんて真似はしないだろうし、何か目的があるはずだが……エルザとクレアラート嬢に関して何か動きがあったのだろうか。
マリーナ王女への嫌がらせは公然の秘密となっているが、貴族同士のやっかみと思えば家同士の衝突にまで至っていない現状はまだ可愛いものだ。当事者である公爵家ないしツェレッシュ家が動くならともかく、およそ貴族政治というものから最も距離を置いているであろうヴィルモント教諭がわざわざ介入するような事態には至っていないはず。だとしたらこの呼出しは嫌がらせの件とは無関係か……あるいは、当事者である両家のどちらかが教諭に働きかけたか、だろうか。
「エルザたちが、どうかしたんですか?」
「いやなに、さるお方が学院に通う娘の怪我を心配していてな。その娘というのが二人と親しいそうでね、少し様子を聞いてみたかっただけだ」
「……そうですか」
あからさま過ぎて怪しくもあるが、文字通りに受け取るならツェレッシュ家から王女への嫌がらせについて何かしらの反応があったのだろう。正式な学院への抗議ではなく、あくまでも教諭個人への相談として持ち込まれたから名前を出して表沙汰にはできない、と。
気になるのはその状況でエルザやクレアラート嬢本人ではなく俺に接触してきたことだ。事実確認などするまでもなくクレアラート嬢の関与は明らかで、学院に出入りしていればそこに疑問を挟む余地はない。何しろ彼女自身が敵意を隠そうともしていないのだ。公爵令嬢という立場でなければとっくに厳罰を下されているくらいの状況である。
当事者に注意を促すのではなく、わざわざ問題の中心であるクレアラート嬢や王女殿下とは少し距離のある俺に接触してきたことには、何かしら狙いがあるに違いないのだが……それを見極めないことには迂闊に口も開けないな。さすがにこんなことでエルザに不利を背負わせたくはない。後で何を言われるかわかったものじゃないし。
「事態の収拾を俺に期待しているなら、さすがに過大評価ですよ。俺にはあの二人をどうこうできるほどの話術なんてありませんし」
俺がそう言って肩を竦めると教諭はニヤリと楽しげに笑った。何を問題にしているかは互いに理解している、という前提は理解してもらえたらしいが、それだけで俺を解放する気はないようだった。
「俺としても事を荒立てたいとは思っていなくてね。なるべく双方納得のいく形で調停といきたいのだが、エルザベラ嬢はともかく、クレアラート嬢は俺が話を聞こうとしても相手にもされないだろう」
「それは俺もですよ」
「そうかな、お前はエルザベラ嬢の昔なじみだろう。彼女も邪険にしないのでは?」
キラリと教諭の目が光る。結局はそれが狙いらしい。
ツェレッシュ家とエルトファンベリア家の対立、となればパワーバランスは明らかだ。事態を丸く収めようと思うなら、圧倒的優位であるエルトファンベリア側を説得するというのは最低条件になる。幸いと言うべきか、エルトファンベリア本家ならびに公爵自身はこの件について動く様子はなく、クレアラート嬢さえ説得できれば解決の目もある。……ユベルも含めた三人の当事者のうち最も説得が難しいのが、そのクレアラート嬢なわけだが。
穏便に解決するためにはユベル、マリーナ王女、クレアラート嬢の全員と交渉しなくてはならないわけだが、クレアラート場が交渉のテーブルに着くことさえ拒みかねない状態では「穏便に解決」なんてのは空論だ。
そのクレアラート嬢に最も影響力を持つのが我らが幼馴染のエルザベラ・フォルクハイルだが、わかりすぎる程にクレアラート嬢に肩入れしている彼女では判断が曇るかもしれない、と危惧されたのだろう。そこで、エルザを通じてクレアラート嬢とも交渉の余地があり、一方でユベルとも友人関係にある俺を交渉役に立てたい、とそんなところだろうか。
唯一俺と接点のないマリーナ王女はそもそも今回の依頼者であるツェレッシュ家の人間だから、教諭本人が対応すればいい。まぁ、用意出来る中では悪くない割り振りなのだろう。……厄介な部分が八割方俺にのしかかっている事に目を瞑ればだが。
「……生憎ですが買いかぶりですよ。残念ながらクレアラート嬢に動いてもらえるほど俺は信用されてません」
「そうか。まぁ彼女が気を許していたのはエルザベラ嬢くらいだからな、仕方ない」
そこまでわかっていながらなぜ俺に話を持ちかけたのか、と思わないではないが、それでも俺くらいしかアテが無かったというのが実際のところかもしれない。エルザもクレアラート嬢も顔は広いし信用できる人脈もあるが、反対に彼女たち「を」動かせる人間となると皆無に等しい。
「やむを得ん、解決策についてはこちらで再考するか」
さほど気落ちした風でもなく、ヴィルモント教諭はあっさりと俺を交渉役に立てることを諦めたようだ。食い下がられたらどうしようかと身構えていただけに少々拍子抜けだ。
「その様子だと、初めから俺を説得できるとは思ってませんでしたね?」
「積極的に引き受けたい役割でも無いだろうからな。それにクレアラート嬢を相手にするのが難しいのは、俺でもわかる。……何か役立ちそうな情報があったら報告してくれると助かる」
「まぁそれくらいなら。でもあまり期待しないでくださいよ」
「大いに期待しよう。なにせ俺一人の知恵ではとてもどうにかなる気がせんのでな」
そう言って盛大に溜息を漏らす教諭にこちらは苦笑で返し、軽く挨拶をして部屋を出た。
教室棟へ戻る廊下を一人で進みながら、さてどうしたものかと思案する。
ここしばらく、クレアラート嬢とマリーナ王女の問題についてエルザが頭を悩ませていたのは知っている。クレアラート嬢に距離を置かれたからか、最近では王女と何かコソコソ動いている様子なのもわかっていた。
具体的な案があるのか、それともまだその段階ではないのかわからないが、おそらくエルザも教諭と同じでなるべく事を荒立てず――つまりクレアラート嬢が咎められない形で――解決する方法を模索しているはずだが……教諭と協力できるかどうかは微妙なところだ。
両者ともに事態を収めたがっているとはいえ、その立場は微妙に異なっている。教諭はツェレッシュ家からの依頼で動いている以上、優先されるのは王女の立場となり、加害者であるクレアラート嬢には何らかの咎が及ぶ可能性は否めない。特にエルトファンベリア公爵が動かない以上は、学院内のこととして謹慎程度の処罰は十分に考えられる。
一方のエルザは恐らくだが、クレアラート嬢が加害者である、という立場を明確にすることを嫌がるだろう。両者納得の上でこれまでの諍いを黙殺する、それがエルザが望む形に最も近いもののように思える。
要するに両者の間で「穏便に」の定義が違うのだ。
教諭の側は問題の大きさに相応の罰でもって両者を納得させようとしており、エルザはそもそも問題そのものを無かったことにしたがっている。
俺個人の意見を言わせてもらえるなら、どちらかと言えばエルザのやり方に賛成なのだ。例のダブルデートでのクレアラート嬢を見ていれば、彼女が悪人であるとは誰だって思うまい。そんな人間が罰されるのは、心情として望ましくはない。
とはいえ、これだけ悪事が周知されている状況で一切お咎め無しとするのは難しかろう、とも思う。後に尾を引かない程度の処罰で済むのならそれが落としどころでは、という教諭の考えも理解は出来る。
「……とにかく、エルザに話を聞かないことには始まらないな」
交渉役を断ったところで結局両陣営の板挟みになる自分の性分に苦笑しつつ、それでもまぁ、大事な幼馴染の一大事を無視するわけにもいかないよな、と。そんな複雑な思いを込めたため息を吐いて、俺は放課後にでもエルザを捕まえて話を聞こうと決めたのだった。
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