年下侍女、悪役令嬢を語る

 私にとって、お嬢さまは憧れだった。


 孤児院というのは多くの場合、経営が厳しい。当たり前だ、と今なら思う。身寄りのない子どもたちが集められるということは、そこに集まった子どもたちの人数と収入はイコールではなく、にもかかわらず支出の方は人数に応じて増えていく。大抵の孤児院はどこかの商家や貴族の支援で成り立っており、その一存で経営が左右される以上はその意思を汲んで運営されなければならない。


 そんな「お上」の対応も個々様々で、とにかく倹約倹約と口うるさく言ってくる場合もあれば、お金は十分に出す代わりに現場に迷惑でしか無い指示を次々飛ばしてきたり、ひどいものでは経営が厳しくなれば年長の子たちを追い出せ、なんて言う場合さえある。


 そういった点では、私のいた孤児院は恵まれていた方だろう。毎年、潤沢とは言わずとも不自由しないだけの決まった額で予算が組まれ、入院する子供たちもお上を通じてやってくることがほとんどだったから増え過ぎたり、減りすぎたりする心配もない。教育や経営の主だった部分は院長に一任され、お上は年に数回視察に来るのみでほとんど口を出さなかった。


 そんな孤児院にお上――出資者であるエルトファンベリア家のお嬢さまが足を運んだのは、今から四年前のことで、当時私はまだ8歳だった。


 視察があると言われると、決まって目つきの険しい大人の男の人が五人くらいやってくるものだから、私を含め院の年少の子たちは視察を嫌がる者が多く、大抵その日は朝から裏庭にでも出かけるか、誰かの部屋(基本的に年上の子たちと混合の四人部屋)に引っ込んで大人たちが帰っていくのを待つのが常だった。


 その日も私達は仲良しの仲間たちで集まって、メンバーのうちで一番年上だった私の部屋で大人しくすることを選択した。

 当時の私は「視察」という言葉の意味もよくわかっていなかったけれど、やってくる大人たちが院の大人たちと比べてひどく冷たい目で私達を見るので、なんとなく、私達には興味が無いのだろうと思っていた。それは概ね正解だった、と知るのはしばらく後の事になるのだけど、それはともかくとして。


 とにかく大人しく目につかないようにしていれば、嵐は過ぎ去るはず、だったのだけど。

 その日はなんと、私たちが引っ込んでいた部屋の戸がコンコンとノックされたのだ。


 集まっていた私たちは互いに顔を見合わせ、半ば反射的に息を殺して気配を消そうとした。しかしノックは二度、三度と続き、やがて院長先生が困った声で「開けてくれぃ」と言ってきた。

 この部屋に集まっていることはバレている、と理解した私は、年下の子達の頭を一度撫でてから、意を決して扉を開いた。


「は、はい」


「ああリム。よかった、やっぱりみんなでここにいたんだね」


 好々爺、といった風情の院長先生が安堵したように微笑むと同時に、彼の後ろに立っていた人物が私と院長の間に割り込むようにぐいっと一歩進み出た。


「私はクレアラート・エルトファンベリア。この施設の出資者の娘ですわ!」


 当時11歳のお嬢さまは堂々と胸を張り、美しい髪をはらりと揺らしてそう名乗った。


「……え、と」


 きれいだ、とそう思った。


 身に纏うドレスは深い青色で、彼女の瞳の色とよく似ていた。彼女が動くのに合わせてきらきらと煌めくのは、ドレスに刺繍された銀糸金糸や精巧な作りの髪飾りや大小の指輪たち。それはまるで彼女自身がその輝きを放っているように私には見えた。

 そして真っ直ぐに伸びた背筋と、堂々とした振る舞いは彼女の性格をよく表し、絹の手袋にしわが寄らないほどにぴんと伸ばされた指先まで、彼女の全ては洗練されて美しかった。


 まだ私が幼かったからだろうか。私はそんなきれいな年上の女の子に、まだ見ぬ将来の自分を重ねてみたくなった。こんなきれいな人になりたい、と思ったのだ。


「早く名乗りなさいな。せっかく貴女のような平民の捨て子に私の高貴な名を聞かせて差し上げたのですよ。名乗り返すのが礼儀ではありませんこと?」


「……ぅ、え?」


 当時の私は早口で、しかも聞いたことのない激しい抑揚と耳慣れない言葉遣いで浴びせられた言葉に目を白黒させるしかできなかった。ほとんど理解できていなかったと思う。


「リム、こちらのお姉さんは君の名前を知りたいそうだよ」


「あ、えっと。リ、メール。リメール・ケヴル」


 両親がたった一つ私に与えたもの、名前。改まってそれを口にすると、声を出している喉がなんだかぞわぞわした。自分の名前なんて、呼ばれることはあっても口にすることはそう多くない。孤児院という環境は出入りする人間も限られていて、頻繁に自己紹介をすることもなかった。


「そう、リメール。貴女が今日の洗濯当番だったと聞きましたわ。本当かしら?」


 ……洗濯当番?


「そ、そうだよ? あ、えっと。そうです?」


 慌てて言い直したけれどハッキリ聞こえてしまったはずだ。けれどお嬢さまは私の言葉遣いについては気にした風もなく話を続けた。


「外に干してあったシーツも貴女が?」


「うん、あ、はい」


「そう……貴女、年は?」


「えっと、8歳」


 なんなんだろう、この人は。

 きれいな人だけれど、変な人だ、と思った。いつも「視察」の日にここを訪れる大人たちは院長とばかり難しい顔で話して、私たちにはチラリと一瞥よこすだけでまるで無関心だった。

 なのに今日の視察に来たと思しき眼の前の、おそらく高貴な身分の少女は、私たちが生活のためにしている当番仕事に関心を持ち、そのまま私の名前や年齢を尋ねてくる。


 何を考えているのか、何をしようとしているのか、ちっともわからない。けれどこの一風変わった少女が自分に興味を持っているというのが、私を少しだけわくわくさせた。


「ふぅん、8歳。そう、それはいいわね、とてもいい」


 何やら目の前でふんふんと頷く少女に私が首を傾げると、程なくして彼女はその美しく伸びた細い指先をぴっと私の鼻先に突き付けた。


「気に入りましたわ。貴女、私の家で働きなさい」


「……はぇ?」


 それが私と、クレアラートお嬢さまの出会いだった。



* * *



「ひぐっ、ぐず、ごめ、ごめんなさ、お嬢さまぁ」


「あーあーもう一々泣くんじゃありませんわ、全く。それに謝罪はごめんではなく「申し訳ありません」ですのよ、何度も言っているじゃありませんか」


「ごめんなざいぃぃぃ」


「ちょっと、なんでまた泣くんですの! ちょ、やめて、あの、私が泣かせたみたいだから泣き止みなさい!」


「ふええぇぇぇぇ」


「泣きたいのはこっちですわ!」


 エルトファンベリア家のお屋敷で働くようになって一年ほど経った頃。洗濯の腕を買われて雇われたはずの私は、その洗濯で大失敗を犯し、お嬢さまお気に入りの普段着を数着、まとめてダメにしてしまった。先輩メイドや侍女長たちに促されてお嬢さまに素直に謝罪したまでは良かったのだけど、お嬢さまのそっけない「そう、わかったから下がっていいわ」という返事を聞いてなぜか泣き出してしまった。


 ……今振り返っても、なぜあの時自分があんな風に泣いたのか、よくわからない。もしかしたらお嬢さまの素っ気なさに「捨てられる」とでも思ったのかも。今となっては、あれはまだ未熟な私を気遣って、あまり重圧を感じないようにと配慮してくださったお嬢さまの優しさだったのだとわかるのだけど、当時の私にはそんなことを知る由もなかった。


「っ、ああ、もう! 聞きなさいリム!」


「っぐ」


 いつかのようにびしりと指を突き付けられて思わず涙が引っ込んだ。

 お嬢さまは突き付けた指先でぴんと私の鼻先を弾くと、呆れた溜息を一つこぼしてから話し始めた。


「貴女の失敗はもちろん、使用人としてはあってはならないものですわ。反省し、改善し、今後同じことが起こらないよう努めなさい」


「は、はい」


「ですが泣く必要はありませんし、そんなものは無駄です。後悔したり、申し訳ないと思う暇があったら努力なさい。失敗を繰り返さない方法を考えなさい。出来ないことを出来るように努力して、今できることはもっと出来るように努力なさい」


 それはお嬢さまがご自身に課されている事でもあった。当時の私にとってお嬢さまは何でも完璧で、私なんかよりとっても大人で出来ないことなんてない、そう思っていたけれど。


「人より劣っているのなら人の何倍だって努力して、他人を上回りなさい。人より優れているのなら更に努力を重ねて誰にも追いつかれないようになりなさい。それを繰り返して誰より優れた人間になりなさい。そうすれば貴女は――」


 そう言ったお嬢さまの得意げな笑顔を、私は今でもハッキリと思い出せる。


「私の一番の侍女にだって、なれるんですのよ」




 そんなお嬢さまの言いつけを守ってまた、一年。

 私は十歳という異例の若さ(周囲からは若さというより「幼さ」と言われた)で、お嬢さまの専属侍女を任されることになった。もちろん私の努力が同僚や旦那様に認められた面もあるだろう。でも、きっとお嬢さまはお認めにならないけれど。


 私の頑張りを見たお嬢さまが、お傍にと望んでくださった。

 お嬢さまの「一番の侍女」にしてくれたのだと、私は思っている。



* * *



 専属になって二年。


 自分にも他人にも厳しいお嬢さまのことをきちんと理解してくださる方は多くなくて、社交界にデビューされたお嬢さまは今までよりも険しい顔をすることが増え、外では殊更高飛車に振る舞う一方、お屋敷での口数は減っていた。


 専属侍女を私以外に増やすこともなく、我が国最高の家柄に連なる令嬢でありながらプライベートでの暮らしはひどく物静かで、どこか寂しくさえあった。


 令嬢らしくドレスや宝飾品は金に糸目をつけず次々購入し、自分に似合うものかどうかにはとても口うるさく使用人や商人にも指示を出して探させたり手を入れさせたりしたけれど、それを彼女自身が楽しんでいたわけではないと思う。


 屋敷に出入りする商人の中にはお嬢さまの口うるさい注文に文句をこぼす輩もいたけれど、私に言わせればそれらの注文も全て、お嬢さまがお嬢さまたらんとする努力の一環だった。努力を重ね、誰にも追いつかれないために。お嬢さまはいつだって更に上を目指し、求めていた。

 十二歳になった私はそんなお嬢さまの考えも少しは察せるようになり、あんまり無闇に口を挟んだり諌めたりはしないようにしていたけれど。


 それでも少し、心配はしていた。


 私がお嬢さまの専属になったのとほとんど同時に、お嬢さまの婚約が決まった。お相手は国の第一王子であるユベルクル・ヴァンクリード殿下で、ということはお嬢さまは後の王妃さまに内定したということになる。


 それ自体は、令嬢として一流であれとご自分に課し続けたお嬢さまの努力の賜物で、おめでたいことだと思うのだけど、婚約が決まってから、お嬢さまはあまり笑わなくなり、以前にもましてご自身に厳しくなられた。


 そのまま二年が過ぎ、お嬢さまは確かに、同世代の令嬢方の中では抜きん出た才覚を遺憾なく発揮され、少々気難しいとは言われるものの王子殿下の婚約者として相応しいとの評価を確固たるものとした。

 けれど一方で、肝心の婚約者である王子殿下とは、あまり仲良しに見えない。お話しなさる時はだいたいいつも真面目な顔で、お屋敷や王城でお二人だけでお会いになる時には特にそれが顕著だ。険悪、というわけでもなかったけれど、淡々としたお嬢さまの瞳は、いつか孤児院を訪れた大人たちと同じ目に見えた。見ているものに、何の興味もないような。


 大好きだから一緒にいるわけではない、というのは貴族の家に四年も仕えていれば私にだってわかることだ。でも、それでも婚約した相手がお嬢さまを理解していなくて、お嬢さまもまた婚約相手に興味を持てずにいるのは、なんだか寂しいことに思えた。


 そんなお嬢さまに変化が訪れたのは、あのお茶会の日。

 エルザベラ・フォルクハイル様が、お嬢さまに贈り物をし、お友達になりたいと仰り、ついでに衆目の中お嬢さまを思いっきり抱きしめて匂いと感触を堪能したという事件が起こって。


 その日以来お嬢さまは私がお屋敷に来た頃のように、いやそれ以上にいろんな顔を見せるようになって、それも照れたり笑ったり、楽しそうな顔がたくさんあって。


 ああよかった、って。


 お嬢さまはちゃんと笑えるんだ、これからも笑って、生きていけるんだって。そう思ったら私まで嬉しくなった。



* * *



「……それが、君から見たクレアラート嬢なのか」


「は、はい」


 第一王子が相手ということで幾分緊張した様子ながらもクレアとの出会いから一つ一つ丁寧に語ったリムちゃんは、ユベルに頷いてみせた。おそらく、ユベルにとってはまるで想像し得なかったクレアの姿だろう。彼女の婚約者として四年間一緒にいながら、リムの言うような素顔を見抜けてはいなかったはずだ。まぁ、それについてはクレア自身が隠していたから、というのも大きいのだけど。


「でも、最近のお嬢さまはまた、あんまり笑わなくなってしまわれました」


 リムちゃんは苦しげに眉根を寄せながら小さな声で言う。


「エルザベラ様と距離を置いてしまった理由は、私にもよくわかりませんけど。でも、寂しそうだったり辛そうだったりするより、最近はなんだか思いつめた顔をしていることが多くて。この間エルザベラ様のお話をされていた時は、どちらかと言うと久しぶりに嬉しそうにしていたくらいでした」


 ……ダメよエルザ、ここでにやけちゃダメだってば。

 慌てて小さく咳払いしながら顔を伏せて表情の緩みを矯正する。隣のアニーからはお見通しだと言わんばかりのジトッとした視線を感じたが、幸いユベルもマリーもリムちゃんの話に聞き入っていてこちらの様子に目は向いていなかったようだ。


 でもリムちゃんの話のお陰で、少なくともクレアが未だに私の存在を支えにしてくれているとわかった。それなら、私がクレアを今の立場から救おうとすることも、きっとクレアのためになると信じられる。クレアが信じてくれる私を、私も信じる。


「……まぁ、確かに。婚約関係の継続を望んでいるとは思えない振る舞いだな」


 わかってはいたが、とこぼしながらユベルが苦笑する。まぁね、ユベル自身もクレアとの関係が円満でないことにはずっと自覚的だったわけだし、むしろここしばらくの間、急にその関係に執着し始めたことに対する違和感はあったはずだ。


 その上で、マリーに怪我を負わせてまで得られるものが他に思い当たらなかったからそう判断しただけで、そのプロセスは私と同じようなものだと思う。クレアの言動に違和感を覚えつつも、他にそれらしい答えが無い以上は婚約関係の継続が彼女の望みだ、と。


 だがリムちゃんの証言からは、クレアがユベルとの婚約に執着するとは到底思えない。その点について、マリーには何かの心当たりがある風だったが、彼女はそれについては「確証がない」と言って私たちにも話してくれなかった。


「婚約そのものに執着があるわけではない、それは理解した。だがそれでも疑問は最初に戻るだけだろう。なぜ望まぬ婚約を必死に繋ぎ止めようとする? 君も、エルザベラ嬢の言う通り、家のためだと思うのか?」


「それ、は」


 ユベルに問われて、リムちゃんが難しそうに顔をしかめる。私には他に理由は思い浮かばなかったし、マリーの心当たりについてはリムちゃんも知らない風だったので同意見だと思ったのだが、違うのだろうか?


「……お嬢さまのお考えは、私にも全部がわかるわけではありません。ただ……」


「ただ、何だ?」


 わずかに言いよどんだリムちゃんだったが、ユベルに促されると意を決したようにその眼を見返して言った。


「お嬢さまは言っていました、エルザベラ様に選ばれる人間にならなくては、と。きっと何か、そのためにやらなきゃいけないことがあるんです。そしてそれは、お嬢さま自身の力で遂げなくてはならないことなんです」


「エルザベラ嬢に……?」


 再び上がった私の名前にユベルがちらりとこちらを一瞥したが、私にも心当たりはなく、首を横に振るしか無かった。選ぶも何も、私はいつだってクレアのことを一番に考えて行動してきたし、それを隠したりしたつもりもない。入学以来ほとんど一緒に行動していたクレアなら私の交友関係だって概ね把握しているはずだし、クレア以上に親しい友人がいないのはわかっているはずだ。


 結局は迷宮入りか、と私たちが溜息をついたその時。


「今のお話で、確信いたしました」


 声を上げたのは、それまでじっと黙って話を聞いていたマリーだった。

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