if : フォルクハイル三姉妹
百合成分補給のためのif回です。
* * *
私はエルザベラ・フォルクハイル、15歳。ちょっとばかし前世の記憶を取り戻してしまっただけの、ごく普通の侯爵令嬢である。
私が取り戻した前世の記憶によれば、私が暮らすこの世界は前世の私がズブズブにはまり込んでいた乙女ゲームの世界……の、はずなのだけど。
なんだか少し、ゲームの記憶と違っているのだ。
「ああ、エルザ姉さま、こんなところにいましたの」
名前を呼ばれて振り返れば、前世の記憶でよく見知った顔――よりも少しだけ幼い少女が立っていた。青いドレスと派手な巻き髪、吸い込まれるような海色の瞳は前世の記憶にある通りなのだけど、くりっと大きな目にうっすら紅色の頬はこころなしかふっくらしていて、私の知る彼女の顔立ちより幾分幼く見える。
というか「見える」ではなく実際に幼いのだ。顔立ちだけでなく身長も私より頭一つは小さい。それもそのはず、記憶の中のゲームには15歳の姿で登場した彼女は、ここではまだ11歳だ。
彼女はクレアラート・フォルクハイル。我がフォルクハイル侯爵家の三女であり、私の妹である。……いやいやおかしい。私の前世の記憶では彼女、悪役令嬢のはずだったのだけど。
「今日は私とお出かけの約束ですわ。ほら、はやく支度をなさってください」
「わ、わ、ちょっとクレア、あんまり押さないで」
「姉さまがのんびりしているのがいけないんですわ! 時間は有限ですのよ」
クレアにぐいぐいと背中を押されて自室へ戻ってくる。自分の部屋だからとノックもせずにひょいとドアを開ければ、なぜか室内には人影があった。
「お嬢様方、お揃いで。お待ちしておりました、さあエルザベラ様、ご支度をお手伝いいたします」
メイド服を華麗に着こなした長身銀髪の女性が一流の侍女のように美しく頭を下げて私達を出迎える。いや、だからここ私の部屋なんだけどね?
「……何やってるんですか、ニー姉さま」
「侍女ごっこよ、サマになっているでしょう?」
「なんのために……」
私が呆れたため息をつくと、ニー姉さま――私とクレアの姉であるアニエス・フォルクハイルは無表情のままグッと親指を立てた。いやいや意味わからないってば。
「ニー姉さま、今日は私がエルザ姉さまと約束しているんですの! 邪魔はさせませんわ」
「あら、私はお二人にお仕えするただの侍女です、邪魔なんてしようはずがございません」
「付き人として付いてくるつもりじゃない!」
クレアの叫びを聞いて「ああそれが狙いか」と得心がいった。フォルクハイル家の長女であるアニエス姉さまは、美しい容貌に完璧な所作と教養、およそ令嬢として完璧でありながら他家に嫁いでいない。既に貴族女性としては結婚適齢期をだいぶ過ぎているにも関わらず、未だに熱心な婚約の誘いも受けているそうだが、全て興味なしと一蹴していた。
以前に理由を尋ねたら「幼い頃に婚約した相手がいる」という返事が返ってきて、この淡々とした姉にもそんなロマンチックな一面があったのかと驚いたものだが……よくよく話を聞いてみると、その婚約相手とはまだ3歳で舌足らずだった私が「ねえさまとけっこんしゅうー!」と姉さまにしがみついた事がある、というなんとも反応に困る話だった。
真面目な顔で「私の生涯のパートナーはあの時決まった……」と宣う姉さまにやめて恥ずかしい、と幼い自分の恥ずかしいエピソードと姉バカという身内の恥を同時に見せつけられて悶絶した。しかもその話を聞いたクレアが「私も! 私もエルザ姉さまと婚約します!」とぴょんぴょん跳ねるものだからもう収拾がつかない。
そんな冗談みたいなことを平気で口にする姉なので、侍女のフリをして付いてくる、というのも冗談ではなく本気でやりそうだと頷けてしまった。
「さぁエルザベラお嬢さま、お着替えを致しましょう。クレアラートお嬢さまは外でお待ち下さい」
「なんでよ! ニー姉さまばかりずるいですわ、私だってエルザ姉さまのお着替えをお手伝いします!」
「いやあの、二人とも手伝わなくていいから」
「おや、ご自分で用意できますか?」
「いや、普通にマリーとリムにお願いするわよ」
私たち姉妹に付いている侍女の名前を出すと、ニー姉さまはニヤリと口端を釣り上げた。嫌な予感がする。
「二人には今日は暇を出しましたよ」
「うそ、なんで!?」
「日々の慰労を込めてですよ。もちろん扱いは有給休暇で、他の侍女たちを埋め合わせに入れる予定もありません。今日一日、私がお二人のお世話をするとお約束しましたので」
フフン、と勝ち誇ったように胸を反らす姉さまに私とクレアは揃って呆気にとられた。私とクレアが出かける約束をしたのはほんの数日前だったのだけど、どうやらニー姉さまはその時から今日の準備に奔走していたらしい。侍女二人に一存で有給を出す、なんて姉さまでもできないはずで、つまりわざわざ侍女長やお父様を説き伏せたということになる。……本当に、そのハイスペックぶりはもっと違うところで発揮するべきだと思う。
「ということで! さ、お着替えしましょう?」
「え、いえあの、姉さま?」
わきわきと指を動かしながら、心持ち息の荒い姉さまがじりじりとにじり寄ってくる。私も少しずつ後退したが、いくら広大な侯爵邸の一室とはいえ部屋は部屋。常識的な広さの一室では私はすぐに壁際に追い詰められてしまった。
「ふふふ、観念なさいエルザ。観念してその美しい肌を私の目に晒しなさい」
「ちょ、姉さま本気じゃ」
「もちろん本気よ。なんならこのまま既成事実まで作ってしまいたいくらい本気」
「シャレになってないってば!」
「シャレや酔狂で言ってないもの」
いつもの姉妹のじゃれ合いだと思ってたのになんか姉さまの目が据わっている。ま、待って待って、もちろん私も姉さまのことは好きだけど、これはそういうのじゃないわよね? 美しい姉妹愛じゃ済まされないってば!
「ちぇすと!」
「おぁっ!?」
突如横合いからのタックルを受けて姉さまが吹っ飛ぶ。タックルをかました張本人、クレアはフンと鼻を鳴らして吹き飛んだ姉さまを見下ろした。
「まったく、強引に迫るなんて淑女のやることじゃありませんわ。そういうのはもっと、こう、雰囲気と気分を大事にして、お互いの気持が高まった時にそっと手に触れるところから始めるものですのよ? そう、例えば二人きりのデートの最中、ふとした瞬間に合わさった視線が絡まって解けなくて、そっと指を絡めたらエルザ姉さまがはにかんでくださって――ああ姉さま、いけませんわ、ここでは人目が……」
「うーん、我が妹ながら重症だわ」
「クレアも姉さまだけには言われたくないと思うわ」
思いっきり反対の壁際まで突き飛ばされたにもかかわらず平然と立ち上がったニー姉さまと二人、ぶつぶつと妄想の世界に浸っているクレアを見て苦笑いする。まぁ、クレアも年頃の乙女だし、ちょっと夢見がちなくらい可愛いものだ。
結局妄想の旅に出たクレアはしばらく戻ってこなかったので、私はニー姉さまの手を借りて外出の準備を整えた。もちろん姉さまの侍女っぷりは完璧で、着替えから髪のセット、化粧に至るまでいつも担当してくれているマリーに勝るとも劣らない仕上がりだ。……本当、なんでこう令嬢としていらないところでスペックを発揮するのだろうか。
* * *
「はい、エルザ姉さま、あーんですわ」
「ほらエルザ、私のも食べて」
「や、あの、私は自分のが、っていうか二人とも人が見てるから……」
城下町に最近オープンしたというスイーツ店にクレアの希望でやってきた私は現在、挟み撃ちに頬を引き攣らせている。
結局侍女姿のままついてきた姉さまを伴った私とクレアは、お忍びということでどこぞの商家の令嬢のフリをして城下の店を一通り冷やかして周り、現在は小休止のためにクレアが厨房の侍女たちの噂を聞いて気になっていたという店でスイーツを楽しんでいた。
前世でいうところのクレープのような、果物やクリームを生地で包んだ甘味を店先のテラス席で頂く、という話になったまではよかったのだけど、注文の品が届くや否や、二人は味見もそこそこに自分の皿から一口大に切り分けたクレープを私の口元に差し出していた。
「ニー姉さま、今日は侍女なんでしょう! 私とエルザ姉さまの邪魔をしないでください!」
「いえいえ、私はただお嬢さまの手を煩わせる事無くスイーツを楽しんで頂こうと思っているだけです。クレアラートお嬢さまもどうぞお気になさらず、ご自分のスイーツをお楽しみになられては?」
「だったら平等に私にも食べさせるべきではありませんの! 見え透いた嘘はおやめになってください!」
「私の指から直接エルザが食べ物を口に運ぶなんて正直興奮するわ」
「素直になりすぎですの!」
そう、クレアは一応フォークに刺した一口を私に差し出しているのだが、ニー姉さまは令嬢にあるまじき手づかみである。姉さまはその気になればマナーも完璧なので今更私やクレアがそれを嗜めるまでもないのだけど……。
「だいたいそんなにしっかり握っていたらエルザ姉さまが食べにくいではありませんの。私のように慎み深くフォークを差し出すべきですわ」
いやまぁ、フォークだろうが手づかみだろうがこんなにぐいぐいと「あーん」を強要するのは慎み深さとは無縁の言動だと思うのだけど。
クレアの指摘どおり親指と人差し指でしっかりと一口大のクレープをつまんだ姉さまはわかってないわね、と首を振った。
「これだけしっかり持っていればこれを食べようとしたエルザは――自ずと私の指も口に含むことになるのよ!」
「な、なん、ですって――!」
「いやいやクレア、そこで『その手があったか』みたいな顔しちゃダメだからね? あれは悪い大人の見本だから真似しちゃダメよ?」
「も、もちろんですわ姉さま! ……と、ところでこのフォーク、なんだか持ちにくいですわね。我が家の食器とは比べるべくもありませんわ、これも庶民の使うものとしては致し方ないのでしょうかね。扱いにくくて仕方ありませんから、仕方ありませんから! お姉さまにこちらを賞味頂くのには手でお渡しするしかありません、わよね?」
早口で言いながらフォークの穴が空いた一切れを放り出して次の一切れを用意すると姉さまと同じくしっかり指で掴んで私の口元に差し出してきた。……わくわくと期待に目を輝かせている。
「さぁ姉さま!」
「ほらエルザ」
「「さあ」」
ずいっと両側から詰め寄られて逃げ場を失う。ああこれ、食べないと終わらないヤツなのね……。諦めに似た心持ちで私はやむなく口を開けて。
「ぁむ。……うん、美味しいわ、ありがとうクレア」
クレアが差し出したクレープを口に含んだ。なるべく気を遣ったもののそれでもクレアの細い指先にわずかに私の歯が触れた時の「んっ」という声は聞かなかったことにした。
私が微笑んでお礼を言えば、クレアはパァッと輝くような笑顔を浮かべた。この年にして可愛いというより美人系の顔立ちのクレアが年相応の笑顔を浮かべる破壊力は凄まじく、私は気恥ずかしくて熱くなった頬を隠すように慌てて顔をそらした。
と、クレアから顔をそらしたその先で。
「……へーぇ」
じとぉ、っとした目でこっちを睨みつけるニー姉さまと目が合ってしまった。
「ほー、ふーん、ああそう。エルザは私よりクレアの方がいいのね、そっかそっか」
「ね、姉さま?」
「別にいいよ? うん、エルザがどっちを選んだってそれはエルザの自由だしね?」
「い、いえあの、これは別に姉さまよりクレアが好きとかではなくてですね?」
二人共大事な私の姉妹である、というのは大前提としてあくまでもまだ幼いクレアと、もういい大人であるニー姉さまのどちらを甘やかすか、というだけのごく自然な話であって、決して姉さまを軽んじたわけじゃ……ともごもご言い募る私に、姉さまのジトッとした目が注がれ続ける。
「まぁ、いいわ」
ふっと、姉さまが発していた圧が消え、私はホッと胸をなでおろした。姉さまは私に向けて差し出していたクレープを無造作にひょいと口に放り込むと――。
「ん」
「んむぐっ!?」
何の予備動作もなく、その唇を私の唇に押し付けた。
「ん、っちゅ、ふむっ、んんっ」
姉さまの口から熱く熱を伴った甘い食感が、私の唇を割って強引に押し込まれてくる。拒めば口端から溶けたクリームが溢れそうで、私はわけも分からぬままに姉さまの口から流れ込んでくるクリームと果汁の波を受け入れ、喉を鳴らして飲み下す。
「んん!? ぷはっ、ね、姉さ」
「ダメよエルザ、こぼれちゃう……ん」
慌てて息を吸い抗議の声を上げた私の口をもう一度塞ぎ、姉さまは先程のひとくちを余すところなく私の口に押し込めようと、クレープの皮さえも器用に舌を使って押し込んでくる。思わずこちらも舌を使って受け止めてしまえば、皮を押し込み終えた姉さまの舌が物足りないとでも言いたげに私の舌を裏側から舐め上げた。
「んひゅ!? っ、むぐ、っは――もう! 姉さま!」
「っあん、もう強引ねエルザは」
「こっちのセリフですよ!」
火照った頬に手を添えて妖しく微笑む姉さまをどうにか引っ剥がして、荒い息を整えながら抗議する。何を考えてるんだこの人は、こんなところで、それも姉妹で。
「だって」
「だってじゃありませんよ! こんなところでこんな、もう、悪戯はほどほどにしてください、クレアも見てるんですよ!」
「……はーい、ごめんなさい。もうしないからそんなに怒らないで、エルザ」
そっと唇に人差し指で触れられて言葉に詰まる。指が触れただけなのに先程の感触がつぶさに蘇って、顔の熱が再燃した。
「……っは!? ちょっとニー姉さま、いくらなんでもやりすぎです! ずるいですわ!」
「ずるいってなに!?」
放心していたらしいクレアが正気に戻ってくわっと姉さまに噛み付いていくが、聞き捨てならない言葉があった気がして慌てて問いただす。
「――だって、いつまでも貴女が私を姉って呼ぶんだもの」
姉さま私も、私も食べさせてあげます! と言いながらクレープを口に含むクレアをやめなさいと必死で押し止める私の後ろで、ニー姉さまが小さく何事か呟いた気がして振り返ったけれど、姉さまは「なぁに?」と小首をかしげながら優雅な所作でクレープを切り分けて口に運んでいた。
私は私で、いまじっと姉さまの顔を見ていたら収まる気配のない胸の動悸を悟られそうで、すぐに目をそらしてしまったけれど。
……美味しかった。
クレープの味か、それとも姉さまの唇の味か。ふいに頭に浮かんだ感想の意味するところから必死に目をそらしつつ、私はクレアをなだめるのだった。
* * *
「おはようございます、お嬢さま」
「……おはよう、アニー」
今日に限って妙にハッキリと目が覚めて、いつものように私を起こしに来たアニーの顔をまじまじと見つめてしまう。何か? と小首をかしげたアニーに慌ててなんでもないわと首を振った。けれど次の瞬間、気づけばまた私の目はアニーの顔、というか唇に吸い寄せられてしまう。
(っ、もう、あんな変な夢を見るから!)
夢である以上は誰かのせいにするわけにもいかず、強いて言うなら自分の頭のせいでしかないそれにやり場のない憤りを覚えて悶々とする。何度目をそらしてもアニーの唇が気になって仕方ない。
「……やっぱり、甘いのかしら」
思わず小さく漏れた恥ずかしい呟きに、カーテンを開けていたアニーがくるりと振り返った。
「お試しになられますか?」
「え」
早朝の爽やかな陽光を背に、唇に人差し指を添えたアニーがぱちりとウインクを飛ばす。夢に見た彼女の唇の感触がまるで現実のように思い起こされて、私は全身が激しく熱を持つのを感じた。あわあわと震える私にアニーはくすりと笑うと、年の離れた妹にするようにそっと私の頭をひと撫でして「ではまた後ほど」と一礼して去っていった。
……夢だろうと現実だろうと、絶対に彼女には敵わない。そう実感した私だった。
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