ライバル令嬢、やり返す

「……来たわね」


 翌日、いつもの中庭に現れたユベルを私は天敵と相見えるような険しい表情で出迎えた。ユベルをここまで連れてきたマリーは、ユベルが私と向き合って足を止めたのを確認すると、そのまま私の隣までやって来る。


 私とマリーが並び、私より少し後ろにアニーとリムの侍女コンビが並んで立っている。それぞれに難しい表情をしており、場の空気は穏やかではなかった。

 そんな四人組と対峙しているユベルだが、少なくとも表面上は動揺した様子もなく普段と変わらない無表情だ。


「話がある、と聞いたが」


 ちらりとマリーを一瞥してから、私に視線を戻したユベルが口を開いた。


「お呼び立てして申し訳ありませんわ。目立たぬようお声がけするには、マリー様にご協力いただくのが一番かと思いまして」


「まぁ、そうだな」


 渋面を浮かべて頷くのは、弱点を見抜かれて気まずい、みたいなことだろうか。いや見抜くも何も貴方マリーが好きです宣言を私にぶちかましたんですけど? まぁ私もクレア大好き宣言はしたに等しいのでおあいこだろうか。何がだ。


「それで、そうまでして俺に話とは何だ?」


「腹を割っての建設的なお話ですわ」


 話の内容に触れずとも、私のその言葉だけでユベルはピクリと眉を動かし、探るような視線を私に向けてきた。話がクレアに関することだというのは、今の言葉で確信したようだ。


「王子殿下を長々と拘束するのも気が引けますから、単刀直入に申し上げます。私の友人であるクレアラート・エルトファンベリア。彼女を救うために、殿下のお力をお貸しいただきたいのです」


「……随分唐突だな。そして一方的だ。わかっているのか、エルザベラ嬢。君は俺が協力を求めた際に一度拒否している。それをわかった上で、俺に交渉を持ちかけているのか?」


「もちろん、承知しています。そしてあの時の私の言葉を取り消すつもりもございません。私はクレアの友人として怒るべきことに怒った、それは事実ですもの」


「相変わらず悪びれんな。よし、聞こうか」


 ユベルは表情を緩めると心持ち穏やかな声でそう言った。ひとまず「話を聞いてもらう」という最初の関門は突破できたらしい。


 ユベルが先程口にしたとおり、私は前回の一対一の対話ではユベルの考えを否定し、協力を断っている。そのうえで今度はこちらが頼み込むのだから、マリーの時のようにはじめから下手に出る、というのも考えなかったわけではない。


 けれどゲームを思い出せばユベルという人物は過去どうであったから、という理由で物事を判断することはないはずだった。だから私は過去は過去として、起きた事実、口にした言葉は認めつつも「今はそれは関係ない」という態度を貫いてみせたのだ。

 先程の問いかけは恐らく、一度は断った協力を再び持ちかけるだけの何かがあるのか、というユベルからの確認だったのだろう。何かとは、は理由や動機、交渉材料というだけじゃなく、覚悟のようなものも含めて、だ。


 対話の意思を確認した私達は、中庭にいくつか設置されているテーブルの中で一番大きな円卓を選んで座った。私の右隣にアニー、その隣にマリー、ユベル、リムちゃんとなって、リムちゃんの隣に私で一周となり、テーブルをぐるりと囲む形になる。


 私から見てほぼ正面に腰を下ろしたユベルの目に先程までの険しさはなく、どこか愉快そうな、好奇心にも似た色が今は宿っている。


「救う、とそう言ったな?」


「はい」


「クレアラート嬢を救うとは、何を指しての言葉だ? 先日怪我を負わされたのはそこにいるマリーの方だったはずだ。ならば彼女は責められこそすれ、救われるというのは理解できないな」


「殿下、私の言いたいことはおわかりかと思いますが」


「さて、お前の口から聞かなくてはな」


「……わかりました。ですがそれはクレアにとってもデリケートなお話です。ここでのお話は口外なさらないとお約束いただけますか?」


「ああ、約束しよう」


 どのみちある程度は説明するつもりでいたのだ。ユベルの方がそれを望むというのなら、こちらとしても望むところではある。

 勝手にクレアのことを話すのを内心で彼女に詫びながら、私は「クレアラートという少女」について知るところを語ることにした。それはエルトファンベリアの娘という意味ではなく、私の知る限りの等身大の彼女についてだ。


「……彼女の望みが、殿下との婚約、そしてその先にあることは間違いない、と思いますわ。これまでは私も彼女の友人として、それを応援してきました。ですが今の状態では……殿下がマリー様を婚約者にとお望みの状態では、クレアの望みは――」


 私が最終的な結論を言い終える前に、突如横合いでガタッと音がした。何かとそちらを見れば、真っ赤な顔をしたマリーが思わずといった様子で椅子から立ち上がり口をぱくぱくさせている。……え、なに、私なにかマズいこと言った?


「な、なな」


「マリー様?」


「とっ、突然なにを言い出すんですかっ! 誤解ですエルザベラ様! わ、私は確かにユベル様を……その、ですが! ユベル様は私などを婚約者にお望みになられるはずがありません!」


 真っ赤になって、あわあわしながら、勢いで自分の気持を半ば暴露しつつも必死に否定を重ねるマリーはそれはもう見事にヒロインしていて漫画なら二頭身になって目尻に涙を溜めているだろうといった様子だったが、そんなことより腑に落ちないことがある。

 まさか、と思いユベルに目を向けると、スッと私から視線を逸らした。マリーの告白めいた文言に虚を突かれたのか、若干耳が赤い。


「…………まさかとは思いますが殿下、マリー様に」


「すまなかった。これまでのクレアラート嬢への振る舞いについては謝罪する。先日の廊下での一件も性急に過ぎたと認めよう。だからエルザベラ嬢、頼むからこの場でその話は」


 ユベルが慌てて私の口を閉じさせようとするのを遮って、私はニコニコと自分に出来る最大限の令嬢スマイルを振りまきながら、まだ赤みの引かないマリーに向き直り、口を開く。


「マリー様」


「は、はい?」


「よせエルザベラ嬢、今は」


「誤解もなにも、殿下は以前私に仰ったんですよ『マリーを妻に迎えたい』って」


 時が止まった。

 ……かと思えるほどに、当事者二人の動きがピタリと止まった。そんな二人をニコニコしたまま交互に見つつ、私はアニーが淹れてくれたお茶を口に含ませる。うん、美味しいわぁ。


 隣のアニーはやはり何食わぬ顔でお茶を飲みつつも、心持ち冷めた視線をユベルに向けており、反対側に座るリムちゃんは対照的にはわわ、と健全に頬を染めながら身を乗り出している。見知った人間の恋愛話が目の前で展開しているのが気恥ずかしくも興味深いらしい。


「…………あー、その、だな」


「は、はい」


「うむ、いや、つまり」


「はいっ!」


 うふふ、ああ、若者の恋路にちょっかいを出すのがこんなに楽しいなんて知らなかったわぁ。いつもの無表情を貼り付けたまま耳だけ真っ赤にしたユベルと、ユベルが何か言いかけるたびに飛び跳ねそうなくらい張り詰めている感じのマリーをニヤニヤと鑑賞する。

 てっきりユベルはとっくにマリーに想いを告げていて、マリーはクレアのことがある手前素直にそれを受け入れられていない……みたいな関係だと勝手に思い込んでいたのだけれど、どうやら実際はこの二人、婚約についてどころか互いに気持ちを伝えてもいなかったらしい。


 まぁこの期に及んでお互いに足踏みしていた二人が悪い。ユベルには私にばかり喋らせてわかっていることをわざわざ確認するような回りくどい真似をさせたことを後悔してもらうとしよう。マリーには、そうね、以前クレアへの気持ちを言い当てられてしまった仕返しだということにしておこう。


 そうしてニヤニヤと二人を眺めることしばし。

 ようやくこの事態が場の本題を逸れて私が一人勝ちしていることに気づいたらしいユベルがわざとらしい咳払いを一つ入れ、どことなく疲れた顔で私に向き直った。


「……つ、つまり、クレアラート嬢が俺との婚約を継続したいと望むのは、彼女の家柄がそうさせていることだと、エルザベラ嬢はそう言いたいわけだな」


「あら、婚約についてのご相談はもうよろしいので?」


「そう言いたいわけだな!」


 珍しく必死なユベルの様子に免じてこの辺りで勘弁してあげるとしよう。ちなみに、崩れるように椅子に座ったマリーは極度の緊張が解かれたからか、口から魂が抜けていくみたいな顔をしていた。ちょっと、ヒロインなんだからそんな顔しちゃだめよ。


「では、おわかり頂けたところで殿下、ご協力いただけませんでしょうか」


 私が話しの流れを引き戻すと、ユベルは安堵したようにほっと息をつき、すぐに表情を引き締めた。……まだちょっと耳に差した朱は残っているけれど、さすがにこれ以上突き回すのは勘弁してあげよう。


「エルザベラ嬢の話は理解した。だが、それを示す根拠は無い。お前の話を信じて行動した結果、その予測が外れていたらどうする?」


「たとえクレアがどのような内面を隠していたとて、殿下には関わりのないことでは? いずれにせよ婚約は破棄なさるおつもりだったではありませんか」


「当事者である俺か、クレアラート嬢がそれを言い出すのと、周囲の者が言い出すのとでは意味合いも変わってくる。王族の婚姻を阻んで得をする連中などいくらでもいるのだ」


「殿下は私を奸臣とお疑いで?」


「そうは言わないが、クレアラート嬢本人がそう言ったのでなければ今の話はお前の想像の域を出ないだろう。その言葉だけを根拠に行動すれば、もし誤りであった時に取り返しがつかない」


 ……なるほど。協力を拒む言い訳と取れなくもないが、ある程度は理解できる言葉だ。当事者同士が腹を割って自分の考えを明かすのと、他者が「あの人はこう思ってますよ」と一方的に告げるのでは同じ内容でも意味合いや信用度が大きく違ってくる。私がクレアに肩入れしていることはユベルも承知しているだろうが、クレアを想うあまり行き過ぎた行動を取っている可能性もある、と言いたいのだろう。


 そんな私一人の言葉を根拠に動いて何か不手際があった際、その責任を取るのはユベルだ。ここに集まった中で最も地位が高く責任も重い立場だからこそ慎重にもなるだろう。

 私に協力するということは、ユベル自身が望んでユベル自身の目的のために婚約を解消するのではなく、私が望む形に合わせて、私の都合で婚約解消に踏み切るということ。ユベルは私に、自分を動かすだけの材料を示してみせろ、と告げているのだ。


 それなら、私も手札を開こう。


 どうにか気を取り直した様子のマリーに目を向けると、しっかりとした頷きが返ってくる。一生懸命な様子で私達の交渉を見守っていたリムちゃんを見れば、私の視線に気づいて胸の前でぐっと拳を握った。うん、こちらのやる気は十分みたいだ。


「……いけるわよね、アニー」


「お嬢さまがいけるとお思いならば。完璧令嬢のすることは、当然完璧な結果で終わりましょう」


 最後の不安を振り払おうとする私の背を、アニーの言葉が押してくれる。

 用意した手札は策じゃない。これから先は理屈ではなく感情で場を御す必要がある。それでも勝算はある。相手は乙女ゲームのヒーローなのだ。感情を動かすことができれば、応えてくれるはず。


「それでは、話し合いと参りましょう」


 私の不敵な微笑みに、ユベルも微かに口端を引き上げた。

 さぁ、まずはここが正念場だ。

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