ライバル令嬢、観念する

 確信いたしました、とマリーは言った。


 何を、とは口にしなかったが、この場に集った全員が彼女の確信した何かがこの話し合いを大いに左右する重要なものになると感じていた。前回、リムちゃんの協力を取り付けた話し合いの折にもマリーがこぼしていた「確証のないクレアの動機」についてか、或いはそれに関わる何事かについて、彼女はリムちゃんの話からハッキリと確信を得たのだ。


 全員の注目が集まる中、マリーは小さくこほん、と咳払いを入れると話し始める。


「まず確認したいのですが、エルザベラ様が私に、そしてこうしてユベル様にも協力を求めているのはクレアラート様の婚約破棄そのもののためではなく、彼女が本当に望む幸せという、もっと大きなもののため、ということでよろしいのですよね?」


「え、ええそうですね。家が決めた婚約関係に縛られず、クレアには欲しいものを自分の意思で選んで欲しい、そう思っていますわ。ただ」


 ちらりとリムちゃんを見て、先程まで彼女が語っていた内容を振り返る。


「あの子が婚約に固執する理由がもし家のためでないとしたら、少し厄介になってくるのですが……」


「その懸念はおそらく半分正解で、半分間違っています」


「……半分?」


「クレアラート様がユベル様との婚約に拘るのは、家が決めた結婚だから、という理由ではないと思います。ですが、最終的に婚約破棄という形に落ち着かせるのは間違いではありません」


「待ってください、クレア自身が婚約を大切にしたいと思っているなら私はそれを阻む気は」


「いえ、クレアラート様が望んでいるのはユベル様との婚約でも、次期王妃の地位でもないと思います」


 マリーはハッキリと確信を持った様子で断言するが、私の頭は疑問符だらけだ。婚約関係にも、王妃の席にも興味がなく、さりとて家の威信のためでもなく、それ以外にユベルの婚約者になることでクレアが手に出来るものなんて何があるだろうか。


「では、一体何のためにあんな真似をした? 君に怪我を負わせてまで、彼女は何を欲している?」


「ここまでのお話を思い出して頂きたいのです。まずエルザベラ様が語られたクレアラート様の人物像ですが、勤勉、努力家でエルトファンベリアの名前に誇りを持っていた、そうですね?」


「そうですわ」


「そして家格で人をはかると、そうも仰いましたね」


「ええ。リムちゃんは例外だけれど……基本的に付き合う相手を選んだり、対応に差をつけるときの基準は家格だわ」


 それはゲームでもこの世界でも共通だ。こちらのクレアはゲームより多少寛容ではあったけれど、それは身分の低い相手に突っかかっていくかそれとも無視するかの違いでしか無い。それに入学当時はヴィルモント先生を下級貴族と見下していたし(実際には平民だったから見積もりより低い地位だったのだけど)、彼女の中にそういう価値観が根付いているのは間違いないと思う。


 ダブルデートの時なんかにあまり身分差を気にした発言がなかったのは、多少は丸くなったのか、あるいは他に考えるべきことが多くあったからだと思う。曲がりなりにも婚約者との初デートみたいなものだったわけだし、周囲にまで意識が向いていなくても不思議はない。


「――それが、クレアラート様ご自身にも適応されている、とは考えられませんか?」


「……え?」


 どういう意味、と聞き返す前にマリーは「それから」と話を進めてしまう。


「リムちゃん、クレアラート様はエルザベラ様に選ばれる人間になる、と言っていたのよね?」


「は、はい。ええと、今のままではまたエルザベラ様が離れてしまうとも言ってました」


 なにそれ初耳! え、いや待って、だってそもそも、私と距離を置いたのはクレア自身のはずでしょう? それがどうして、私の方が離れたことになってるのよ。


「実は私も少し前に、彼女と二人でお話させて頂いたんですけれど」


 それも初耳なんだけど! な、なにこの味方だと思ってた面々から次々もたらされる新情報。わかってることがあったら教えてって言ったのに……いやそうか、マリーはリムちゃんの話を聞くまで確信が持てなかったから言わなかったんだっけ。くそう、最初から大小問わず全部話してって言うべきだったのかしら。


「その時のクレアラート様も、エルザベラ様のお名前に血相を変えてらっしゃいました」


「わ、私の……?」


「はい。彼女は言っていました、私が彼女から、エルザベラ様を奪った、と」


「奪っ――え、なんで! なんでそんなことになるわけ?」


 想定外過ぎて、私は「なんで」を繰り返さざるを得ない。


 話の中心はユベルとクレアの二人だと思っていたのに、ここに来て私たち三人全員の見たクレアが私、エルザベラ・フォルクハイルについて含むところのある言動をしていたと明らかになってしまった。私も中心人物の一人だということ? 全く身に覚えがないのだけれど……いえ、むしろ中心の一人どころか、中心人物そのものとしか思えないような。


「整理しましょう。家格で人をはかるクレアラート様は恐らくご自身が相手に相応しい人物か否かも家柄や格で判断してらっしゃいます。その上で私がエルザベラ様を彼女から奪ったという何らかの誤解が生じていて、それから――エルザベラ様に選ばれる人間になる、という言葉。どのようなきっかけで誤解が生じたかはわかりませんが……彼女の望みは、これ以上無いほど明らかだと思いませんか?」


 いやいや、まさか、と思いながらも、私はごくりと唾を呑んだ。


「つ、つまりお嬢さまが目指しているのは殿下の婚約者とか、王妃さまの地位じゃなくて」


「それすらも手段に過ぎず、他の追随を許さない最も価値のある家柄、王家の一員となることで」


「――私が、離れていかないようにしたがっている……?」


「はい、その通りかと思います」


 にっこり、と。良かったですね、と言わんばかりの満面の笑顔で両手を合わせたマリーから、若干さっきユベルとの関係を冷やかしたことへの怨念を感じないでもなかったけれど。


「い、いやでも、でもですわよ? さすがに公爵家のご令嬢が、格下の貴族を、それも当主や何かではなくただの娘を繋ぎ止めるためにそんな必死になんて」


「それ以上はクレアラート嬢に失礼だぞ。彼女にとって、君はそうするだけの価値があったと、それだけのことだ。受け入れろ」


 ユベルにぴしゃりと言われてうぐっと呻く。


 そりゃ本当にその通りならこの上なく嬉しい。この場で飛び上がって空中で三回転捻り決められそうなくらい嬉しいことに間違いない。けれどいくらそうとしか思えない情報を並べられても、はいそうですかと信じるには突拍子がなさすぎる話だ。


 だって私はライバル令嬢で、クレアは悪役令嬢なのだ。ゲームでは思いっきり対立していた間柄で、そもそも直接の接点だってそんなに多くなくて、嫌われる理由ならいくらでもあるけれど、無理を押して婚約を維持してまで繋ぎ止めるほどの価値を、クレアが私に感じているなんてとても信じられる話じゃない。


 婚約どころか王妃の席すら踏み台にして選ぶものが私なんて、大それた考え過ぎて現実味がない。そう思わせる状況が出来てしまっただけで、本当はもっと別のものを望んでいるのでは――などと、考えたのは私だけのようで。


「まぁ、そういうことならば納得できるな。どこからその誤解が生じたのかは気になるところだが」


「お嬢さまは昔から対等なご友人が少なくて、お一人で考えすぎてしまうところがありますから、きっかけは些細なことかもしれません……」


「すれ違っている部分に私が関わっているということは、どこかでエルザベラ様とお話しているのを見られたのかもしれませんね」


「それなら婚約解消にまつわる俺の言葉を聞かれた可能性もあるな。俺とマリーのことにまで気づいていなければ、マリーを攻撃して婚約を維持しようとは考えるまい」


「うちのお嬢さまが鈍感で申し訳ありません」


 みんなは既に「クレアが私を繋ぎ止めようとしている」という前提で話を進めている。というかアニー、誰が鈍感よ誰が。


「ま、待って、お願いですからちょっと待ってください!」


 私がなんとか割って入ると、その場にいた全員が「往生際の悪い奴め」みたいな目で私を見る。だからなんでよ! 普通に考えたら私なんかのためにこんな大それた行動に出る方がおかしいって思うでしょう!


「だってあのクレアですよ! 確かに私が一番親しい友人だったかもしれませんけれど、その私がいなくなったとしてそんなことで傾くほど弱いわけがないじゃないですか。なのにクレアはあんなに思いつめた顔で……そ、それに、この間私の手を強引に振り払ったのを皆さんも見ましたでしょう? 私を大切に思ってくれているならあんな風には――」


「――本当に、そう思いますか?」


 いつになく険しい声音でそう言い放ったマリーは、じっと真っ直ぐに、私の心を見透かすように、私の目を覗き込んでいた。


「本当に、クレアラート様にとって、貴女がその程度の存在だったと思っているのですか?」


「だ、って」


 私はライバル令嬢だから、なんて言えるはずもなくて、けれどそのことがずっと喉に引っかかっていて。それだけじゃない、クレアは私にたくさんの幸せをくれたけれど、それに比べて私は。


「私はいつも、クレアのためにって言いながらあの子に無理させてばかりで。クレアが優しいから、甘えてお願いして、それで私ばかり嬉しくて、そんな私が、クレアに大切に想われるわけ、が」


 仕方ありませんわね、と。そう言ってくれるクレアに甘えて、たとえ断罪回避のためだったとしても、彼女の意思を無視したお願いを何度もした。クレアと一緒にいられるのが嬉しくて、私ばっかりいつも幸せをもらって、私は与えてもらうばかりで。クレアに与えられたものなんて、一つも。


「お嬢さま、僭越ながら一言よろしいですか」


「……なにかしら、アニー」


 アニーはじっと私を見て、たっぷりの間を取って、それから。


「ばーか」


 ぴくりとも表情を変えず、そう言い放った。


「な」


「馬鹿です。お嬢さまは大馬鹿です。どうして頭はいいのに、たくさん考えられるのに、ご自分のことになるとそんなに馬鹿になってしまうんですかお嬢さまは」


「な、何よ。そんなに言わなくたっていいじゃない、私だって」


「馬鹿ですよお嬢さま。私が――お嬢さまを大切に想わない人に、席を譲るわけないじゃないですか」


「――――」


 いつもの淡々とした口調。欠片も揺らがない無表情。それなのになぜか、あの日涙ながらに私に告白してくれた彼女の表情が重なる。

 私よりも私を見ている長年の相棒が、あの日彼女に、クレアにその席を譲った。私を幸せにできるのはクレアだと信じたから。アニーと同じだけ、或いはそれ以上に、私を想ってくれると認めたから。


「……傍から見ていれば明らかだったのだがな。俺も以前に言ったはずだぞ、クレアラート嬢を幸せにできるのはお前を置いて他にいないと」


「それは、マリー様との婚約のための方便で……」


「そんなつもりはない。むしろお前たち二人の睦まじい様子を見て、俺は決心したんだ。クレアラート嬢が俺との婚約を続けることは俺たちのどちらにとっても幸福を遠ざけるだけだと思った」


 ユベル自身がマリーと添い遂げたい気持ちはもちろんあって、その一方でクレアを突き放すことに迷いもあった。けれどクレアが一番幸せになれるのが私の隣だと確信したから、あの日私に協力を求めたのだとユベルは言う。


「お嬢さまはエルザベラ様と一緒のときはいつだって楽しそうでしたよ。休みの日にお会いする時なんて、前の日から衣装部屋をひっくり返して服選びしてましたから」


 てんやわんやでしたよー、とどこか嬉しそうに言うリムちゃんは、クレアが私を何より大事にしていると欠片も疑っていない。


「私、クレアラート様があんなに激しくお怒りになられているの、初めて見ました」


 いつだって敵意を向けられていたはずのマリーをして、そう言わしめるほどの怒り。


「私がエルザベラ様を奪ったって、そう言った時の彼女はとても怒っていて、そしてとても恐れているように見えました。いつだって自信満々だったあの方が、エルザベラ様、貴女を失うことをそれほどまでに恐れていたのですよ」


 知らない、私の知らないクレアが、たくさん語られて。いつだって見ていたはずの私が見えていなかったものを、ここに集まったそれぞれが見つめていた。


 ……認めなくては、いけない。


 ゲームのクレアのことを知っているがゆえに、私は目の前の彼女の変化にひどく鈍感だったのかもしれない。彼女の身に降りかかる運命を変えようとしながら、彼女自身が変わっていくことに気づいていなかった。


 だから今更だけど、認識を改めよう。


 ゲームの登場人物、悪役令嬢クレアラートはもういない。

 いるのはクレア。意地っ張りで思い込みが激しくて気性が荒くて、頑張り屋で一生懸命で私を大好きでいてくれる、ただの私の親友。


「――これでもまだ、シラを切るつもりですか、お嬢さま」


 なんで私が追い詰められた犯人みたいになってるのよ、と苦笑いしながら、全員を代表したアニーの言葉にゆっくりと首を横に振る。


「……認めるわ。認めるしかないじゃない」


 一方通行だと思っていた私の大好きの気持ち。私のそれは友情ではないけれど。少なくとも私だけが大好きだなんて言えないくらい、私たちは両想いらしかった。

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